003号
高橋義郎中尉の出撃
深井 紳一(深井 良の甥)
「戦艦ミズーリに突入した零戦」光人社 可知晃著 という本の中で72期から艦爆へ行かれた、高橋義郎さんの出撃直前の一言が書かれていた。時任少尉と出撃の飛行場に駆け付けたその父とのやりとりを中心とした短い描写であるが、数時間後に確実に死を控えたと思えない、同僚偵察員の親を思いやるようなご立派な態度に感動を覚えたので紹介する。
両親との決別
国分基地の慰霊祭には、第一草薙隊・時任正明少尉(予備学生13期、中央大、鹿児島出身。4月6日、南西諸島海域にて戦死)の姉上の前田良子さんも、宮崎県から出席されていた。時任少尉は、99艦爆で、台地の上の第二国分基地から発進して行った。少尉の実家は、第二国分基地から北へ直線距離にして50キロくらいの、伊佐郡菱刈町本城であった。十三塚原特攻碑保存委員会編『鎮魂 白雲にのりて君還りませ』という、国分第二基地から発進していった特攻隊員の手記がある。ここに掲載されている時任少尉と両親との飛行場での別れの場面が非常に印象的で、以前から強く記憶に残っていた。早速、話が聞きたくて、鹿児島県の前田良子さんに電話をした。半世紀の時間を感じさせない、姉の弟を想う暖かな優しい気持ちが感じられた。
「国分の息子さんから電話です。」役場の小使いさんの呼び出しで、両親、祖母、姉は役場に急行した。出撃前の夜、国分基地から時任少尉の最後の電話だった。
父「正明か、往っておいで。家の事は何も心配いらない。立派に戦っておいで。成功を祈る」
母「正ちゃん、いよいよ往きますか。元気で往ってください」
姉「正ちゃん、元気でお往きなさい。心残りなく戦って下さい」
思い思いの声が受話器にすがる。
父「おばあさん、これが正明の最後の電話ですよ。良く聞いておきなさい。涙声をださないように」促されて、祖母は生まれて初めての受話器をとった。祖母「正ちゃん、明日発ちますか。行っておいで。そして元気に帰っておいで」
後は言葉にならなかった。電話は切れた。零時半だった。家に帰り大急ぎでご飯を炊き、おにぎりをつくり、身支度をして午前二時、両親は家を出た。夜通し、3里(12キロ)の道を歩いて、国分の宿舎である農学校に九時に着いた。時任少尉は、すでに五時半に宿舎を発っていた。両親は休む間もなく、さらに2里(8キロ)の山道を登って、ようやく飛行場の端に着いた。十一時十五分だった。次から次へと離陸する飛行機。何人かの人に尋ねて、広い飛行場を走り回り、ようやく発進直前の時任少尉機のそばに駆けつける事ができた。
父「正明っ!」
正明「はい、お父さん。来られましたか」
父、母「良かったね、間にあって。元気で往きなさい」
正明「有難う。お父さん、お母さん、体をお大事に。おばあさん、お姉さん、お兄さんによろしく。近所の方にもよろしく。何も思い残すことはありません。喜んで往きます」
すぐ伝声管で前の操縦士に話をすると、すぐ前の窓があいて、「高橋です。いってまいります」と笑顔でいった。第一草薙隊指揮官の高橋義郎中尉(海兵七十二期)であった。(時任少尉は、指揮官機の偵察員であった)
この日は同じ72期の艦爆搭乗員牛尾久二中尉、前橋誠一中尉も第一正統隊として沖縄の海に没している。