昭和56年 6月 7日実施
第十六回参拝クラス会の記
金枝 健三
懸念した天気も、薄曇りの梅雨空であったが、雨にはならず幸いであった。慰霊祭は厳粛に、懇親会は和気藹々裡に進行しました。式次第は次の通りです。
◎ 56年度参拝クラス会 式次第 56・6・7(日)
慰霊祭(靖國神社)
0930 参集所集合
1000 参進 神官祝詞 祭文奏上(深尾) 昇殿
玉串奉奠(丸行様・岩村イエ様・村岡教官・深尾)
黙祷 拝礼
懇親会(日本学生会館) 1130−1400
会次第 司会 金枝 健三
開会挨拶 伊藤 正敬
教官挨拶 田中・高野・石原教官
統幕議長挨拶 矢田 次夫
乾杯 石原教官
遺族代表挨拶 土井 申二様
懇談
軍歌 高崎 慎哉
万歳三唱 澤本 倫生
閉会の辞 深尾 秀文
◎ 伊藤幹事開会挨拶
本日の出席者 総員 238名
内訳 教官5名、ご遺族108名(76家族)、
生存者125名(夫人2名を含む)
と多数の出席を頂き感謝に堪えぬ。特にご遺族のうち、高齢かつ遠来より出席して頂きました、宮崎・岩村イエ様、宮城・齋藤ナミ様、三重・内田兵太郎様、よね様にはご健康にご留意のほど祈ってやみません。
◎ 田中教官(兵64期)
戦後のこの目覚ましい繁栄は、数多くの英霊のお陰であって、片時も忘れてはならぬ。その為の靖國神社での慰霊祭を毎年挙行されるのは敬服に堪えぬ次第である。御高齢のご遺族を含め、諸兄の健闘を祈る。
◎ 高野教官(機45期)
アンダマン作戦で、富田育雄君(20・ 1・ 3 936空 三座水偵操)が敵艦に体当たりするのを目撃し、また、土屋賢一君が(20. 5.16 羽黒)がアンダマンに物資補給中、マラッカ海で轟沈。兵科の方もおられたと存じ、冥福を祈る次第です。
靖國神社の松平宮司(機45期)が53年7月宮司に就任以来、250万の英霊に為、身を賭して尽して居られる。我々も英霊に為、国の為に靖國神社を末長く守っていかねばならぬ。
◎ 石原教官(機45期)
一航艦、台湾各部隊の特攻で散華された方々の慰霊を、毎年10月25日、芝公園の安蓮社にて施行している。富士信夫(兵65期)氏が神風忌を発行し、大西滝治郎未亡人、寺岡謹平氏等が出席して居られる。」
◎ 土井申二氏(故輝章君 父君)
毎年慰霊祭に招かれ、また、なにわ会誌を頂き感謝に堪えぬ。只今の心境は
父子共に 戦の庭に出でにしに
我のみ残る 今日の苦しさ
安らけく 花の台に待てしばし
務め果して 我も急がん
諸兄は未だ春秋に富んでいる。この多難の時に当たり今一度、戦中戦後のあの覇気を以って邁進されんことを祈る次第です。
◎ 矢田統幕議長
防衛問題が非常に難しくなって来た今日、統幕議長の重責を担う事に心締まるものがある。日本の為、亡き英霊の為、そして自衛隊の為に全身全霊を打ち込んで責任を果たす決意である。
◎ 懇談会スケッチ
藤瀬 韶国 100号の油彩の大作「大和」を会場に飾って呉れた。見事な出来栄えの作品に多くの人が足を止めていた。搬入搬出ごくろうさまでした。
都竹 卓郎 顔の広さではNo1の彼のお陰で、東宝映画「連合艦隊」の予告編を上映。約40年前の己の姿を画面に見た方も多かったでしょう。何はともあれ、懇親会に花をそえて貰い有り難うございました。
金子しげ様 澤本倫生の肩もみサービスに目を細めて見えました。何時までもお元気に。
山根澄子様(故高崎孝一君 姉) 同期の皆様、お懐かしく存じます。何かとお力添え、感謝しています。
中川好成 1951年末アルゼンチン丸で渡米以来26年間、更に仏2年間計28年振りに帰国しました。これからは日本に落着きますのでよろしくお願いします。
2号15分隊 生存者8名中6名(大槻、中川、藤田、松山、毎熊、間中)が出席、本日の参加者中で最高の盛況であった。
高崎の軍歌、澤本の万歳共に見事なり。
最後に、深尾幹事の名残は尽きないが・・・と4閉会の挨拶に立ち、本日の盛会を謝し、来年は5月30日午前11時昇殿です。元気で会いましょうと結んだ。