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海軍体操


終戦直後、昭和21年の秋だった。場所は横須賀線の二等車(グリーン車などというヤポったい名前ではなかった)の一隅。ふとみると「ユードゥシソ」氏がいるではないか、
「教官、お元気ですか。72期のものですが、生徒時代はお世話になりました。その後も海軍体操をやっておられますか?」「近頃はなあー、体操やると腹がへるもんだから止めとるよ」
海軍兵学校教官兼監事、砲術科長海軍中佐堀内豊秋などといかめしいことを言っても、ご記憶なき方もあろうが、ユードゥシソといえば(正確には誘導振と書くらしいが)、ああ、あの髭の教官、メナド落下傘部隊の隊長かと思い出される向きも多いはず。「爪先キヲ合ワセテ軽クソノ場トビ」に始まる海軍体操の創始者の一人である。

さて、このエードウシンに代表される海軍体操もいろいろあったようだ。
佐藤画伯えがくところの体操5態、いちいち解説をつけなくとも、3年間これになやまされた諸兄にはそれぞれ想像もつこうというものだが…‥・。
右上は、「体前倒」あるいは「体前屈」の図、図の如き肥満児にとってはかなりの重労働、脚くびを両手で持って頭を膝がしらにつけることも昔は軽々やってのけたものだが、今現在これが出来る者は姓名申告されよ。その下は、「一挙動膝屈伸」。弥山登山競技の前になると毎日毎晩、これをやらされたものだ。短艇競技前の「バック」とともに兵学校名物の一つ。その左は、ユードウシンの一節、「直角振、脚前出、膝屈伸」、号令も長いが何ともユーモラスなポーズにご注目。左下は「前を割れ?」という相撲の準備運動の一種。最近のダラシない角力取りに教えてやりたい位だが、それにしても芳紀正に18歳のわれわれにとって、何ともハジライ多きポーズでありつることよ。その上はいわずと知れた鉄棒の「逆あがり」大車輪とか空中転回とか、オリンピック選手顔負けの名手のいた一方、この図を見て、往事のおのが姿を思い出される向きもあろう。誘導振、水平振、直角振、上下振、体前屈、体後屈………要するに海軍体操とは屈振旋回運動の順列組合せみたいなもので、何処でも何時でも簡単に出来る。
サァー、皆さん「ツマサキヲアワセテカルクソノバトビ」始め〃
「腹がへっては体操も出来ん」と淋しそうに話しておられた堀内ユードゥシン教官は、昭和23年9月25日部下の責を負って戦犯として、蘭印メナドで処刑されたと聞く。兵学校50期、海軍大佐。謹しんでご冥福を祈る。

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