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平成22年4月22日 校正すみ

誇り高き駆逐艦雪風

雪風航海長 中垣 義幸

天一号作戦発動

昭和20年3月23日、M・A・ミッチャー中将の指揮する高速空母機動部隊は、遂に沖縄・南大東島の二島に来襲した。翌24日には砲撃部隊が到着して沖縄島は艦砲射撃を受け、慶艮間列島は米軍の上陸するところとなり、今や米軍の沖縄上陸の企図は動かせないものとなった。

3月26日連合艦隊司令長官豊田副武大将は「天一号作戦発動」を全軍に下命した。4月1日米軍は嘉手納沖より遂に沖縄本島に上陸を開始、ここにおいて聯合艦隊司令長官より「4月6日を期して、菊水第一号作戦決行」の命令が発せられた。こうして第2艦隊旗艦大和、第2水雷戦隊旗艦矢矧以下各艦は、三田尻沖に集合を終った。 翌3日、敵のB-29 1機が来襲、艦隊の直上を通過投弾、大和・矢矧の高角砲は、これに発砲撃退した。4日もまた数機来襲の報に艦隊は出港、漂泊警戒したが、本行動中響は浮遊機雷に触れて汽缶に損傷を受け航行不能に陥ったので、やむなく初霜が曳航、呉に引き返した。4月5日、連合艦隊司令長官は、第二艦隊司令長官伊藤整一中将に対して海上特攻隊の作戦実施に関する電令を発した。

「伊藤第2艦隊司令長官は、隷下の大和、矢矧、冬月、涼月、朝霜、初霜、磯風、雪風、浜風、霞をもって海上特別攻撃隊を編隊し、4月8日黎明を期し沖縄に突入、所在敵艦隊を撃滅すべし。」

そして旗艦大和において、隷下各艦幹部に命令の説明が行なわれた。

 艦隊は8日黎明沖縄に突入し、敵艦船を撃滅する。

 余力があれば陸岸に乗り上げ、砲台となって全弾を撃ち尽すまで陸上戦闘に協力する。

 さらに生命があれは、艦隊全将兵は上陸して敵陣に切り込む。

さらに、同日連合艦隊司令長官より全軍に対し悲壮なる最後の訓辞が送られた。

「帝国海軍部隊は陸軍と協同、空海陸の全力を挙げて沖縄周辺の敵艦隊に対し総攻撃を決行せんとす。皇国の興廃は正にこの一挙にあり。ここに特に海上特攻隊を編成し、壮烈無比の突入作戦を命じたるは「帝国海軍をこの一戦に結集し、光輝ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚するとともに、その栄光を後世に伝えんとするに外ならず。各隊はその特攻隊たると否とを問わず、いよいよ決死奮戦、敵艦隊をこのところに殲滅し、もって皇国無窮の礎を確立すべし。」

翌4月6日、特攻出撃の各艦は片道分の燃料を搭載し、不要物件の揚陸を行ない、春秋に富む若き候補生や老兵、病兵を退艦させて最後の戦闘準備を整えた。午後四時、海上特攻となったわが第二艦隊の主力十隻の(もう)(どう)は晴の死に場所を求めて粛々として抜錨、故国の山河に別れを告げ、第一煙突に菊水のマークを描き再び帰ることなき壮途についた。

帝国海軍の最後を飾る海上特攻隊の編成及び乗組みのクラスの氏名は次のとおりである。

艦隊編成 艦名 氏 名 救助された艦 備考
第2艦隊 大和(沈没) 副長付 国本 鎮雄 雪風
機関長付 高脇 圭三 戦死
第2水雷戦隊 矢矧(沈没) 測的長 池田 武邦 冬月
第17駆逐隊 磯風(沈没) 航海長 郡  重夫 雪風 戦後死
雪風 航海長 中垣 義幸 戦後死
浜風(沈没) 航海長 磯山 醇美 初霜 戦後死
第21駆逐隊 朝霜(沈没) 航海長 深見 茂雄 戦死
主計長 浅野 祥二 戦死
初霜 航海長 松田  清 戦後死
航海長 大谷 友之 冬月 戦後死
第41駆逐隊 冬月 航海長 中田 隆保 戦後死
涼月 缶分隊長 古前 英雄 戦後死

