TOPへ   戦記目次

昭和19年10月25日の羽黒の活躍

 私が昭和18125日から19930日まで勤務していた巡洋艦羽黒の砲術長浅井 秋生氏(海兵56期)の書かれた戦記からレイテ突入の191025日の羽黒の行動を転記した。
 羽黒は敵に一番近くまで進撃して攻撃している。          (管理者)

浅井 秋生

レイテ沖の海戦 空母撃沈

聯合艦隊長官からは「天裕を確信し、全軍レイテ湾に突撃せよ」の電命が下った。艦隊は東進を続け24日闇夜のサンベルナルジノ海峡を夜半突破、太平洋に出た。その途端に(はい)(ぜん)たるスコールに包まれ、咫尺(しせき)を弁ぜずという猛雨に見舞われた。このスコールは朝方まで続き、艦隊はその間に接線隊形に移った。

私はその頃艦橋の上の射撃指揮所にいた。昨日の戦闘の疲れからかグッスリ眠ったらしい。篠つく雨に起こされたが暫くして雨はやんだ。深呼吸を二つ三つして外を見ると朝はきれいにあけかかっていた。艦隊はレイテに向って南へ南へと進んでいる。

このレイテこそ一昨日来、重なる苦闘と被害とをわれわれに耐えさせた最後の目的地である。今日こそは東西から挟撃して覆滅しなければならぬ。

この時、左前方水平線上に点々と何かが見える。点々は左右に拡がり細長い棒数本が現われる。漁船にしてはおかしい。近づくに従ってマストらしいことが判り、さらに飛行甲板が現われた。まぎれもなく敵航母。旗艦大和にはするすると旗譌が掲げられた。

「全軍突撃せよ」今ここでは好餌敵空母に遭遇しようとは全く思いもかけぬことであった。まことに幸先のよい獲物である。艦隊は全速力をもって敵に接近した。

水上艦艇としては、今の今まで敵機動部隊は命取りの敵であったが、ここまで懐に飛び込んでしまえば、その立場は完全に逆転する。

砲戦、魚雷戦なると、何と言ってもこちらのものである。しかも今は、ぽっかりと出現したのである。全将兵は喜び勇み立った。その間にも彼我の距離は近づき、敵空母の甲板上からは、あわてて敵機が発艦しようとしているが、われわれの圧迫によってその発進も思うように行っていないらしい。

まず大和が轟然と発砲した。艦隊は、積年の怨を晴らすはこの時とばかりに猛然と突撃に移った。目指すは敵の空母である。巡洋艦・駆逐艦などには目もくれない。

敵空母は巡洋艦、駆逐艦に護られながら全速力で逃げてゆく。敵発見時全艦隊の先頭にあった羽黒は逃げる敵を追った。その距離は次第に縮まる。

敵空母の艦影は双眼鏡に大きく写し出され、羽黒は火蓋を切った。射撃用電探も優秀であり、敵必滅の一念が二十サンチ砲弾に凝集していた。つるべ打ちに砲弾を浴びせる。しかし、敵空母にはさしたる変化が起こらない。しかも弾着が見えない。時々命中弾らしい火花が見えるが、炸裂とか炎上とかの確実な効果が現われない。よく見ると徹甲弾が敵の船体をスポりと突き抜けている。

猛撃を受けた敵空母の船体はそれこそ蜂の巣のように破れていた。畜生!と思ううちに、敵の駆逐艦が羽黒目がけて突撃して来た。敵ながら天晴れである。空母危うしと見て身を挺して救援に来たのである。時を移さず主砲を駆逐艦に振り向けたが、主砲の二斉目にこの駆逐艦は朦々たる黒煙の中に包みこまれて姿を消した。この頃から敵機の攻撃がはげしさを加えてきた。一方敵の巡洋艦、駆逐艦は空母の一大事と盛んに打ってくる。落すなら落せ、射つなら射て、われわれの目指すものはただ空母である。しかしこの時またもや敵の巡洋艦、駆逐艦が煙幕を張って視認を妨害する。羽黒は目標を巡洋艦に向けて砲撃を開始した。こうして敵機をかわしながら敵巡洋艦を砲撃していたが――突如左舷から魚雷が走って来た。敵雷撃機が発射したのだ。「取舵一杯!」 辛くもこれを回避したと思った時、今度は右舷から一本の魚雷が走ってくる。近い。転舵してももはや及ばない。全身か凍る思い。「命中必至!!」と、いつまでたっても何のことはない。「或いは!?」と反対舷を見ると、雷跡は遠ざかってゆくではないか。助かった!魚雷は艦の中央機械室の下あたりを通り抜けたのであった。暫くして敵の空母四隻の姿が再びようやく現われてきた。この時重巡は羽黒に続く利根、鳥海。再び敵空母に対する猛撃が始まった。

羽黒は敵機の来襲を左右にかわしながら、空母群の一番艦に対し寸刻の休みなく射ちまくった。しかし、前と同様、効果があらわれない。じりじりしながら「これでもか!」「これでもか!」と打つうち「ピカッ!」と大きな火花が敵空母の艦首に見えた。思わず、「命中!」と口走る。

