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100号

 

最近思う事

 五郎

 

 

新しい提案

 平成20年3月3日、福田総理はイージス艦愛宕と衝突沈没した漁船清徳丸の犠牲者親子宅へ弔問した。一国の総理自らが何とも鄭重きわまる対応である。

 不肖にして未だ嘗てかような事例は承知しないが、遺族の痛みはそれでも癒えないことであったろう。

 然し一方、福田総理は靖国神社には一向に足を運ぼうとはしない。

 明治維新以降の対外戦争の戦死者の慰霊については政府の責任は既に時効、あとは宗教法人である國神社が宜しくやればよいとのお考えであろうか。   

 憲法がどうの、関係国の思惑がどうのと大変な気配りのなされようである。

 それはそれとして、今回も事故後、非は総て自衛艦の側にありとしてまくし立てる野党の責任追及に、担当大臣である石破防衛相の応対振りはまことに真摯真剣、見ていて気の毒なくらいである。

 更に恐れ入ったことには、日本では卓越した論客の一人と思っていた東京都知事石原慎太郎までが、平成20年3月3日の産経新聞に、恒例の「日本よ」と云う論説欄で“無法の海”と題した一文を発表している。

 その言わんとするところは今回の事故に関し、「石破防衛相の国家防衛という崇高な業務に携わる者の自負が自惚れになったのではないか」との指摘を肯定している。

 その一方で恐れ入ったことに、日本はヨットや水上バイク等のマリーンレジャーに関し、「海を扱う仕事は軍事と漁業からさらに、マリーンレジャーに拡大されてきているが、それに携わる人間の資格は同等のはずだ」と断言している。何と云う思い上がりであろうか?

 前言の中に、海上交通や海洋資源の開発という国家国民にとって、もっともっと重要な仕事も含まれなければならないと思うが、これらについては言及されていない。

 更にまた、海で生存のための糧を求めざるを得ない人間と、海をレジャーの場に利用しようというだけの人間が、全く同等であるとは何としても解せない。   

 私はこんな彼に、石破防衛相を非難する資格があるか、これまた甚だ不思議である。

 単なる地方自治体の長に過ぎないとは云いながら、東京都知事ともなれは、世界的にはその辺のヘッポコ閣僚以上に著名人でもあり、また、有力なオピニオンリーダーの一人でもある。

 その彼にして斯かる意見を発表するのなら、その真意が奈辺にあるかは読者のご判断に委ねるとして、私も負けずに一つ妙案を提示してみましょう。

 ずばり!陸海空三自衛隊を民間に払い下げ夫々、陸上、海上、航空警備会社にしてしまえば宜しい。    

 そして夫々の警備会社は外敵に対し、正当防衛の範囲内で武器の使用を認められるのは当然のことでもあるし、いわば専守防衛の自衛隊以上に、対外的には脅威にならない。 

自衛隊員は民間警備会社の社員となる訳だから、危険の度合いが報酬と見合わないと思えばどんどんストライキをやればよい。

 それも嫌ならさっさと辞めればよい。会社も、役立たずは、どんどん首にすればよい。会社がやつていけなければ低賃金で外人を雇えば宜しいと、マアこんな具合にやれば内閣総理大臣閣下も随分と気がお楽になるのではないでしょうか?

 

えひめ丸の沈没地点に定点浮標を

 

 日本中を震撼(しんかん)させたハワイ沖、えひめ丸の沈没は、確かに信じられない大事故である。遭難者はもちろんご遺族にも慰めようが無い。

 然し、この事件はご遺族にとつては非常事態であったかもしれないが、これを国家の非常事態であるかのように騒ぎ立てたマスコミや一部政治家の不見識には言うべき言葉がない。

 国家の非常事態とは国家主権が侵害される場合の他、変事のため更に起り得べき危害が予測できない場合や、既に発生した被害が、単なる事故の規模を超えて、一般国民の多数に及ぶ可能性のある場合を言うべきである。

