平成22年4月12日 校正すみ
平成18年9月6日寄稿
昭和19年10月25日の戦死者
左近允尚敏
卒業から終戦まで2年弱の日々のうち、クラスの戦死者が最も多かったのは、おそらくフィリッピン沖海戦がピークだった昭和19年10月25日であろうと思い資料を当たってみた。
『鎮魂銘(海軍兵学校)』(平成13年12月8日。作成者不明)という資料で、兵学校出身戦死者の期名、氏名と所属が示してある。
○ この昭和19年10月25日のクラスの戦死者は次のとおりであり、艦艇17名、航空2名の計19名である。
艦艇
小沢艦隊 8名;都野(瑞鶴)、西(千代田)、甲賀(千代田)、稲葉(千代田)、末岡(千歳)、柄沢(千歳)、 増田(弘)(多摩)、島本(初月)
西村艦隊 6名:江本(山城)、藤井(勉)(山城)、林(和)(扶桑)、後藤(一)(扶桑)、鷲野(最上)、 若林(山雲)
栗田艦隊 3名:精島(筑摩)、高橋(英)(筑摩)、小林(正)(野分)
航空: 仮屋(攻3)、小島(辰)(攻3)
○ この日の兵学校出身戦死者数は次のとおりである。( )のない数字は艦艇。( )の数字は航空で外数。
30期台が1名, 40期台が13名、50期台が25(1)名、60期台が26(1)名、70期台が81(10)名で計146(12)名、合計158名である。
○ 期ごとに示すと次のようになっており、73期の多いことが注目される。
期 | 戦死者数 | 期 | 戦死者数 | 期 | 戦死者数 | 期 | 戦死者数 |
39 | 1 | 51 | 4 | 59 | 3 | 67 | 2(1) |
42 | 1 | 52 | 4(1) | 60 | 0 | 68 | 2 |
44 | 1 | 53 | 0 | 61 | 2 | 69 | 6 |
46 | 4 | 54 | 2 | 62 | 3 | 70 | 8(5) |
47 | 4 | 55 | 5 | 63 | 1 | 71 | 10(3) |
49 | 3 | 56 | 0 | 64 | 2 | 72 | 17(2) |
50 | 4 | 57 | 2 | 65 | 3 | 73 | 46 |
― | ― | 58 | 1 | 66 | 5 | ― | ― |
○ 前々日、前日、翌日のクラスの戦死者は次のとおりである。10月24日は航空総攻撃の日とされていた。相澤(昇)君が台湾東方、あとは全員フィリッピンである。
10月23日 艦艇:東郷(摩耶) 航空:市川(攻5)
10月24日 航空5名:幡井(攻撃702)、相澤(昇)(戦804)、西岡(攻5)、吉富(戦317)、小岩井(豊橋空)
10月26日 艦艇:伊藤(比)(矢矧)