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水上艦艇から発進する回天

小灘 利春 

平成18年 1月24日

戦艦大和の水上特攻艦隊が昭和二十年四月七日に徳之島沖で壊滅してのち、日本海軍で洋上に敵を求めて行動した艦船は回天を搭載した潜水艦だけであった。海軍総隊司令長官小沢治三郎中将は五月二十日、水上の戦闘部隊として健在であった第三一戦隊を中心に「海上挺身隊」を編成した。

これに所属する第四三駆逐隊、第五二駆逐隊各6隻の新造丁型、改丁型一等駆逐艦計12隻は回天一型改一を1基ずつ、戦隊旗艦の防空駆逐艦「花月」は回天を8基、旧式駆逐艦「波風」は2基、軽巡洋艦「北上」は8基を搭載する計画を立てた。

挺身隊の各艦は瀬戸内海西部の伊予灘北方の島影を利用して完全に偽装、遮蔽して待機し、敵部隊が九州東岸または四国沖に接近したときは、各艦が回天を搭載して夜間出撃し、敵来攻部隊に極力接近して回天を発進させたのち、主として敵輸送船団を求め、夜戦をもって決戦しようとする作戦であった。既に燃料が枯渇し、各艦1回半分の出撃用燃料のみで、最後の決戦に賭ける事態となっていた。「北上」は大正八年に竣工した5,500トン型軽巡洋艦であり昭和十六年に改装、四連装発射管を両舷に計10基装備する重雷装艦となった。これで直径61糎の九三式酸素魚雷を40本も一斉に発射できた。同型艦「大井」と併せ、艦隊決戦の際は2隻だけでも計80本の魚雷射線を敵主力艦隊こ浴びせる極秘の特殊艦である。私が「北上」をシンガポール軍港内で見たときは、両舷の上甲板すべてを艦体と同じ鼠色のカンバスで覆って、ずらりと並ぶ魚雷発射管を隠していた。しかし、この「公算射法」を活用する望みが絶たれ、北上は高速輸送艦として前線で行動したが、回天が兵器に採用された昭和十九年八月、回天輸送艦への改装工事に着手した。二十年一月完了、二月一八日に呉軍港の東隣、阿賀の大入沖で回天の落射実験を行って成功を収めた。無人であったが、さらに呉工廠の回天領収担当員が希望して実際に操縦席に座っての実験を追加し、異常がなかった。このとき、北上の速力は最初21.7ノットであった。

駆逐艦「竹」の先任将校某氏は「回天に追突されないよう24-27ノットで走りながら滑り落とす必要があった。海中の回天は物凄く転動する。訓練であっても搭乗員にとっては正に決死的な作業であった」などと記述しているが、大袈裟である。駆逐艦発射を経験した回天搭乗員は「ふんわりと着水した感じで、衝撃は全然なかった。沈度は7米。その他異常は全くない」と言っている。

当然の話で、重量が8.3トンある回天が艇尾から斜めに水に入るのであり、衝撃を海水が柔らかく吸収して身体には感じない。回天が海底の土砂に突入したときさえも同じであった。また、回天は海面に浮上して後に機械を発動し、すぐに変針するから、追突する心配はない。従って、落射する母艦自体の行動の都合ならば別であるが、回天を落とすのに高速で走る必要はない。実験の結果では10ノット位で充分という。

回天は頑丈な木製の架台に載せた。その架台には車輪がなく、両舷の甲板上に各2条の軌道があり、コロが多数固定されていて、その上を滑らせて艦尾の斜路から海面に落とした。回天8基を両舷の軌道に載せ、全回天を8分間で発進させることが出来たという。「北上」は硫黄島に回天を輸送する計画があった由であるが、準備が進まない内に米軍の侵攻が始まって打ち切りとなり、次いで沖縄の第一回天隊への二次輸送もまた手遅れとなって、回天輸送の任務は実現しなかった。

海上挺身隊では北上の回天輸送設備がそのまま発進に活きるが、米艦載機が七月二四日に呉を空襲した際、爆撃により多数の至近弾を受けて航行不能となり、実行できなくなった。駆逐艦では艦尾に約2米ほどの張出し斜路を新設した。「梨」「推」「竹」など一部の駆逐艦が実際に回天を落射する訓練を実施し、また回天の目標艦を勤めたが、燃料不足と偽装のため、挺身隊の駆逐艦でありながら乗員が他艦の訓練を見学するのに留まり、回天搭載を経験しない艦が多かった。

8基搭載予定の旗艦「花月」は回天搭載用の工事を終戦まで施工していない。終戦前、我が海軍の残存艦隊は米高速空母部隊の艦載機の度重なる空爆に曝され、また沖縄などからの米空軍機の攻撃を受けて減耗を続けていた。米空軍が空中投下した感応機雷の被害も多かった。さらに燃料が枯渇して、僅かに最後の海上挺身部隊こよって国土防衛の責務を果たそうと、搭載回天に希望を繋いだのである。しかしこの作戦にも、一等輸送艦は回天を吊るす13トン・デリックを備え、北上はデリックを新設したが、駆逐艦はデリックを持っていない。戦機が迫ったとき、多数の艦が一斉に回天を積み込む手段があったのか。訓練基地には艦艇に回天を積むための装備はなく、潜水艦に回天を積むときは巨大なクレーン船を曳航して来て作業した。また、想定される頻繁な空爆下で、これらの作業が可能であろうか。根本的な問題として、水上部隊が夜間といえどもどれほど敵に接近できたか。せめて制空権を一時的にもせよ確保できない限り、成功の公算は薄いと見るはかないであろう。

(小灘利春HPより)

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