卒業40周年・還暦記念 江田島・宮島クラス会記
冨士 榮一
『人生旅也 行雲流水 時に 関守無し』
と言う。宇宙、時間を考えると、瞬目にも値しない程短くても、生を享けてから60年を省みるとうんざりする程長い。
昭和15年12月1日、青春の血をたぎらせて海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校へ集まった。昭和18年9月15日、夫々625名、111名、51名、卒業と共に日々激烈を増す大東亜戦の渦中に突入し、その6割が第一戦に散華した。
戦い終り40星霜を経て、30有余名が病に倒れ、幸か不幸か生き残った者も還暦の齢を迎えた。記念と言うべきか、懐古なのか。昭和58年9月15日、卒業40周年の日をもって、江田島・宮島クラス会の運びとなったのである。
1400、北海道から鹿児島まで、クラス91、ご遺族11、家族40名、校内大会議室に集合、尤も前日、前々日から来て、早々と拝観の方もいた。感慨新たに銘牌参拝、校内見学を終え、1600いかづち桟橋から自衛艦はつかりで宮島に向かう。田島特四号生徒操縦のセスナ、低空にて飛翔し一同歓喜。
この間、海上自衛隊幹部候補生学校長佐藤英夫海将、第一術科学校長菅田明男海将、呉地方総監長田博海将、呉地方総監部管理部長坂野文雄一等海佐はじめ在官御一同の後配慮、御厚情に、また現地に於ける長山兼敏、篠田知武の両君及び田島特4号生徒の並々ならぬ御努力は、当クラス会運営に多大の貢献を受けた事を特記して感謝する。
さて、舞台は宮島に移る。巡航の時くぐった鳥居は大補修中。旅館は宮島一の岩惣。流石風格も接客態度の料理も見事と言えよう。部屋割りは御遺族、同伴者、ゴルフ組、一号同分隊等々、苦労したつもりだが、御不満の向は幹事に免じて御容赦ありたい。
1830宴会開始、戦没部故者の霊に黙祷を捧げる。一緒に殴られた奴、机を並べた奴、飛行機で、艦で、共に戦った奴、会いていなあ!。
幹事の経過報告、進行も順調に進み、後は御定まりの法歌、騒音、喧々諤々。先ずは篠田自作自演の江田島讃歌、朗々と吟じ始まる。
実は、かく申すそれがしも、本日に備えて一月半の禁酒及び運動を続け、どうにかなりそうなので、気が緩んだのか、聊か酩酊。誰が何の余興を出したのか確然としないが、酒場混然、酒盃一里を飛び愉快な宴が延々と続く。
2130頃女中さんの都合もあり閉宴したが、お約束により幹事部屋103号に別れ難き53名集合、他班まで二次会。御家族も呆れ果てたろう。因みに当日の140名の飲量、ビール135本、日本酒120本、ウイスキー10本。還暦クラスとはいえ酒だけはお若いこと。一応就寝。
9月16日、ゴルフ組は0630発。又また、田島氏のお世話になり、朝食付バスでゴルフクラブへ。
岩惣の朝食は0800で終り解散。それぞれ紅葉谷へ、彌山へ、錦帯橋へ、倉敷へ、或いはご親戚へと赴く。後の行動は、当幹事の責任に非ず。誠に至りませんでしたが、次の期会を楽しみに、今回の幹事としての江田島・宮島クラス会の経過報告とします。
ご出席者 ご遺族 11名 クラス91名 家族40名
総計142名 氏名掲載略