 今回の事故の原因は、何れ明らかにされるであろうが、そこに米海軍の過失や怠慢があったとしても、故意があったとは絶対に考えられない。

 如何に原子力潜水艦といえども、無闇矢鱈と水上船舶に体当たりを出来るようには造られてはいないのである。

 又、えひめ丸の船体を引揚げよという遺族の要求は、遺族の身になれば当然の心境と同情の念に耐えない。然し一般的基準から考えると、天文学的とも思われる程の大金を使い、しかも自然破壊の可能性が高いえひめ丸の引揚要求は、余りにも感情的であり相手が悪いのだから当然だとしても、必ずしも最善の策とは考え難い。

 大東亜戦争(へき)頭、日本海軍の真珠湾攻撃は、外務省の怠慢によって(だま)しうちの汚名をきせられたが、攻撃により沈没させられたアメリカ戦艦アリゾナ号は、今も戦死者を祭る聖なる墓苑として真珠湾内に着底したまま、記念艦として保存されている。

 えひめ丸についても沈没地点が判明した段階で、このアリゾナのように慰霊の為の記念船として保存してはどうか、という意見を新聞誌上で拝見したが、その後その意見は立ち消えのようである。水深六百メーターの海底ではどうにも致し方ないということであろうか。

 そこで私はこの際、えひめ丸沈没海面に慰霊の為の、定点浮標の設置を提案したい。

 莫大な費用がかかっても、仮に船体の引揚げ、遺体の回収に成功すれば、確かに一時は遺族にとってかけがえのない慰めとなるであろう。然し、遺骨は、何れは墓地に葬らねばならない。何時までも遺骨を手元に置いておく訳にはいかない。いずれは辛い別れの時が必ずやってくる。

 そして墓地に葬られれば、改めてここに詣でるのはごく少数の関係者と身内に限られてくる。やがてこの事件も世間一般からは、忘却の彼方へと姿を消してゆくであろう。

 それより、えひめ丸の沈没海面に浮標を設置すれば、この海域を航行する多くの人達が、必ずこの悲惨な事件を思い出し、改めて事故の再発防止とともに、犠牲者の為に祈りを捧げるに違いない。

 私にはこの方が問題の多い船体の引揚より、はるかに賢明で、過ちを犯した人に対しても寛容であり、そのことがより深く彼等に悔悟(かいご)の気持を深めるに違いないと信じるものである。

 問題は定点浮標である。水深の浅い港湾や内海水路と違い、水深六百メートルのえひめ丸の沈没地点では、一般的な(けい)留式の浮標の設置は技術的な問題が多いと考えられる。それより人口衛星を使い、海面上定点を維持できる装置を搭載した浮標を開発すればよい。今の科学技術を以ってすれば、こんなものは訳も無いはずである。

 動力には周囲に太陽電池を浮べてもよい。従来型の内燃機関や蓄電池を使うなら、定期的に燃料補給や充電をせねばならないが、引揚げ費用に較べれば只みたいなものである。

 金だけで済むことではないが、さすれば遺族への補償も、多少でも有利と考えられる。

 然し、政府や国民、そして遺族や関係者の方々にも、一言申し上げたい。

 それは、戦後半世紀以上を経過した今日でも、ハワイ周辺に限らず、太平洋の各地には、祖国のために戦った無数の同胞が、水漬く屍となって放置された侭であるということである。    

 

沖縄復帰三十周年に思う

 

 沖縄の痛みを分かち合おう国民運動の必要性! 

今改めて、大田中将の悲願を全国民に知らせよう。             

 平成14年6月、沖縄は悲願の本土復帰30周年を迎えようとしている。然し日本は、この節目の年に当つても、ワールドサッカーに沸き立って、沖縄のことなど何処吹く風という有様である。

 云うは易く、行うは難きことは云うまでもないが、万難を排して、せめて公式戦の一つでも沖縄で行えないか。それが日本国民の同胞愛というものではなかろうか

 それが世界に沖縄の問題を改めて提起することにならないだろうか。

 昨年秋のニューヨークのテロ事件以来、沖縄の存在価値は更にその重要性を深めた。

 アメリカの軍事的基地としての沖縄は、一旦緩急あれば、平和憲法がどうの、戦争放棄がどうのなど、平和呆け左翼人の寝言など、歯牙(しが)にもかけない厳しさの一面を垣間見せたのである。

