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平成13年9月寄稿

なにわ会ニュースの編集を引き受けて

伊藤 正敬

『なにわ会ニュース』の編集に初めから携わり、昭和四十八年の二十九号から編集長として、御努力頂いた押本直正君が今回どうしても辞退したいという申し出があり、これは緊急事態ということで、平成十三年三月十五日、次の十二名が鎌倉に集まり協議した。

泉 五郎 市瀬文人 大谷友之 押本直正 新庄 浩 鈴木 脩 都竹卓郎 名村英俊 樋口 直   宮田 實 山田良彦 伊藤正敬

 いろいろな意見が出た後、小生に是非引き受けろという声がかかり、樋口 直君の「誰がやっても今までのような編集は無理であり、新しい人の出来る範囲でやってもらえば良い」という言葉に励まされ、引き受けるハメとなった。そして、四月二十二日、押本直正君宅を訪問、いろいろと教えを乞い、申し継ぎを受け、二十四日印刷屋を自宅に呼び、打ち合わせを行った。最初に今までのニュースを振り返ってみた。

 最初に発刊されたのは、昭和二十七年十二月の会誌第一号であり、大谷、泉、飯沢君等により纏められていたが、二十九年の第三号で中止されている。それから十年後の昭和三十九年二月、「バイパスニュースとして復活した。

 これは、今は亡き加藤孝二君の熱烈な意欲によるもので、加藤君を助けたのか品川君と眞鍋君であったが、残念なことに、この両名も故人となってしまった。押本君から引き継いだ資料の中に、品川君の描いたカットが多数残っている。 四十年五月からは、押本君が編集を手助けしている。当時は毎年三回発刊されていたが、四十八年のニュース二十八号から年二回の発刊に変更されて現在に至っている。>

 四十年までは兵科のみの会報であったが、四十一年五月からは機関、経理が合同して、現在の体勢になった。この時から機関の北村君、経理の安藤君が手助けしている。

 

四十四年十六号から名称を「なにわ会ニュース」に変更されている。
今ま
でに発刊されたニュース等は会誌三号を加えて八十七号であり、その頁数の合計は三三七六頁に及んでいる。一回の頁数は最大八十頁、最小二十二頁(ニュースになってから)平均は三十九頁、一回の平均印刷費は四十五万一千三百円、一頁単価は九七〇〇円である。

 

ニュースの編集方針

 以上過去の経過いきさつを考え、なにわ会の財政状況をも考慮して、少しでも安価に、しかも読みやすいニュースにしたいと考え、次の方針で取り組むことにした。

 

一 老化の進んだ我々にとって、従来のニユースの活字の大きさ八Pでは見にくいという声が多いので、これを十・五Pに変更する。十・五Pとすれば見易いが、員数が増えて経費が高くなる。従来使用している用紙は立派なもので高価であるが、紙の質は変えたくない。

 

二 従来は原稿を印刷屋に渡し、製版していたのを校正していたが、出来るだけ、原稿をワープロで打ち込み、製版代を節約する。そのため、カットや写真は極限する。

 

三 出来上がりのフォーマットは現在の四段二十字、三十二行、一頁二五六〇字から三段、二十字、二十五行、一頁一五〇〇字に変更する。そのほかは、出来るだけ現在と同じようにする。

 

四 これまで一頁約一万円、五十頁で約五十万円であった。同じ原稿を新しい様式にすると約八十五頁となるが、製販代の節約により約三十五万円程度で出来ると見積もられている。

 

 この場合、ワープロ(パソコン)での打ち込みが大変で、暇な時に少しずつ打ち込むことが必要である。このため、投稿者にお願いしたいのは早めの投稿である。締め切り間際に、一度に原稿が到着するとお手上げで、製版を印刷屋に頼む事になり、経費の高騰になってしまう。この点、特に、会員の皆様にお願いしたい。

 さて、作業を始めて感じた事は、軽い気持ちで引き受けたが、これは、大変なことを引き受けてしまったと後悔しているのが本音である。しかし、このニュースを始めた加藤孝二君、押本直正君のご意思を体して取り組んで行きたい。幸い大谷友之、鈴木 脩、都竹卓郎、佐丸幹男、窪添龍輝の五君が快く校正を引き受けてくれたので、何とか立派なニュースの編集に努力したい。

 

 今度のニュースは八十五号である。百号までは頑張って行きたい。とは言っても、百号は八年後になり、八十六歳まで頑張れるかの不安もあるが、何とか頑張りたいと思っている。

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