出港後、直ちに大和を中心にガッチリ輪形陣を組んだ艦隊は、午後7時半頃、原速12ノットをもって厳重な対潜哨戒を布きつつ、月光に輝く豊後水道を通過した。水道南方に至るや、早くも敵潜水艦を探知、20ノットに増速しつつ各艦一斉に爆雷を投射した。夜に入っても逆探はしばしば敵潜の所在を知らせた。7日黎明大隅海峡を通過したが、間もなく敵飛行艇が出現、以後無念にもわが艦隊は触接を受けることになった。ややあって艦隊右右翼にいた朝霜が、突然「われ機関故障」の旗信号をあげて落伍を始め、その艦影はたちまち遠ざかった。

正午すぎ電探は艦首方向よりやや左前方に敵の大編隊を発見、各艦一斉に戦闘配置についた。これこそ大和の出撃を知って迎えうつM・A・ミッチャー中将の機動部隊艦載機の一群であった。折しも霧の如き小雨が洋上にたちこめて、雲高1,0001,500メートル。わが艦隊最後の滞空戦闘に天運われになく、見張は困難をきわめ、照準また至難の態勢であった。

 

巨艦「大和」沈む

雪風は左舷上空1,000メートルのところに敵機を発見したが、第1波は100機以上の大編隊であった。間もなく雪風のすぐ左前方を突進する涼月の両舷に物凄い水柱が立ちのぼった。そして次には編隊最左方にあった、浜風にパッと閃光がきらめくと見るや、たちまちもうもうたる黒煙に包まれた。爆弾命中と思う間もなく瞬時に船体両断、無残に赤腹を出すや艦尾を逆立てて轟沈した。雪風は飛来する魚雷、爆弾を素早く判別しては右に左に艦を操り、巧みにこれを回避して息もつかせず、来襲する米機に対しては不凍不屈の銃火を浴びせかけた。至近弾が身近に水柱を奔騰させると物凄い水しぶきが全艦を包み、機銃が沈黙すれば、敵機は必ずこの弱点に眼をつけて執拗に突込んで来るので、巧みな操艦と絶えざる対空射撃は絶対に必要であった。

まさに食うか食われるかの戦いであった。敵機グラマンTBFは、次々に大和と雪風、涼月、磯風の中間に舞いおりて魚雷を発射し、雪風の幾銃は忙しくこれを追い続けた。やがて、大和の左舷前部2番砲塔のあたりに魚雷が命中、さらに後部副砲射撃指揮所附近にも、直撃弾2発をこうむり、パッと黒煙があがった。

第1波が引揚げるや、直ちに火の棒と化した機銃の冷却と弾運びを急いだが、息もつかせザ第2波100機以上が来襲、この戦闘で遂に大和は、3本の魚雷をその身に許すに至った。続いて第3波10010機。大和は直撃弾5発、魚雷5本をこうむった。第4波また10010磯。この戦闘がもっとも凄まじく、大和はまたも魚雷数本と直撃弾10数発を受け、遂に速力は12ノットに落ちた。第5波100機以上の空襲で、2水戦旗艦矢矧は炎上停止傾斜を見せ、第17駆逐隊司令駆逐艦磯風が横付けして古村啓蔵司令官がこれに移乗、少将旗を移揚したが、米機はこの2艦を狙い、矢矧は遂に海中深く没し、磯風また黒煙をあげて停止、大破炎上するに至った。