 一体沖縄の根本問題は何か

 それを一言でいえば、沖縄は、駐留地域は勿論、実質的には米軍の占領下にあるということである。

 軍事的に考えれば、米軍にとつて沖縄本島の全部を占拠する必要はない。平時はいざという時の軍事行動に必要な地域のみ確保されてあればよいのである。

 成程、平和条約の締結、施政権の返還、日米安保、そしてその部分的な改定等、米軍の駐留は虎が猫の皮を被って一般国民にはたいしたことに見えない。現地の住民には堪え難い苦痛であっても精々騒音被害と犯罪事件、特に性的暴行事件程度としか感じない。

 外征兵士の性的暴行は洋の東西古今を問わず、性的抑圧を強いられた若者の必然悪であって、問題は飽くまで治外法権的基地の存在そのものである。

 この基地は云うまでもなく日本の無条件降伏に由来する。日米安保は基地の占領状態を合法化するための隠れ(みの)に過ぎない。

 想起すれば、今次大戦の悲劇は、南(めい)北洋の島々はいうに及ばず、本土各地の空襲被害、果ては廣島、長崎の原爆と、その惨禍は言語に尽くせない。

 幾多の将兵が万(こく)の恨みをのんだ玉砕の島々も、硫黄島を除いてその総てを失った。北はアッツ、南はマキン、タラワからサイパン・硫黄島の玉砕まで、悲劇の数々は語り尽くせない。

 然し、沖縄のように多数の一般原住民をも捲き込んで、しかも逃れる余地の無い小さな島での凄絶な地上戦、本土防衛最前線の(とりで)として戦った三ヶ月の苦難は、洋の東西、古今の歴史にもその例を見ない悲惨の極みである。

 勿論アメリカも相応の血を流した。いや彼等にとつては、想像し難い程の出血であったろう。

 戦いが終わってからも、当然この戦いに参加した兵士、戦死者の遺族を含む同時代のアメリカ人が、その心底では沖縄を自分達の血で(あがな)った土地だと考えることを誰も否定することは出来ない。

 我々日本人にとっては許し難いことであつても、彼等にとっては当然の思いであつて、基地の存在はその延長線上のものである。

 平和条約締結に際しても、即時沖縄の全面返還等は論外の沙汰であった。

 血で(あがな)ったという生々しい記憶は、或は時の流れと共に多少とも薄らぐことはあっても、歴史的に当然とする既得権意識はそう簡単に無くなるものではない。

 まして、今やアメリカにとつて沖縄の基地は、世界を制御する為に、他にかけがえの無い地理的に極めて重要な戦略拠点であり、そして今や、最も従順にして忠実なる同盟国である日本の安全保障は、アメリカにとっても重要な世界戦略の一つでもある。

 成る程、条約締結時は、冷戦の緊張下にあり、わが国の自衛力の欠如とソ連の侵略的動向を考慮すれば、如何に左翼の意図的扇動による国民の情緒的反米感情と平和志向があろうとも、日米安保は賢明にして且つ、やむを得ざる選択であったと言えよう。

 軍国主義、絶対的天皇制の打破、そして民主主義的平和国家の建設と経済の再建等、戦後の復興にアメリカの果たした貢献は論をまたないところであり、日本の発展の為にはアメリカとの友好関係は当然のことであった。

 かくて米国は日本の要請に応えるかたちで、充分にして且つ必要な基地の確保が可能であった。

 然し当時の仮想敵国であったソ連は崩壊し、極東におけるその軍事的脅威は、今や北朝鮮と中国が最大のものとなった。

 朝鮮のミサイル、中国の潜在的戦力も、軍事的脅威であるには違いないが、近代戦の勝敗が最終的にはその科学的技術力と、生産力に左右されることから考えると、その脅威は冷戦時代とは比較にならない。

 それでも日本がその経費の大部分を負担し、一方、米軍の方は大きな顔で、駐留しているのは一体何のためか。

 同じ同盟国でもNATO諸国がどのように駐留経費分担をしているのかは、不肖にして詳知しないが、NATO諸国に比較し、我が自衛隊には自分の国を防衛するだけの力が充分でないということか。

