中島 健太郎中尉
編集部
大正11年6月15日長野県で生まれ、昭和15年12月海軍兵学校に入学(72期)
山地(旧姓・近江)誠さんの手記によれば「中島大尉と宮沢少尉は、従容として死んでいた。二人とも生きていたときと同じ姿で持ち場につき、少しも取り乱した跡がなかった。ガス中毒のため蒼くなっていたが、静かな死顔であった。筒内が冷えこんで寒かったのであろう、携行食糧でカロリー補給につとめた形跡があるが、その甲斐もなかったのだ。心中さぞかし無念であったろう。猛訓練に次ぐ猛訓練を重ねてきながら、出撃を前に中途にしてたおれる―訓練の厳しさ、むずかしさを知る私には、その口惜しさが身にしみてわかる。二人の亡骸はそういった心の起伏の跡も留めず、帰するがごとく死に就いているが、その死が静かなら静かなだけ、内に秘められた痛恨の大きさが察せられて、もはや私は、二人を正視するに忍びなかった」