100号
泉 五郎
平成5年11月の洋上慰霊祭において捧げられたものであり、泉 五郎君が作成、椎野 廣君が朗読したものである。
風よ雲よ心あらば天にまします
我らが戦友の霊に伝へよ
我ら今兄等を偲びて南海の洋上にありと
眼を閉ずれば彷彿たりその姿
等しく昔日紅顔の美少年
将又颯爽凛乎たる若武者か
決然起って国難に赴くや
雲に散り波を染めて遂に還らず
水漬く屍は武人の誉と
散りてぞ悔いぬ若櫻
その魂魄は昇りて天に在りと雖も
その現せ身は幾千尋の海の底
文目も分かぬ久遠の闇に
鉄の褥に岩を抱きて
ただ独り眠る 悲しからずや
長恨は尽くることなし
言うを止めよ
兄ら身を捧げたるは
偏に君が御為 国の為
醜の御楯は男児の本懐なりと
皇御国の武士なればとて
その身は木石に非ず
生死の関頭 誰か苦悩無からん
ただ雄々しき君は
日の本の男ゆえ黙して語らず
自ら防人たらんと志したれば
莞爾として戦いの魁に起つ
その熱血たぎる青春は
親を思い
血肉分けたるはらからを思い
幼きものそして又愛しきものへ捧げたるなり
至純の愛を貫けるなり
然るにその身は南溟の果てに沈み
将また瘴癘の山野に草むすや
無惨言うべからず
親ならば
花の筵に白絹の衾
せめて夢なりとも
可憐なる大和撫子 愛しの乙女と
永遠の契りを結ばせ給えと
神に祈り仏にも願わん
親ならずとも
我らが人生 戦後の来し方を思えば
兄らを慰むるに千言万語も遂に空しからん
兄らみどりなす黒髪 白妙の柔肌
流るる血潮の熱きにも触れず
めくるめく青春の陶酔も知らず
哀れ独り寝の 夢路の果ては何処ぞ
父母おわす故郷は
はらからと睦みし 懐かしの我が家か
朋友と遊びし山川か
或いは出撃を前に
春宵一刻
紅灯の巷に遊びしこともあらん
秋の夜長をかりそめの
恋に戯れしこともあるべし
されどその儚きや その儚きや
哀しみにこそあれ
人の世の歓びと言うに当たらず
ひたすら修練に明け暮れ
更には特攻を志すや
ただ死して祖国を守らんが為にのみ
我と我が身を鍛え抜きし兄ら
可惜二十有余才の春に散る
人これを散華と言う
その言の葉は春風に散る花の
風情に譬えて雅なれど
その実は 凄愴 悲惨 酸鼻の極み
手足は飛び散り 肺腑裂け
血潮の海に息絶えしか
避くるに術なき紅蓮の炎
身は焼け爛れてぞ果てにけるか
もがけど詮なき大海原に
艦諸共に呑まれたるや
瞬時に微塵と砕け散るは
なお以て瞑すべし
されど特攻発令より突入まで
無間地獄の苦しみは
筆舌尽し難しというも愚かなり
兄ら何を思い何を祈りしや
死出の旅路を親にも告げず
なお莞爾として帽を振る
白きマフラーのその胸のうち
赤き血潮も凍らんに
眉宇もさやけき祖国愛
鬼も哭くべし神も哭くべし
若し我が子なりせば如何にせん
今能く吾人の耐え得るところにあらず
しかも兄らの奮戦遂に空しく
祖国降伏のやむなきに到る
而うして兄らの血もて贖いし平和
その故に祖国は無上の繁栄を手にすれど
いま民は暖衣飽食のうたかたの贅に惚け
治者盗を重ねて腐肉の汚臭を放つ
然るに何ぞ
兄らを遇するや弊履を見るが如し
國社頭に宰相の影を見ざるは
その一例に過ぎず
外に戦いの惨禍を謝するはまた良し
然れども内に歴史の真実
殉国の勇気を伝えずんば
民族の興隆 遂に砂上の楼閣を築くにも似ん
我ら亦非力にして為すところ無し
その無念言うべからず
思えば烏兎怱々の五十年
暗雲は天に満ち 狂瀾は海を覆いて
戦局正に急を告ぐる昭和十八年 秋九月 爾来 征戦二年に満たずして
忽ち期友の大半を失う
惜しみても惜しみても なお余りあり
かの戦いの日々
共に歌いし同期の桜
同じ九段の春の梢に咲いて会はんと誓いしに
我ら荏苒馬齢を重ねて古稀に到る
誠に忸怩たり
許せ兄らよ 兄らよ許せ
露にも似たる人の世なれば
また会う日とて須臾の間
されば今 有志ここに集い
ご遺族と共に海に向かいて祈る
兄ら安らかに眠れと
また願わくば
鳥よ魚や 期友を探せ
波よ潮よ 期友に届けよ
我らが献ずる手向けの花手向けの品々を
更にまた空に向かいて祈る
在天の英霊来りて受けよ 我らが微衷を
今十三発の弔砲と
鎮魂の曲 国の鎮めを捧げまつらん
さらば期友よ!
ロングサインで別れを告げん!
また会う日まで
(これは平成5年11月8日夕刻、沖縄北方海面に於ける、戦没期友の洋上慰霊祭祭文である。その切々たる語り口は参列者の大いなる感動を呼んだ。)
以下名村英俊の投稿記事である。
「彼は読み終わった後、自ら精魂込めて謹書した長尺の巻紙を、静かに海に投じた。折から西天の暗雲は茜の残照を遮って、波ようやく高く、船尾より白く沸き立つウエーキは、巨大な光芒となって南に走る。黒と茜と白の織り成す乾坤は悲愁の気に満ち、飛鳥の高速21節は飄々たる海風となって耳朶に迫る。それは恰も鬼神の哭くが如き情景のなか、墨痕鮮やかなその巻紙は、白く輝く竜神にも似て、一度は身を翻して中空高く舞い上がり、そして再び別れを惜しむかのように、ゆっくり暗いわだつみの彼方へ消えていった。思わず熱いものがこみ上げてくる一瞬であった。」