 それとも装備や組織としては充分であるが、事に望んで士気や法整備に問題があると云うのか。

 しかもアメリカがデモクラシーとヒューマニズムの旗を掲げて世界に行動するとき、その根底でアメリカの国益、世界支配に対する思惑が見え見えであっても、非核三原則など糞食らえとばかり、日本が阿諛(あゆ)的にこれに追従するのは何の為か。

 これらの疑問に対する答えは、いとも簡単である。

 第一はアメリカに対し無条件降伏したという潜在的敗者意識。

 第二にはアメリカから押し付けられた平和憲法を逆手に取って、自らは武力行使をしない、敢えて火中の栗は拾わない、金は出しても血は流さないという、しっぺ返し的な功利意識。

 第三にはアジアの諸国に対し、潜在的には欧米列強の帝国主義的侵略よりの解放、独立に貢献をしたという優越感と同時に、反面では所詮勝者の論理に過ぎない東京裁判史観に基づく自(ぎゃく)的罪悪感。

 これら潜在意識に動かされ、国家としての自主的な行動が取れないのである。

 これらを最も卑俗な云い方で表現すれば、アメリカ旦那に対する(めかけ)性の一言に尽きよう。まことに情けないという他ない。

 唯一の被爆国でありながら、原爆の非人間性を、国家として主張できないというに到つては、妾根性は愚か、乞食根性と(さげす)まれても然るべきである。

 ナチスのユダヤ人迫害は盲信による暴挙であるが、原爆による無差別殺(りく)にはそのような思想的根拠はない。

 無抵抗の民間人を虫けら同然殺戮した、このナチスを上回る非人道的罪悪にたいしても、アメリカは謝罪の一言も無い。

 原爆と基地問題とは一応別のこととしても、沖縄の諸問題に対する政府の対応は全て、「先ず安保条約ありき」という前提条件から始まっている。

 アメリカに沖縄が占領されて以来のことは、臭いものには蓋、たてまえ、きれいごとで対応、そして施政権の返還により、ここから新たな歴史の流れが始まったとしている。

 返還以前のことはどうにもならんことで、仕方がないという考え方である。

 ここに歴史認識の大きな断絶がある。

 確かに施政権の返還に沖縄の人々は歓喜した。政府も沖縄返還をかち得た事は、外交的に最大の成果であったとしたが、然しその歓びもつかの間、やがて沖縄の人々の心には本土や政府に対する絶望と不信感が湧き上がってくる。蓋し当然のことである。

 何故か?

 時の佐藤総理は沖縄返還をもって日本の戦後は終わったとしたが、沖縄の人々にとってはようやく戦争が終わったに過ぎない。 

 これからが戦後の始まりである。彼らにとって基地が無くなるまで戦後の終わりは無い。

 斯くも大きな歴史認識の違いを覆い隠し、沖縄基地の存在を当然の既成事実とし、歴代政府は国家権力をバックに、飴と鞭の金権主義で対応してきたのである。

 そこに欠如したものは、沖縄の人々が本土防衛の為に自らの血を捧げて尽くした愛国心に対する、尊敬と感謝の気持ちではなかったのか!

 平和憲法を頂いて、愛国心即軍国主義であるかのような認識のもと、戦後の教育は歴史の真実を伝えていない。

 沖縄の人々の愛国的行動を単に軍国主義の犠牲としかみていない。

 従って、そこにあるものは憐憫(れんびん)と同情の気持ちであって尊敬と感謝の気持ちがない。

 特に国民に感謝の気持ちの無いことが沖縄問題を更に難しくしているように思えるのである。

 沖縄の山野には今なお草むす(しかばね)、珊瑚礁の大海原には水漬く屍が敗残の恨みをのんで横たわっているという。兵士のみではない、数多沖縄住民の尊い血の痕が染付いているのである。 

 沖縄県民が本土防衛の(さきがけ)として如何に戦ってきたかを、今こそ振返って見直すべきではなかろうか。今こそそれを全国民に問い直すべきではなかろうか。

 そこで想起されるのはかの有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という電文である。かの有名なとは沖縄戦のことをよく知っている世代までのことで、所謂戦後派の人には無縁の事かも知れない。それだけに、尚更声を大にして世に問うべきではなかろうか。