先に落伍した朝霜は、米機の集中攻撃を受けて爆沈、乗員は一名の生存者もなくすべて艦と運命を共にした。残る他艦もいずれも大小の損害を受けて、あるいは黒煙を吹き上げ、あるいは傾いている。時に大和の右に冬月、左に雪風の二艦だけは、その身に数倍する水柱の幕帯を突破疾走しつつ大和に対し「われ異状なし」の信号を力強く送る。屈強二艦の勇戦力闘は、上は艦長より下は一兵に至るまで、その斗魂と錬度の賜物以外の何物でもなかった。巨艦大和護衛の大任を課せられた9隻のうち、その任をよく果しつつあるのは実にこの2堅艦のみ。

やや間を置いてさらに第6、第7波それぞれ100機内外が相次いで来襲、大和は後部に集中魚雷をこうむり、左舷に相当傾斜を示し始めた。雪風は大和の周囲を旋回警戒に当ったが、優速なので、ちょうど大和が停止しているかに見え、その破損状況は手に取るように看取できた。後部の飛行甲板は完全に破壊され、探照灯台、後部艦橋の損害は痛ましい惨状をしていた。大和は遂に舵をやられてゆるやかに右に旋回を始め、駆逐艦霞また舵機を損じて落伍し、間もなく米機の攻撃に大破炎上するに至った。

第8波、第9波の猛攻で大和の傾斜は遂に45度に達し、上甲板は雪風から十分望見されるようになった。やがて大和の真横近くに来た時、大和は急傾斜して巨大な赤腹を見せて横倒しとなり、数百の生存者が赤腹の上に這い上ってしがみついていたが、突如パッと閃光が(きら)めいたかと思うと物凄い大爆発を起し、番砲塔附近のキール線のあたりから鯨の吹く潮のように、細い煙が直直ぐに高く噴き上げ、統いて太い炎がメラメラと空をなめ尽すが如くひろがった。上空の煙はあたかも入道雲のように立ちのぼり、原子雲のような凄愴(せいそう)の様相をていしていた。底にすがっていた数百の乗員は、実に150メートルから200メートルの上空にはね上げられて四散した。

時に午後2時23分。第2艦隊司令長官伊藤整一中将、艦長有賀幸作大佐は共に艦と運命をともにした。戦闘力を保有する残存艦はわずかに雪風、冬月、初霜の三艦だけとなった。涼月は艦前部に壊滅的損傷をこうむって傾斜し、火災もまだ消えず、わずかに後進のみ可能という惨状であり、磯風、霞の二艦は大破して徒らに漂流するのみであった。

雪風艦橋上に勇戦しつつあった艦長寺内正道中佐は、大和の最後を見届けるや、直ちに残存艦の先任指揮官である第四十一駆逐隊司令吉由正義大佐の乗艦冬月に対し「いかがせらるるや」と信号を送ってその決意を促し、自らは早くも沖縄に向け艦首をたて直して進撃を開始せんとしていた。折返し吉田司令からは「生存者を救助して再起を計らんとす」との指示があったが、冬月に対しさらに「いかがせらるるや」そして「速かに行動を起されたし」との信号を送った。まさに不退転、火の玉の如き闘士であった。しかしやがて、「作戟中止。人員を救助の上帰投すべし」との連合艦隊命令が示達され、あらゆる小艇を動員してくまなく波間を探し求めて溺者を救助し、大破漂流、行動能力を失った僚艦磯風に横付けして生存者を収容した後、砲雷撃によりこれを処分した。

冬月は同様に霞を処分し、大損傷の涼月は後進微速の痛ましい姿で、単艦佐世保に退いた。

4月8日朝、雪風、初霜の2艦は、沈没各艦の生存者を満載して、佐世保軍港に帰投した。昼頃には冬月が帰り着き、そして気遣われていた涼月も午後8時頃故国に辿り着いたのである。これが2日前威風堂々と出撃した第2艦隊のすべてであった。

(ニュース1019頁  昭和422月より転載)

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