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五十年夢幻(6)
飛行学生沿革
 かねがね海軍航空の根幹であった士官搭乗員とその養成、即ち飛行学生の歴史についてまとめてみたいと思っていた。本稿は若干の史・資料と先輩からの聞き取りを基に、その端くれであった私の憶測を加えた極めて粗雑な代物であることをお断りせねばならぬ。

 士官搭乗員養成の方法は、時代によりかなり異なる。航空機の戦術的な使用法の変化に伴って制度・期間・人員・場所などが頻繁に異動している。艦隊の付属品に過ぎなかった大艦巨砲主義の時代から、次第に海軍の主力に変化する経緯をよく読み取ることができる。

 

(1)ファルマン会員 揺藍期の人達

 手許にファルマン会々員名簿、同会規約というのがある。「大正十年八月以前に飛行機の操縦術を修得せる海軍高等武官及同高等文官」が会員資格の第一条である。もっと具体的にいうと「海軍航空の創設期に、フランスより購入したモーリス・ファルマン水上機の操縦・整備にあたった航空術研究員(大正元〜5年)及び飛行学生(大正510年)で構成し、その親睦と海軍航空の発達に寄与することを目的」として、昭和11年に創設され、平成2年に解散した会である。

 兵学校のクラスでいうと29期から46期、機関学校の12期から24期がその会員。初期の人達にはドイツ、フランス、アメリカに派遣され操縦術を学んだ7人。例えば30期の金子養三大尉はフランスに留学し、モーリス・ファ

ルマン2機を携えて帰国、中島飛行機の創立者である中島知久平機関大尉は明治456月から大正元年12月までアメリカで勉強している。大正元年10月、第一期航空術研究委員4名が任命され、大正4年の第6期までに24名が航空機の研究を行ったが、その中には2期に和田秀穂(兵34期)、6期の大西滝次郎(40期)中将の名前が見い出される。

 大正54月、横須賀海軍航空隊が開設され、同時に第1期航空術学生5名(40期)が任命され横須賀追浜で訓練を始めた。ファルマン会々員の資格はその6期(大正107月卒業)までの53名だったようである。72期が飛行学生として霞ケ浦に入隊した時の司令、三木森彦少将(40期−1期)やクラスの粟屋徹君の父君真少将(41期−4期)、さらに71期の佐波真氏(草鹿校長作詞、生徒に示すの作曲者、飛行学生40期、3座水偵)の父君次郎氏(機24期)など、父子二代のパイロットの名前も見い出せる。

 要するに、ファルマン会の会員は、帝国海軍航空界の揺藍期の人達で、その後の発展期の基礎を築いた人達である。我々72期が戦列に加わった頃は、航空隊の司令や母艦の艦長から司令官クラスの人達で、既に現役を退いた人も多かった。

 なお、このファルマン会名簿・規約を保存する加来花子さんは、加来止男少将の夫人で鎌倉に御健在。加来少将は昭和1765日、ミッドウェイ海戦で飛龍艦長として山口司令官とともに戦死されたが、兵学校42期、航空術学生5期。なお、モーリス・ファルマン機は複葉水上機でルノー70馬力エンジンを搭載していたという。

 

(2)大東亜緒戦の指揮官たち

 航空術学生という名称は大正5年の1期から13年の11期まで用いられたが、12期から飛行学生行学生に改称された。また航空術(機上作業)学生という名称は大正12年の1期、13年の2期まで使われたが、14年からは偵察学生に改称、昭和4年に飛行学生という名称に一本化された(付表1参照)。

 さて、付表2には、昭和1612月の真珠湾空襲の各攻撃隊の隊長の兵学校と飛行学生の期を示した。総指揮官の淵田中佐は別格として、兵学校50期後半から60期前半、飛行学生は昭和7年卒業の22期から14年卒の31期であった(攻撃隊の最若年士官は66期ー34期であった)。

 これらの人々は既に上海・支那事変で実戦の経験を積んだ古参の搭乗員であったが、飛行学生時代の教育訓練過程をその人達の著作や追悼録等から探ってみよう。

 

50期生徒 13期学生 佐多直大

大正1161

 兵学校卒業(50期)、遠洋航海(ブラジル・アルゼンチン等)

大正12920

少尉任官、長門乗組、水雷・砲術学校普通科学生、常盤乗組

大正14921

飛行学生拝命(13期)霞ケ浦航空隊入隊アプロ陸上練習機で訓練(約4ケ月、20時間で単独飛行)

大正14121

 中尉に進級、中間練習機訓練、高高度飛行、霞ケ浦−各務原飛行

大正15529

飛行学生卒業、横須賀海軍航空隊附(13式艦上攻撃機専修)

 

 52期生徒 19期学生 源田 実

大正13724

 兵学校卒業、遠洋航海、水雷・砲術学校普通科学生、出雲乗組

昭和31215

 飛行学生拝命(52期の後期組)、アプロ初歩練習機で操縦訓練、16時間で単独飛行、初練は5ケ月、10式艦上偵察機で中間練習機教程、13式艦攻、13水練も操縦

昭和4121

 飛行学生卒業、横須賀航空隊(戦闘機専修)

(以下 略  なにわ会ニュース6936頁以降参照)

  

(なにわ会ニュース第69号36頁  平成5年9月)

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