 この電文は海軍沖縄根拠地隊司令官大田少将(戦死後中将)がその玉砕自決を前に、しかも戦闘苛烈を極める最中、自ら起草された戦史に不朽の名文である。沖縄県民の愛国心とその悲惨な最後を伝え、涙無くしては読み得ない。(本分末尾記載)

 電文は時の海軍次官宛にはなっているが、本心は昭和天皇に対する切々たる願いであったに違いない。不幸にして戦後天皇の権威は失墜し、悲願は正に悲願でしかない。           

 仁愛の将大田中将の悲願を伝えるよすがも、今は誠に寥々(りょうりょう)たるもの、僅かに現地海軍壕の記念碑と、地元有志が建立した千葉県長柄町生家の門前にある顕彰碑、最近では大田中将五十回忌に際し、もと新聞記者の田村洋三の筆になる伝記本ぐらいが著名であるに過ぎない。

 何年か前、終戦記念日を迎えるに当り、大田中将十一人の遺族の消息がNHKで放映されたが、沖縄問題を再考するに、意義ある企画であったといえよう。

 そして、昭和天皇最大の痛恨事は、戦後遂に沖縄訪問を果たせなかつたことでなかろうか。左翼過激派の暴挙を(おそ)れて、宮内省をはじめとする役人共が、天皇の希望を無視し、専ら自分達の責任回避の為、実現を阻止したであろうことは疑う余地もない。

 今改めて全国民が沖縄の痛みを思うべきである。

もとよりマキン、タラワをはじめとし、サイパンまで、民間人の犠牲を伴った無念の玉砕戦は多い。ただ、その犠牲の多くは原住民というより内地からの移住者であった。

 これに反し、沖縄は先祖伝来、墳墓の土地で、しかも本土防衛最後の砦としての凄愴な戦いを強いられた。

 沖縄では、青壮男子の召集徴用は云うに及ばず、鉄血勤皇隊や姫百合部隊に象徴されるが如く、うら若き少年少女まで、後方支援や看護の重責に任じ、補助要員として、いわば軍と共に戦って玉砕したのである。

 内地空襲による受動的被害とは些か状況が異なる点に思いをいたさねばならない。

 更に重大なことは沖縄戦末期における局所の戦闘で、本来軍が守るべきこれら住民を、戦闘の邪魔もの扱いして、軍の戦闘員が我が身の安全を図ろうとした数々の事例が語られていることである。

 例えば洞窟に潜み敵襲に備えている際、幼児の泣き声が洩れるのを恐れ、母親にその殺害を命じたり、傷病人や老人子供を戦闘行為の邪魔だとして自害を強要、或は殺害等の悲惨事は、まさに狂気の沙汰である。 

 沖縄県民が戦後甚だしい反軍思想を抱くようになった原因の一つは、この辺りにもあると考えられる。

  然し考えてみれば、沖縄に展開した我が陸海軍は、必ずしもその総てが現役パリパリの精鋭部隊であった訳ではない。

 戦史の類を調べてみても、その兵役編成の詳細はなかなか判らないが、沖縄地上戦が始まる当時の兵員配備は、陸軍は約八万六千四百名、歩兵弾薬は0,6会戦分、砲兵弾薬は0,8会戦分と云われている。

 つまり、まともにドンパチやれば一会戦途中でお手上げという始末である。

 装備も悪ければ兵員素質も到底精強とは云い難い。

 海軍は約一万、装備は陸軍に較べ大分ましだったようだが、当時の戦局から考えて、陸海軍とも補充兵や年配の応召兵も数多く配属されていたものと思われる。 

 いわば彼等はこの間までは、沖縄の住民と同じく民間人として、何とか早く戦争が終わらないかと願っていた人々である。

 つまり無理矢理軍服を着せられた民間人が、無理矢理沖縄へつれてこられて、装備も補給もままならぬ絶望的な戦を強いられたのである。

 この間まではただの民間人であっても、兵隊になれば兵隊の理屈がある。 自分は生きて戦わねばならない。戦う為には先ず生きねばならない。

 その一方で、生きて虜囚の辱めは受けずという思想が強要されていた時代でもある。  

 そこで足手まといになり、どうせ最後は敵に殺されるのなら、傷病兵や老幼弱者の民間人に対し、心を鬼にして自殺を強要したり、或るいは自分達の手で、死なせてやろうとしたことは、何も沖縄戦だけのことではない。

