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海軍大尉 小灘利春

 東京新聞

「回天」の真実 命削り伝える

昨年死去の元搭乗員・小灘さん がんと闘い資料100冊

平成19年 8月 29日

  魚雷を操縦し体当たりで敵艦を沈める人間魚雷「回天」。

 先の戦争でこの特攻兵器の搭乗員だった小灘利春さんが昨秋、八十三歳で亡くなった。二年前、企画「記憶 新聞記者が受け継ぐ戦争」の取材で会った小灘さんは、

「自分の命を捨ててこの国を守ろうとした搭乗員の思いが、まだ伝わっていない」と語っていた。元搭乗員らによる全国回天会の会長を務め、回天の語り部として力を尽くした小灘さん。一周忌を前に、神奈川県鎌倉市 に遺族を訪ねた。 (五十住和樹)

 

「控えめな父が、これだけは譲れないと強く思っていたのは、搭乗員の思いを『正しく』伝えることでした」小灘さんの三女、伊藤伸子さん(48)=金沢市=はこう振り返る。

 小灘さんは、回天を記した本には戦果を過大に書いたり、事実に反することが多いとみていた。ただ、それに対し公に訂正を求めると「どうしても個人攻撃になってしまうので言いにくい」と、伸子さんに話していた。

「争い事を徹底的に避ける性格でしたから」。

もともと、自分の戦争体験を家族に積極的に話す人でもなかったという。

  変わったのは六年前、がんと診断された時。

「自分しか知らないことが埋もれてしまう」と危機感を持ったからだった。近年は映画やテレビなどで回天が取り上げられることが増えたが、

「回天はいったん乗り込んだら出られない」などの誤りや、搭乗員の思いを汚すような描写が目立ったという。小灘さんは自ら集めた資料を基に制作側に反論。

「誤って伝えられかねない。何としても生きていなくては」と伸子さんに話した。

「正しく書いてほしい」と、小灘さんが私に渡した資料は手書きも交じり、詳細を極めた。ここ数年で米国の関係者との交流も深まり、「貴重な資料が入るようになった。史実を少しずつ積み上げていかねば」と意気込みも語っていた。その思いは、看病をする伸子さんら家族にもっとストレートに伝えていた。

 昨年八月、放射線治療で体が動かなくなるかもしれないというとき、小灘さんは「正しい歴史を、真実を伝えること。それが生きる理由だ」と言ったという。がんの転移による激しい痛みに耐え、聴力も視力もほとんど失う中で、家族に頼んで文字を十倍にも拡大した回天の映画評などを読み続けた。

「活かさん 真実の記録と記憶を 伝えん 真の紳士、武士たりし人々の志を 俤(おもかげ)を」

書類整理をしていた家族が見つけた、小灘さんのメモ。亡くなる一カ月ほど前に、病床で書いたものだった。

 妻郁子さんは「死を宣告されても動揺しないが、『回天の真実を残し終えないのは悔しい』と言っていました」と振り返った。

「大事なものは何か。守らなければいけないのは何か。国民一人一人が考えるべきだろう。が、守るべきは掛け替えのない民族ではないか」。

  亡くなる十日ほど前、伸子さんは父の言葉を病院のベッドで聞いた。

こんな思いと一緒に残された資料は、ファイルにして百冊を超す。

「伝える」ことに最期までこだわった父を送った伸子さん。

「あの戦争を、体で感じるような形で自分の子どもたちに伝えたい」と、私に話した。

(小灘利春HPより)

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