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江田島クラス会記

冨士 榮一(幹事)

521112(土)

待たれし日。天候快晴、勇躍東京駅に赴く。十時ひかり5号出発。クラス、家族合せて47名。四十七士、江田島への討入りか。

車中早くもクラス会始まる。されど海軍の威厳を傷つくるが如き放歌高吟は致さず。三時過ぎ広島着。和泉正昭の墓参に行く者数名。夜は江田島クラブ、江田島ホール、能美ロッジなどに分宿。

中にも感激せるはクラブ、ホールの宿泊者。恐れ多くも校長閣下官舎に招待され、鯨飲象食。目の下三尺の瀬戸の鯛の美味なること。(能美ロッジ組よ、ヒガメヒガメ)

山田穣、相沢善三郎の踊、石井晃の美声、夜の更くるを知らず。

11・13()

〇六〇〇  先ず窓を開く、小雨なり。幹事の心中察せられたし。これ昨夜、名物の鯛の活造りを喰わんとて音戸瀬戸に泊りし、不逞分派の輩共の故なりと憤慨するも、至誠天に通ずべしと、念力を以て天候回復を祈る。

==慰霊祭==

集いしはクラス百名、家族六十名。錦上花を添えしは平賀、金子、石隈、柳田の各教官。

一〇〇〇粛然として参考館の階段を上り、戦い終りて三十三回忌の祭事始まる。

篠田の司会により、幹事富士、相沢厳かに献灯す。海行かばの曲荘重に流れ黙祷。

日前に七十二期戦没者の木標墨痕鮮やかに拠立す。銘牌に刻まれし三百余名の級友、我等に何を語るや。眼を閉じ静かに冥福を祈る。相沢朗々と祭文を捧げ、各教官、小松崎校長、幹事につづき、全員菊花を献じ慰霊祭を終る。

小雨にて天も共に涙を流し給うや。

江田島の松風騒ぎ小雨降る

友の魂 安くあれかし

 

昼は食堂に於いてクラス会。教官訓示に続き、長山より和泉正昭最後の心境、声涙共に語られ、 一同暗然たり。

体験航海に移る頃より雨上る。顧みればなき級友に捧ぐる涙雨なりしか。

体験航海一時間余。新兵器の説明を聞き、なつかしき湾口、安渡島を過ぐればはや宮島。

この間、押本、沢本セスナ機にて上空を漫飛す。宮島かめ福着一五三〇。一八〇〇より大広間にて懇親会。(6頁別稿)

11・14()

〇八〇〇朝食。特別に注文せるなつかしき豚汁に舌鼓を打つ。昨夜は宴会終了後も二次会、三次会となり柳かお疲れの様子。婦人方もふくめて伊藤、高橋両先生の衛生講話(主として亭主の健康維持法)を終って就寝せるは午前一時なればなり。

江田島クラス会もフィナーレとなり、名残を惜しみつつ解散。二十数名は弥山に登りて

帰途、岩国錦帯橋、倉敷大原美術館等々…旧婚旅行を楽しみたる者幾組かあり。

一同帰宅後、現実に還りこもごも電話にて幹事に感想を伝う。要約すれば面白うて やがて哀しき 鵜飼かな

×       ×       ×

腰折れ? 数首………

小松崎 威風堂々佇めば   あれがクラスか我等佗しき    

飛来せる沢本・押本 銀翼を  振りつつ去るも会える嬉しさ

 kaが見直したり とて晴々と   瀬戸の船にてはしやぐ馬鹿ども

(註、世の中は馬鹿の方がたのしいね)

 五郎ちゃん御苦労でした 宮島の   司会見事よ、姓命申告

 紅葉谷、加藤と交す盃に         親しみ寄れる鹿もわが友

 江田島は遠くにありて懐しき      三年過せし友を偲べば

 古鷹に登りしあの日あの友は      今帰り来ん 南浜の地より

 安渡島廻れば櫂も折れなんと      笑ひし友は沖縄に散る

参加者  氏名掲載略