 結果論としてそれは、自分達だけが生き延びたかつたに過ぎないと云う事であったかも知れないが、然し、その当時、その現場での狂気の出来事を審判できるのは神のみである。このことだけは沖縄の人々にも理解して欲しい。

 戦争の語り部も、この狂気の心理的葛藤については語るにも語り尽せない。

 語っても今の世代に理解させることは不可能に近い。戦場の異常心理は到底、平和な時代の茶の間で論ずるようなものではない。

 戦後偏向教育の結果は、民族の魂、民族の誇りというものを弊履の如く捨て去り、一般の国民にとつては沖縄の戦い等、単なる遠い歴史上の出来事にしか過ぎないとしか感じなくなった今日、もとより沖縄問題の根本的解決は容易なことではない。

 現地の沖縄といえども、戦争を知らない世代の増加とともに、惨禍の痕跡は物心両面とも次第に風化して、解決策は専ら政治的経済的次元で求められようとしている。  

 それはそれで現実問題としては誠に大事なことである。然しそれは飽くまで一時凌ぎの対症療法に過ぎない。

 軍事的基地として沖縄を絶対確保の必要があるとするアメリカの、征服者的権益的意識が残存する限り、そして又、沖縄の人々の愛国的行為が正当に評価され、且つ正当に報いられてないという不満、沖縄だけが特別に大きな米軍基地を抱え、その危険性を負担しているという不公平感が潜在する限り、根本的解決は至難の事である。

 勿論この県民の深層心理に潜む反基地感情と、平和運動にかこつけた左翼の扇動的反基地闘争とを、同一視することはできない。

 又戦時中の県民の愛国的戦闘協力とその功績を称えることが、即軍国主義賛美や即反米というものでもない。

 自国が外敵の侵攻を受けた際、自ら国を護らないような国民をアメリカは尊敬しない。

 アメリカと戦って敗れたことはよかつたかもしれないし、戦ったことは馬鹿だったかも知れない。

 然し、戦ったことを恥じることは毛頭ない。そして、歴史の真実、沖縄県民の勇気と功績、その犠牲的愛国心を全国民に正当に伝えるべきである。

 そして、その事だけが迂遠ではあるが、真の沖縄問題の解決策である。

 

 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ」 という大田中将の切々たる遺志を、今こそ改めて全国民に訴えなければならない。

 そして、沖縄基地の根本問題を全国民が理解し、沖縄の痛みを分ち合わなければならない。その為の国民運動の必要性を痛感するものである。

 

(六月六日・大田司令官の発信文)  

 〇六二〇一六番電

 左ノ電ヲ次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ、県ニハ既ニ通信力ナク、三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付キ、本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ、現状ヲ看過スルニ忍ビズ、之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ 

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於イテハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下 □□□風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ジアリタリ 

而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦炊事婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ

所詮 敵来リナバ老人子供殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙(どくが)ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重病者ヲ助ケテ□□ 真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ 

更ニ軍ニ於イテ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 

之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレテ御奉公ノ□□ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ□□□□□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□□□□□□

一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂ウ

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別御高配ヲ賜ランコトヲ

(通信状況悪く□□の個所等意味不明の部分あり)

 

この一文、誠に・・の歯ぎしりの感が深いが、往時、親しく大田中将の身辺に仕えたことのある千葉県海交会名誉会長白鳥正吉氏の慫慂(しょうよう)もあり、同氏編纂の文集に寄稿したものである。

 また、折からの総選挙に際し、元法務大臣を務めた地元代議士臼井日出男氏にも、彼の兄貴を通じ届けた筈であるが勿論無しの(つぶて)であった。

(共に大田中将千葉中後輩)