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さらば期友よ 亡き戦友よ!

泉 五郎

 我等、前の征戦に斉しく九段の桜と散るべき命、有り難くも生を全うし遂に八十路も半ばに至る。省みれば昔日の艱(かん)難も夢の如く、漸くにして人生の終焉(えん)を迎えんとす。

 或はその身今や老病辛苦に苛(さいな)まれようとも、弱冠二十有余才にして護国の鬼と散りにし期友を想えば、何の顔ありてか不平を唱えん。

 維新この方の国家経営、無念にも今次大戦の惨敗に伴い、父祖営々の辛苦に報い得ざりしこと痛恨の極みなりと雖も、時運の赴くところ祖国奇蹟(せき)の復興を遂げ、今や世界に冠たる平和国家の一員たり。

 護国の花と散りにし戦友よ、将又、天命にして先に逝きし友よ、願わくはかの地にて再び相見(まみ)えん。

されば今は只(ただ)、祖国の前途、社会の進運に栄えあれと願うのみ。さはありながら過ぎたるは及ばざるが如しとは古い諺(ことわざ)の諭(さと)すところ、文明の進展は環境の破滅を齎(もたら)し、その功罪は相半ばすというべきか。

凡愚(ぼんぐ)只々、児孫の将来、地球の前途を思いて杞憂(きゆう)如何とも為し難し。

なんて格好をつけるのはこの位にして、では、ここいらで一応「帽振れ!」と参りましょうか!

いやいや最後にクラスの世話役だった諸兄に感謝しなければならない!

 今となっては大昔の事となったが、念願の靖國神社初の慰霊祭は有志諸兄の尽力により見事成功、思えばこれがクラス会再建の烽火(のろし)となって全国に友情の輪を拡げる原動力となった。

然し、戦後の激動期、誰もが夫々娑婆(しゃば)の荒波に揉まれ、お互い人生行路は穏やかではなかつた当時、一銭にもならぬクラス会世話役の努力は容易なことではなかつた。

終戦後物資の不足、旧正規軍人に対する偏見の中での名簿の編集、会誌の発行、面倒な会費管理など、若さゆえ出来たであろう当時の事は、まるで昨日のようでもある。

故人も生存者も名前をあげると順位をつけるようなのであえて遠慮させて頂くが、言わずとも判る長年のご尽力に衷心よりの謝辞と賛辞を捧げたい。

 

 願わくはもっともっと続いてほしいが、悲しからずや、老いも天命。遥(はる)かに軍艦旗降下のラッパの音が響いているか?

今後は、伊藤君の主宰するホームページが唯一の連絡機関、同君の健康とその活躍に感謝し期待するのみである。

(なにわ会ニュース第100号 45頁)

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