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日曜のクラブでのスキヤキ

ある四号生徒の日曜日の日記  昭和十六年三月九日(日)
午前倶楽部ニテ「スキヤキ」ヲ食シ満腹。一四〇〇帰校。一五〇〇養浩館ニテタ食。一六〇五大講堂二入場ス。台湾総督小林大将ノ訓示アリ。要点左ノ如シ
一、精神力旺盛ナレ。体力ヲ作レ。
二、戦闘力ハ人力ト兵器カノ積ナリ。
三、海軍士官ハ他人ヲ以テ換フコト能ハズ。(以下略)
一七三〇 事業服二着換工 総員生徒館前二集合。生徒隊附監事魚野大尉激怒シテ日ク「本日小林大将ノ訓示中、神聖ナル大講堂二於テ事モアロウカ、嘔吐ヲ催シタ奴ガヰル。娑婆ニ於テハ食糧不足ヲ叫バレテヰル折柄、事局ヲ弁へザルコト甚ダシイ。時卜所モ考へズ暴飲暴食スルトハ言語道断以テノ外ナリ。
腹ガ減ツテハ戦サハ出来ンガ、腹ガ張ツテモ戦サハ出来ン。只今カラ腹ガ減ツテブツ倒レル迄、練兵場ヲ駆足スル。掛レ」
満腹時二於ケル体力測定?ヲ命ゼラル。練兵場ヲ大廻リニ駆クルコト約十回。約一万メートルニ及ブ。十名位ブツ倒レタルモノアリ。生徒ノ不面目此ノ上モナシ。今後ハ大イニ自粛自制セザルベカラズ。

これは作り話ではない。兵学校69期から72期の生徒の中には、この時のことを思い出されてニヤニヤしているご仁も多いと思う。とにかくよく喰ったものだ。日曜日の倶楽部は1週間の喰いだめの場所だったようだ。短剣のバンドをゆるめて腹を張って(胸ヲ張ッテデハナイ)帰校点検。もっとも兵学校には月曜カタルという特殊な病気(ナンノコトハナィ、要スルこ喰イ過ギニヨル下痢ナノデアル)があって、絶食を命ぜられると一日で治ったものだ。「腹が減ってもひもじうない」、「武士は喰わねど高揚子」というのが武士のたしなみとすれば、「腹が減っては戦きはできぬ」というのが生徒の叫びであった。
「記憶が薄れる一方ですので、スキヤキをしたことだけはハッキリと覚えていますが、どんな風にして食べたか? 全く自信がありません。一生懸命思い出しながら書いたのが、こんなものになりました」と佐藤画伯は謙遜されているが、どうしてどうして、この絵はなかなかの名画である。ハナ提灯を出して寝ている奴は明日はおそらく月曜カタルで青マークをつけたであろうし、目をむいて鍋に箸をつつこんでいる生徒は、うしろにあるミカンを全部平らげて、一万メートルを平気で走破し、魚野大尉をして唖然たらしめたであろう。

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