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平成19年度なにわ会参拝クラス会記

中井 未一

 平成1967日恒例の慰霊祭が靖国神社で行われた。今年は気候不順のため心配された当日の天気は、曇天ながらも薄日がさすまずまずの日和に恵まれた。予定通り11時受付開始、続々と出席者が参集し11時半頃には略出揃った。

 12時過ぎ集合した参集殿より拝殿に移動、脩祓、献饌、祝詞奏上に続き、上野代表幹事から祭文奏上、次に2つのグループに分かれ本殿に昇殿、第一のグループでは生存者代表として上野三郎(兵)、遺族代表として岡野武弘氏、牛尾佐和子氏、次のグループは生存者代表として窪添龍輝(経)、遺族代表として関谷節郎氏が玉串を奉奠、一同英霊に拝礼して慰霊祭は無事終了した。

参加者はご遺族70名、生存者86名合計156名であつた。

次に神社から徒歩約10分のアルカディア市ヶ谷に場所を移し、予定より遅れ13時半過ぎから、ご遺族43名、生存者83名計126名が参加し、懇親会を開始した。上野代表幹事の開会の挨拶並びに「なにわ会の今後について」のアンケートの回答に関する報告があった。

次にご遺族を代表して岡野武弘様から「兄井尻文彦の戦死の報が入った時、母が号泣した状況が今も鮮やかに記憶として残っており、母がこの慰霊祭に欠かさずお参りしていたが、母亡き後、私

がその遺志を引き継いでお参りを続けております・・・・」と感激深いご挨拶、続いて献杯の音頭をとって頂いた。その後昼食をとりながらの懇談に移った。今回は席もゆったりとし落ち着いた雰囲気の会場で各テーブルでは話の花が咲き盛り上がったようであつた。1520分頃軍歌タイムとなり相澤氏の「広瀬中佐」等一同もこれに和し、最後は「軍艦行進曲」を声高らかに合唱した。

 以上で慰霊祭諸行事を無事終了、名残も尽きないが、来年の再会を期して1540分散会した。

 なお、5頁記載のご遺族より多額のご寄付を頂きました。厚くお礼申しあげます。

(追 記)

準備にあたり、昨年同様案内状の印刷、発送を始め参加者名簿、懇親会の席の配置等まで事務的な事は総て伊藤氏が処理してくれ大いに助けてもらった。

 また慰霊祭直前、蔵元氏が体調を崩し、急遽村山氏に代役してもらった。当日の受付は相澤、浦本、幸田、左近允、松下の諸氏に応援してもらった。これ等協力して頂いた諸氏に対し感謝申しあげる。

祭 文

謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期の英霊に申し上げます。

本日、茲に平成十九年度なにわ会参拝クラス会に当たり、ご遺族及び生存者一同新緑萌えわたる靖國の御社に昇殿し、神鎮まります御霊の間近かに額ずき慰霊の儀を執り行っております。

顧みれば昭和十五年十二月一日志を海軍に立て、海軍将校生徒としての一歩を踏み、爾来心身の鍛錬と学術の研修に励み、人間形成の大事な時期を輝かしい修練の中で過ごしました。

三年間の教育が終わるや、昭和十八年決意も新たに太平洋戦争の最前線に赴いたのであります。緒戦の優勢も国力、兵力の相違は如何ともし難く、戦局は日増しに熾烈となりました。諸兄は此の苦しい中、勇戦敢闘し、壮烈無比な特攻作戦まで敢行し、世界を震愕させましたが、大勢の挽回は遂にならず、敗戦の已む無きに至りました。

祖国日本の盾として従容死地に赴かれた諸兄の凛々しい姿は今も尚私共の脳裏に焼きついて片時も忘れることがありません。祖国の為とは申せ、若い命を紺碧の空に散華し、或いは滄海の底に沈まれたことは、ご遺族にとっても痛恨の極みであり、お慰めする言葉もありません。

戦後は不幸にも過去を切り捨て、総てを否定した無よりのスタートとなりました、幸いにして経済的には日本人固有の英知と努力により目覚しく復興と発展を遂げてきましたが、精神的には平和の美名に惑わされ、国を愛する心が廃れ道徳心も衰退し国家の基盤維持には憂慮すべき状態が続いています、然しこの状態も最近に至り特攻を主題にした幾多の映画が強い感銘を観る人に与え上映されている状況に変わって来たことからしても、又自己中心の戦後教育の見直しが図られようとしていることからしても、少しずつ正常な方向に是正されつつあるように感じています。

機微にわたる運命の違いにより生き残った我々は、生ある限り諸兄らが身を挺して示された愛国の至誠と自己犠牲の精神を後世に伝え国家の基盤安泰のため尽くすことをここにお誓い申し上げます。

願わくは在天の御霊よ 常しえに安らかならんことを祈念して祭文と致します。

平成十九年六月七日

なにわ会代表 上野三郎