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昭和54年 617日実施

第十四回参拝クラス会の記

畊野 篤郎

昨夜来気になっていた梅雨空もからとはれ上がり清々しい青空の朝を迎えた。

今年は諸道具を持ちながら0935頃社頭に着いたが、既に大半の世話人(渋谷、加藤、押本、市瀬、名村、富士、相澤、若松、西口、小暮、高杉)と幹事が集まっていた。なにわ会諸行事は、何時も、これら影の世話人達の尊い奉仕によって支えられてきたことを思うと心がほのぼのとしてくるのを覚えるのであった。

この日の参加者は、教官、ご遺族、生存者合わせて計236名だった。

最近はご両親の参加はめっきり減って来た。お年を考えれば、まことに止むを得ないのだが、特に今日は父の日にも拘わらず、御尊父の姿が少ないのが寂しい。その代わり、兄弟姉妹や甥・姪の若い方の参加が増えてきたので、明るさや、華やかさで元気づけられる。また、奥さんや子女を同行して参拝する生存者も数組あったが、次の世代に引き継ぐ機会をつくられる配慮と努力には敬服した次第である。

遠来の客としては。教官で山崎教官(鹿児島)、ご遺族として中西達二の令妹津田洋子様、令弟中西恭三様(山口)、倉本恒治の母堂ツギ様(熊本)、森山修一郎の令姉田中きく子様(北海道)の皆様、そして生存者では大堀(北海道)、伊吹(鳥取)、吉本(山口)等であった。

定刻1100に昇殿参拝。荘重な名曲「国の鎮め」の奏でる拝殿でお祓いを受け、しばし心を静めた後本殿に参進して、神官祝詞。都竹幹事の朗々たる祭文奏上。代表者による玉串奉奠。黙祷。拝礼の神事が型どおり行われた。

次に場所をかえ、1200分から九段会館で懇親会に移る。会は、椎野幹事の軽快くタイムリーな司会で進行。

幹事挨拶につづいて92歳の新見校長閣下の御挨拶。その要旨は 「・・・・終戦に至るまで、多くの教え子達は護国の鬼と化していき、まことに団長の思いがする。日本は今や、空前の物的繁栄を謳歌しているが、その反面精神要素が軽視されており憂慮に堪えない。かかる世相を手直しする意味に於いても、会員一同、協力して元気に頑張って欲しい。」

まことに、切々たる哀悼をお気持と激励のお言葉は有り難い限りである。どうかご遺族の方々も新見校長にあやかって、何時までも長生きして頂きたいものである。

次に鹿児島から上京された山崎教官(機)から「老獪をさらすな」の貴重なご挨拶を頂戴した後、田中教官の乾杯音頭で会食を始める。

今年は、遺族代表のご挨拶を戸塚喜太郎様(戸塚弘のご尊父)にお願いしたところ、「なにわ会ニュースはなにわ会の声であり、遺族はその到着を鶴首している。また、英霊は永遠に生き続けることを信じている。そして、その姿は、何時までも若き颯爽たる青年の面影である・・・・」と熱愛の至情をこめての激励と崇高なご心境を吐露されたので思わずシーンとして傾聴する。

懇親会も佳境に入った頃理研化学のご好意で「勝利の基礎」を上映。若き日の海軍生徒のすがたを偲んで貰う。じょうえいじかんを半減したのがいささか残念であった。

終りに近づいたところで、高崎軍歌係の号令元気一杯に軍歌5曲を斉唱、最後に深尾幹事の挨拶、石隈教官の音頭で万歳三唱。1400散会する。

天候に恵まれ、今年もご遺族、教官、期友多数のご参加を頂き、盛大なクラス会を挙行することが出来たことを幹事一同感謝申し上げます。

来年は6月8日です。また元気で会いましょう。

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