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思 い 出

守家 友義

 なにわ会ニュース100号発行おめでとうございます。歴代の編集関係者並びにクラス会幹事に心から感謝の意を表します。100号の重みを顧みるため、改めて昭和2712月1日の会誌1号から読み返してみました。

 我々72期が団結するとすればそれはご遺族を中心として戦没者諸兄の霊を慰めるためであるとして靖國神社における慰霊祭の実施とクラス会誌の発行に取り組まれました。当時の時代背景を思い描く時、クラス会名簿の作成や兵学校時代の校長、教官のご出席のお願いまで大変なご苦労があったものと思われます。

 靖國神社でご遺族が感涙に咽(むせ)ばれたこと、ご自分の悲しみに耐えられながら生存者を励まされたこと、校長が亡き戦友の志を生かさんがためには自己を正しく鍛練することと諭(さと)されたことどもが、今にして胸に迫ってまいります。(私の近所の戦死者のご遺族は、息子は初めから国に捧げた体であり、その覚悟はしていたが、戦死の公報以外は何一つ通知もなくそれらを尋ねても返事もなく現在の国状では戦死した者程馬鹿な者はないように思えてならないと嘆かれていました。)

最初の参拝クラス会は大成功で其の模様が会誌1号から読み取れます。思わず苦笑したものとしては「我が青春の賦()」の一節で「兵学校の七不思議、他にいろいろあったけど、今でも不思議に思うのは、お達示されて殴られて、それに気持ちがすっとして、有難涙が出たことだ」・「帝国海軍ここに生く」としてラッパ総員集合で朝礼が始まり、軍艦マーチで職場に行き、ラッパ課業始めで作業につく、ラッパの会社・漫画「起床動作の図」などがあります。  

 これらの記事を読んであれやこれやと忘れかけた記憶をたどり、若返りまた頭の体操になるのではないかと思っております。それからもう二つほど思い出したことがあります。

 其の一 今や世の中は情報の洪水、その中を何とか泳いでおりますが、閉されたとしたらどうなるでしょうか、思うだに恐ろしいことです。それが私は兵学校では、新聞を読んだりラジオを聞いたりした記憶がありません。これは果たしてことほど左様に純粋な青年時代であったと言えるのでしょうか。不勉強の至りだったと言うべきでしょうか。         

 其の二 私の地方では叙位叙勲や褒章を頂くと盛大なお祝いをし、また、関係機関紙に麗々しく載せたりします。それが「なにわ会ニュース」には、これらのことが掲載されたことはありません。戦没者のことを思えば、生存者の功労などは較(くらべる)べるまでもないことでしょう。ここにも戦没者諸兄の霊を慰めると言う所期の目的が達成されているのではないかと思います。

 100号編集長にお礼を申し上げます。

 85歳前後ともなると頓(とみ)に気力体力の衰えを感じるこの頃ですが、編集長には100号発行ヤレヤレではなくて今なお矍鑠(かくしゃく)として明晰な頭脳と旺盛な意欲をもって編集を重ねてこられました。その企画と筆の冴は壮年を勝るものがあり、常に先き先きを考えて止むところがありません。お体を大切にご健康のほどお祈り申し上げます。

(なにわ会ニュース10082頁 平成21年3月掲載)

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