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100号


平成
21年度湘南なにわ会新年クラス会記

上野 三郎

 

恒例の湘南新年クラス会が、1月4日正午より初詣客で混雑する鎌倉市小町通りの「二楽荘」で開催された。年末より続いている晴天のお陰で気温も11度とこの時期としては暖く、24名の出席者(昨年25名)で賑やかに開催された。

 先ず戦没者及び戦後物故者に対する黙祷、開会の辞、左近允氏より昨年なにわ会代表幹事を無事務め終わったお礼を交えての新年の挨拶と乾杯の音頭があり続いて親睦会に入る。

 女将より「二楽荘でのこの会合も今年で35回目になり、二楽荘としてもとても嬉しく、いつも特別のおもいで感謝の意を込めて御もてなしをさして頂いております。」と挨拶があった。(湘南にわ会は昭和41年がスタートで今年が第39回目となるようだ)

 冒頭伊藤正敬氏より、今会報100号の編集を進めており、既に180頁を超える情況だが、これが最後となる故全員なにがしかの投稿をお願いしたい、6月の永代神楽祭の参加の呼びかけは各員宛通知するのでなく会報で知らせ出席者より自発的に返事を受けるようにする、また、昇殿参拝後の直会は検討課題にするとの発言あり。
 後藤寛氏より73期の会報に投稿した記事を配布し近くの鎌倉鶴岡八幡宮境内の鶴岡幼稚園に安置されている「さざれ石(石灰質角礫岩)」について石灰石が雨水で溶解され生じた乳状液が小石を凝縮して「君が代」に詠われているように大きくなって岩に成長したもののだと説明があった。

久し振りに出席した山下誠氏よりは、戦後北スマトラの開発に関わって来た経験から大東亜共栄圏の理想が達成出来なかった事は惜しい事だったとの述懐があった。

その他幸田正仁氏より樋口直氏の先祖は徳島の有力な藩士であり今の徳島駅の近辺がその所領であった等彼の生まれ故郷の徳島の武士の勢力図の説明があった。

紹興酒で気分の良くなったところで、相澤善三郎氏より「広瀬中佐」の軍歌に始まりいつもながらの硬軟取混ぜた美声の披露があり、また幸田正仁氏の渋い歌も続き一同聞き惚れ、その他の諸氏の飛び込みもあり大いに盛り上がった。この種の会合で有り勝ちな病気等のじめじめした語らいは殆ど無く威勢のよかったのがよかったと思はれた。

2時間半に及ぶ会合も市瀬文人氏の締めの言葉で「来年の再会」を誓いあってお開きになった。