なにわ会戦闘機会報告
林 藤太
平成20年5月22、23両日、新庄幹事のお世話により第15回戦闘機会を開催した。
前日まで台風4号の影響で危ぶまれていた天候も、幸い快晴に恵まれ、真夏日を思わせるような好天だった。22日の午後、束から西から静岡駅を経由し清水駅に集まった会員達は、互いに久闊と元気で会えたことを喜び合い、迎えのバスで三保の松原の羽衣ホテルへ向かった。
思えば平成4年、潮来において第1回の会合を開き、神ノ池空跡を懐かしんでから、平成6年と9年をのぞき、毎年全国各地に集い、15回を数えるに至った。今回は昨年体調不良とかで欠席した石井晃が元気に出席してくれ、相変わらず会の雰囲気を盛り立ててくれた。ただ常連だった阿久根、多胡、宝納、松山およびご遺族山田一夫 (三郎の兄)と中西親子(建造遺族)の皆さんの出られなかったことが一抹の淋しさを感じさせた。
今回の出席者左記のとおり
(順不同 文中敬称略)
会員…相澤善三郎、石井 晃、市瀬文人 (水上機、あい子夫人同伴)、
岡本俊章、大村哲哉、新庄 浩、
遺族…粕谷 衝(仁司の弟)、河野恵津子 (俊通夫人)、吉田純子(俊通の娘)
竹内あい子、和子(茂の夫人と妹) 品川蓉子(弘の夫人)以上参加16名
ホテル到着後、それぞれ部屋に分かれて小休止と入浴、1830夕食懇親会。それぞれ現況報告やら想い出話やら暫し雑談。酔う程にカラオケ開始、相も変わらず 「同期の桜」「月月火水木金金」「戦闘機小唄」「ラバウル小唄」など昔懐かしい歌ばかり。有志による「武田節」「知床旅情」「人生峠」なども歌われたが、年老いた所為もあるのかカラオケは盛り上がらず、みんな話に夢中。2130頃お開き、それぞれ部屋に引き上げる。
翌23日、朝食後0900ホテル近くの三保の松原を散策、羽衣の松をバックに記念写真、晴天なのに霊峰富士は霞の彼方で全く姿を見せず、カメラを抱えた新庄の口惜しがること。
一同観光バスに乗車、東海大学海洋科学博物館見学、続いて日本平からケーブルにて久能山駅へ、一段ごとが倍も高い石段を何十段も昇って東照宮に参拝、ひと休みして日本平まで戻る。再びバスにて清水港へ、エスパレスプラザで遅い昼飯と土産物などのショッピング、1400出発、清水港へ来たからには、と清水次郎長の菩提寺(ぼだいじ)「梅蔭禅寺」に 立ち寄り次郎長及び子分達の墓に詣でて後、静岡駅へ1530到着。
後期高齢者の集まりではあったが元気溌溂意気軒昂、再会を約し、再会を楽しみに東と西へ。新庄幹事のキメ細かな計画と旅行実施に感謝しつつ無事終える事が出来た。
さて、今回大きな課題となったのは今後の会をどうするか、である。なにわ会にならって、本締めとするか、続けるか。現存者が24名となってしまった今、これからも続けようとの希望強く、さりとて年寄りの我々が企画や実行は覚束なく、幹事の発案により若くて元気な女性にお願いしては?に全員賛成。結論として吉田純子さんにお願いする事となった。彼女は父俊通君亡き後も夫人と共に毎回参加しておられ、若さのセンスとキメ細かな企画で老人達を楽しませてくれるだろうし、生前自宅を解放して懇親の座を作ってくれた俊通君も喜んでくれるだろうと勝手に考えてお願いした次第。純子さん!次回を期待しています。
(追記…前回の会合時、今回の幹事役を新庄と共にお受けしながら、昨年10月脳梗塞を患い、さらに12月顔面に感覚麻痺を起こし、下話しにも参加できず、新庄一人にお任せし、大変迷惑をかけてしまい申し訳なくお詫びいたします。)