空母は次の瞬間火焔を噴き上げ、右に傾き始めた。更に一斉射。見る見るうちに敵空母は傾きずるずると沈んでいった。これを砲塔内で聞いた砲員達は心から万歳を叫んだ。羽黒はさらに突進んで敵空母を追った。打って、打って、打ちまくる。全員が火の玉となって砲撃した。この頃鳥海も落伍し、空母群を追うものは羽黒、利根の二艦だけとなった。

 

羽黒被爆

敵機の来襲は激烈だった。爆撃、雷撃を終った敵機は銃撃に来る。遂に敵機も爆弾、魚雷を使い果たしたのか殆んど銃撃を加えてくるだけとなったようである。味方もこれに対し猛烈に反撃し全艦の機銃を射ち上げる。彼我の火線は、あたかもわらぶき家の火事さながらに、火の子が縦横に馳せ飛んだ。ここで、羽黒と利根は敵機が襲って来ても、もう回避運動を一切しないことにした。千メートルでも二千メートルでも敵空母との距離を縮め徹底的に撃滅しよう。敵機は機銃にまかせてと、一路直進する。

この時、敵の一機が急降下に移った。全機銃弾が真赤な奔流となって敵機を包む。しかし、この敵機は腹からぽつりと黒いものを落した。

「爆弾!」われわれは完全に虚をつかれたのである。しまった!と臍をかむうちー 前部の二番砲塔に命中―炸裂、一瞬にして砲塔の天蓋は吹っ飛び、その後には、火焔と朦々たる褐色の煙りが渦巻いた。

痛恨の焼け火箸がぐいぐいと胸につきささる。何はともあれ、火薬庫の爆発を防がねばならぬ。

「二番砲塔弾火薬庫注水」を発令して艦長にも報告した。敵空母に対する攻撃の手は緩めることはできない。残る八門の主砲を続けざまに発射し、その激動はその度に羽黒を震わせ、耳をつんざくばかりである。

二番砲塔ヘの注水命令は下ったが、まだ誰も上甲板に現われない。注水ハンドルは上甲板にある。早く注水しなければならない。火薬が誘爆したら羽黒は轟沈だ。大艦陸奥の爆沈がフト脳裏をかすめてひやりともなる。

この時、二番砲塔の噴煙の中から一人の下士官が砲塔の後部に現われた。顔は爆発の火焔のために黒く焼けただれ、衣服はボロボロに破れている。彼はヒラリと上甲板に飛び降りた。飛び降りたものの、彼はその場に崩れてしまった。

続いて又一人、同じように黒焦げの下士官が飛び降りたが、また甲板に倒れてしまった。前後にある主砲は依然射ち続けている。暫くして、初めの下士官がうごめき始め、ついでヨロヨロと立ち上り、注水弁にたどりつき懸命に廻そうとするが、どうしても廻らない。時々艦橋を仰いで、何か訴えている。「注水!注水!」と叫んでいるらしい。そのうちにパッタリと甲板に倒れた。続く下士官もまた、重傷の身をむちうって注水弁に這い寄った。弁を廻そうとするが、焼けただれた手に力が出る筈がない。無常にも弁はいうことをきかない。なおも力の限りに廻すうち、ただれた手の甲の肉か弁の金具に喰い付いた。ハンドルを握りかえようとするが、その手が離れない。やがて力尽きたのか、彼は弁を握ったまま、弁にかぶさるようにして倒れていった。続いて三人目の下士官が降りて来たが、彼は、そのまま動き得ないで、注水弁の方を指したまま息絶えた。激戦の最中、どうしようもなかった。しかし二番砲塔の火薬庫は爆発しなかった。この間にも懸命の処置が続けられていたのである。

爆弾よる砲塔爆発とともに、その激動で火薬庫員は全員が気絶した。次に襲った爆発ガスは火薬庫に浸入し充満してゆく。火薬庫爆発の危機は刻一刻に追った。その時、火薬庫内にあった一人が意識を取り戻した。彼は、海軍に入って一、二年にしかならない若い兵であった。見れば送薬口から火薬庫へ煙とともに火焔が吹き込んでいる。彼は愕然とした。その火焔の下には次の射撃のために準備した装薬が裸のまま置いてある。装薬には伝火薬というものがつけてある。これは引火しやすい黒色火薬で、これに火がつけば強力な装薬が一瞬に爆発する。一発でも爆発すれば、そこには何百の火薬がおいてあるのだ、忽ち誘爆、一万トンの重巡でも木っ葉微塵に粉砕される。陸奥の二の舞以上である。

その危機が目前にある。何秒か、いや何分の一秒か。彼は突嗟に、送薬口の扉をピシャリと力まかせに閉めた。ついで一升びんにつめた応急用の水を、その裸の伝火薬と装薬の頭からザンブリとかけて、まず当座の安全をはかった。

