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平成22年4月16日 校正すみ

栄光の艦  

中垣 義幸

駆逐艦 雪風

菊水作戦以後日本海軍から「艦隊」は消滅した。正に雪風は太平洋戦争開戦当時も、第2艦隊第2水雷戦隊の花形であったが、途中幾多の変転を経ても、この「帝国海軍海上部隊の栄光を後世に伝えるべき最後の戦闘」においても、同じく第2艦隊第2水雷戦隊の中核として勇戦した事は、何か不思議な因縁に結ばれていたものであろうか。

昭和1612月8日、太平洋戦争の開戦当時の第2水雷戦隊の編成は次の通りであった。

旗艦  神通(司令官 田中頼三少将)

第 8駆逐隊 朝潮、大潮、満潮、荒潮

15駆逐隊 黒潮、親潮、早潮、夏潮

16駆逐隊 初風、雪風、天津風、時津風

18駆逐隊  霰 陽炎 不知火

雪風は、無条約時代の第1年である昭和12年、第3次補充計画(略称B計画)によって建造された15隻(昭和14年度の第4次補充計画で更に3隻が建造されたので計18隻となった)の陽炎型(甲型)駆逐艦(基本計画番号49)の第8番艦として、昭和13年8月2日佐世保海軍工廠で起工された。

14年3月24日進水式を挙げ、ここに雪風と命名され、翌15年1月20日に竣工した。

陽炎型駆逐艦は、純日本式駆逐艦の始祖となった特型から、初春型、白露型、朝潮型と漸次改良を重ねられてきた、わが甲型駆逐艦系列の頂点をなすというべき存在で、友鶴事件や第4艦隊事件の教訓を設計の当初から採り入れただけに、設計全体に無理も行過ぎもなく、軍令部多年の要求であった18ノット5,000浬の航続力を始めて実現しながら、35ノット余の高速力を有する理想的な艦隊駆逐艦であった。

雪風は、第2艦隊第2水雷戦隊の第16駆逐隊の2番艦として昭和1612月8日の開戦を迎えたのであるが、第16駆逐隊は19年3月20日解隊され、雪風は第17駆逐隊に編入された。

雪風の所属した第16駆逐隊及び第17駆逐隊の経過は次ぎの通りである。

 

16駆逐隊 初風、雪風、天津風、時津風

 (2艦隊 2水戦)

1612・8 太平洋戦争勃発

17・7・14 (3艦隊10戦隊に編入)

171113 天津風 3次ソロモン海戦で損傷(内地帰還)

18・1・10 初風  ソロモン群島附近にて被雷、(内地帰還)

18・3・3 時津風 ビスマルク海海戦において沈没

1811・2 初風  ブーゲンビル島沖海戦において沈没。

19・1・17 天津風 船団護衛中被雷(内地帰還)

19・3・20 16駆逐隊は雪風1隻となったため解隊され、

雪風は17駆逐隊に編入

17駆逐隊 浜風 磯風.浦風 谷風 雪風(3艦隊 10戦隊)

19・6・9 谷風  タウイタウイ泊地附近において沈没

19・7・10 10戦隊は2艦隊に編入)

1911・5 10戦隊解隊 2水戦編入)

191121 浦風  金剛・長門・大和護衛戦で沈没

20・4・6 天津風 中国沿岸で沈没

20・4・7 磯風、浜風  沖縄特攻で沈没

20・4・15 (2水戦解隊 31戦隊に編入)

20・5・10 初霜を加える

20・7・30 初霜 宮津湾の対空戦闘で沈没

20・8・15 雪風  唯一隻で終戦を迎える

 

戦いは終った。雪風は20年8月26日付で第1予備艦籍に入り、10月5日帝国海軍駆逐艦としての艦籍を除かれた。

特別輸送艦に指定された雪風は21年2月より同年12月まで、外地にあって終戦を迎えた軍人、在邦人の引揚業務に従事し、延1万2千人を迎え、総航程3万8千浬を航行した。

 

昭和22年1月13日より旧海軍艦艇の米、英、ソ、中国の四カ国への引渡しが決まり、雪風はその第1回分として中国に引渡す事となり、7月1日駆逐艦初梅、楓、海防艦四阪、第14号、第67号、第194号、第215号と共に佐世保を出港、7月3日上海江南ドックに横付け、7月6日雪風のマストに掲げられた日章旗は、中国々旗と変えられたのである。

 

中国海軍に引渡された雪風は軍艦丹陽(TanYang)と命名され、国府海軍の旗艦として今もなお台湾に健在である。

太平洋戦争の激闘4年の間、雪風は開戦当時から連合艦隊の第1線にあり、比島攻略戦、スラバヤ沖海戦、ミッドゥェー海戦、南太平洋海戦、第3次ソロモン海戦、ガダルカナル撤収作戦、ビスマルク海戦、コロンバンガラ島沖夜戦、マリアナ海戦、比島沖海戦、金剛・長門・大和護衛戦、空母信濃護衛戦、戦艦大和特攻戦と歴戦し、幾度か死線を越えつつも武運目出度く生還し、甲型駆逐艦64隻の内、終戦時健在を誇った唯一隻の艦であり、現存する旧日本海軍艦艇の最後の一隻なのである。

伊藤正徳氏は、その著「連合艦隊の栄光」の中で「私は若し蒋介石氏が、雪風を日本に返してくれるなら、それを記念艦三笠の隣に繋ぎ、第2記念艦として永久に保存したいと夢みることさえある。奮戦と、好運と、そして世界に優越した造艦技術の記念として」。

日本の歴史と伝統は、これからの日本が発展して行く為の大切な基盤である。この意味において軍艦三笠が日露戦争の記念艦であるように、雪風は、正に太平洋戦争における国民的記念艦といい得るのではないだろうか

駆逐艦雪風永久保存会準備会(渋谷区神宮前1ー5ー3 東郷神社気付、会長福井静夫)は、駆逐艦雪風の返還を求め、これを永久に保存する事業に着手したが、広く多数国民のご理解とご賛同を得られるようお願いする次第である。

(なにわ会ニュース7号22 昭和41年2月掲載)

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