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平成22年4月24日 校正すみ

片山 市吾君を偲ぶ

寺村 純郎(71期)

片山 市吾

昭和20年4月上旬、厚木の302空で雷電の分隊長としてB29邀撃戦に従事していた私は、突然飛行長に呼ばれ、零戦10機を率いて鹿児島の笠原基地に進出沖縄戦に参加するように命ぜられた。

直ちに連れて行く搭乗員の選定を始めたが72期は1人だけと云うことであったので塚田 浩中尉を選んで本人に伝えた。飛行機は斜銃装備の零夜戦は出さぬとの命であったので、古い訓練用の零戦で進出することとなった。

そしてその夜私の部屋に片山中尉が訪れてきた。彼は雷電の不時着で負傷し、回復後、間もない頃であったが、「笠原にはどうしても自分を連れて行ってくれと云って聞かぬ。体は完全に大丈夫であると云うしその熱意にほだされてとうとう塚田中尉と交替させることにした。

ところがてれを聞いた塚田君が承知しない。今度は2人で私の部屋に来た。両名とも頑として譲らないのでいっこうに話が決まらない。私が決めればよいのだが、海軍は沖縄戦に全力を尽し最後の決戦のつもりであり、大和まで特攻出撃すると云うくらいだから、恐らく笠原に行けば生きては帰れないだろう。私も決めかねて最後は2人でジャンケンをして勝った方が行くこととなった。そして片山中尉が勝った時の嬉しそうな顔が今でも目に浮ぶ様な気がする。

零戦の準備に手間どり、とうとう大和の出撃には間に合はず、4月12日の菊水2号作戦が初出撃となった。

笠原基地は最前線の飛行場であった。建物はほとんど焼け、格納庫群の焼け残った鉄骨だけが地上に残っていた。地下壕の中の士官室、谷間の林の中の士官食堂、零戦はすべて飛行場外の林の中に格納されていた。

4月12日は良く晴れた日であった。笠原の零戦隊は制空隊の第2波となり、沖縄本島の上空に高度6,000米で進入、約10分間制空の後帰途につくことになっていた。敵戦闘機をなるべく多数引きつけている間に他方向より特攻機が突入する計画であると聞かされた。8機の4コ中隊計32機が編成され、指揮官は横空の岩下大尉であった。私は岩下大尉の中隊の右側につく中隊8機の1番機であり、片山中尉は私の中隊の第2小隊長として4機を率いて私の右側につく予定であった。

指揮官機の左側には2コ中隊16機がつくことになっていた。午前11時頃飛行場を発進、予定コースを沖縄に向った。故障や整備不良で離陸できない機や途中で引き返す機が多く、沖縄本島上空では24機となっていた。

厚木から連れて行った超ベテランの赤松少尉を指揮官機中隊の小隊長にとられ、私の中隊8機は私の3番機と片山中尉を除き、ほかは他の部隊の搭乗員で編成されていた。片山中尉は率いる3機が全機離陸せず単機になってしまい、やむを得ず私の小隊の引き返した4番機の位置についていた。高度6,000米から見る沖縄はまことに平和な風景であった。濃紺の海の中に沖縄本島が静かに横たわっており島の周囲を淡緑の海面がとりまき南国の日光がさんさんと降り注いでいた。沖縄本島の上空で24機の零戦の編隊が緩徐な左旋回をして帰途に針路を向けた時、私の中隊4機は外側であり少し遅れ気味となっていた。片山中尉が一番先さに敵機を発見し私に知らせてくれた。1,000米程の上空にグラマンがいたのだ。私は前方を飛ぶ指揮官機にこの事を知らせようとしたが電話は通じなかった。そして上から降ってくるグラマンに敢然と片山中尉が反撃して行った。グラマンの群は私達4機に攻撃を集中して来たので私も列機もその射弾回避の間にばらばらに離れてしまった。正直なところ敵を墜すどころではなかった。墜とされない為の空戦が、海面近くまで続きやっと敵を振り切って列機を探したが1機も見つからなかった。単機で帰途についた時海面近くを帰っていく1機の零戦を発見したが、これは私の3番機の山田上飛曹であった。燃料がなくなって種が島の飛行場に不時着し燃料の補給を受けながら、片山中尉よ無事に帰ってくれと念じ待ったが彼は遂に帰らなかった。

厚木に着任した72期の戦闘機乗りの中でも片山君とは特に縁の深い仲であった。彼は着任後自ら希望して甲板士官となったが、私が甲板士官をやっていたので当分の間2人で巡検前の点検に部隊内を巡った。彼の張り切りぶりは相当なもので私はすぐに全部彼にやってもらってサボる様になった。その外にも熱海で一緒に飲んだ事等色々の思い出が残っている。片山君はまことにさっぱりした男らしいそして勇猛果敢な戦闘機乗りであった。

彼の気性から考えて沖縄上空で優勢なグラマンと戦いながら何としても1機は撃墜してやるぞと突進していった事であらう。そして自分がやられる前にきっとグラマンを墜した事であろう。片山君の英霊よ、南国の濃紺の海に安らかにねむりたまえと祈るばかりである。

(なにわ会ニュース53号6頁 昭和60年9月掲載)

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