これについて火薬庫にもつけられた注水弁を開き、艦底から火薬庫に水を入れ始めた。これだけの処置を的確にやった後、そこに気絶している三人を起してみたが身動きもしない。既に床を這う一酸化炭素にやられたのか心臓の鼓動は止まっていたのである。そこで彼は、念入りにいま一度火薬の状態と注水を確かめた上、火薬庫の外に出た。激戦はまだ続いている。彼はすぐさま隣の三番砲塔の火薬庫に移り、平然とそこの仕事を手伝っていたのであった。

こうして羽黒は、一発轟沈の危機を年若い一水兵の沈着、的確な行為によって救われたのである。

(注)前の砲塔の下士官といい、今この水兵といい、今もって忘れ得ぬ人々としてその名をメモに書き連ねておいたが長い間にメモを紛失した。どうしても思いし出せないのが残念であり本当にこれらの英霊に対し申し訳ないと思っている。

 

反 転

羽黒、利根は、なおも敵空母を追って攻撃の手を緩めなかった。見ればレイテの山々が薄黒く彼方に見えている。ここで敵空母の息の根を止めねばと思う時、四番砲塔から「弾丸がなくなった」という報告。だが、この時旗艦大和から「集まれ」を命じて来たのである。とわいえ、群がる敵機を振り払い、折角空母をここまで追い込んで来たのに、空しく反転するのは残念至極である。まだ幸に、魚雷という武器が待っていた。羽黒は利根を指揮して統一魚雷戦を行い敵空母目がけて全魚雷を発射したが、何といっても追打ちの対勢である。果して魚雷は無念にも外れてしまった。

羽黒と利根は、空母に心を残しながら反転し、追撃もここに打ち切られたのである。この時味方部隊は戦艦のマストが遥かの水平線に見えるくらいの後方にいた。いまさらながら、われわれ二艦だけが敵を無二無三に追撃し、遠く飛び出していたのには少からす驚ろかされた。

スリガオ水道からレイテに突入した扶桑、山城らの部隊は、攻撃に成功してくれたであろうか。艦隊は帰路についた。この頃になると敵機の来襲も殆んどなくなった。暫く北上するうちに爆撃を喰った筑摩が動かれず停止しているのを右に見、又暫くすると、撃沈された敵空母の乗員が多数海中に泳いでいるのを見、続いて鈴谷が敵機の爆弾命中、遂に爆沈する様を目のあたりに見させられた。そして、さらに暫く北上した頃、急に機銃が火を吹き始めた。「スワ!」と上を見たが、敵機二機が左上空から急降下に入って襲いかかろうとしている。ついで三個宛の爆弾が機体から離れた。自分の真上に落ちてくる。野球だったら、このフライは確かに手に受け止めてアウトに出来ると、瞬間そう思った。奇妙なことを考えたものだが、余りの激戦を続けて恐怖に対する神経が麻痺してしまったのだろう。

目は爆弾を追った。中部に命中?と思った時、艦が急旋回していた。爆弾は右舷ほとんどスレスレに落下し、高い水柱を吹き上げ附近にいた者はその水をかぶってびしょ濡れにさせられただけで済んだ。これも幸運だった。

艦隊はその夜九時半、再びサンベルナルジノ海峡を西に通過、二十六日夜明けには早くもシブヤン海からタプラス海峡に出た。この日敵機二回の来襲を受け、巡洋艦能代もまた沈没するに至ったが、これで艦隊は敵の空襲からようやく逃れ、コロン湾を経て再びブルネー湾に帰投した。

さて、安全地帯に入って艦の被害調査を行ったが、勿論二番砲塔が最大で、その他に爆弾二発を受けており、機銃弾痕に至っては無慮数千といっても過言ではなく、四番砲塔などそれこそ全く蜂の巣になっていた。対空指揮所だけでも、ひしゃげた機銃弾が掃いて棄てる程に落ちていた。

しかも、あれ程の奮戦にもかかわらず、二番砲塔の外はなお全力発揮可能という幸運に恵まれ、これは全艦隊中羽黒だけであった。われわれは、ブルネー湾に帰投したが、レイテの西方から突入した部隊はその時迄一隻も帰ってこなかった。ようようと帰りついたのは駆逐艦時雨わずか一隻、殆んど全滅だった。その部隊の戦果については全く霧の中であった。僅かに集った艦隊は寂として声なく憂愁に閉ざされていた。

 

(この時、羽黒には、なにわ会の小島丈夫と土屋賢一(機)が勤務していた。この2名は翌昭和20516日、ペナン沖で、 アンダマン諸島への強行作戦輸送中、英艦隊と交戦羽黒は沈没、両名は戦死した。この時同行していたのは駆逐艦神風で、士官は通信長元良少佐(65期)と甲板士官長谷川中尉(73期)の2名、その他乗員320名が神風に救助され、橋本司令官、杉浦艦長以下800余名は艦と運命をともにした。)

(海軍兵学校56期のCDから)

TOPへ   戦記目次