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海軍経理学校生徒日記

栗原 信也

(編者まえがき)

栗原の日記は

@ 16111231   私製日記帳

A 17116月中句  私製日記帳

B 176118531 修業記録

C 1861830   修業記録

の四分冊に分れているが、@Aは全く個人の私的日記であり、BCは教官監事に提出して検閲を受けた半公的日記である。

@Aは万年筆で書かれているが、BCは大部分が筆で墨書されている。(6263頁参照)

いずれも、経校33期の生徒生活を刻明に記録したもので貴重な資料であるが、@Aにはかなり私的な問題(例えば家庭のこと、上級生批判に関することなど)もふくまれている。

全文の掲載は紙面の都合から無理であったので、御母堂の了解を得て槙原秀夫、高杉敏夫の二人が、経校33期の共通の歴史と思われる個所を選んで抜粋した。

 したがって前後の文意が若干通りにくい点を生じたのは残念である。

 栗原信也は幾蔵を父とし、まさ代を母として大正1291日、京都府綾部市で生れた男兄弟三人の末子である。父君が郡是製糸に勤務していた関係で、転勤が多かったが、川崎中学五年から経理学校に入学した。

一号生徒時代(18411)、長男一弥(兵学校67期、艦爆偵察)の戦死にあった。1859日の日記参照)

191230日、乗艦呉竹とともに、比島北方バシー海峡に沈み、兄のあとを追った。 21年4ケ月の短い生涯であった。


昭和16

11(水)晴

 始めて正月らしい正月を迎えた。皆は全く子供のように喜んだ。尤もなことだ。鬼の居ない時にあの猛烈な鉄拳のない正月を迎えるのだ。雑煮を食う。なかなかかたくて食えん。遙拝式、御写真拝礼式等あって十一時外出。直ちに帰宅。一家団欒、動けん迄食う。それから黒瀬浩さんと種吉伯父さんを訪問。年始お礼に。楽しい一日を送った。帰校すれば相変らず。一号不在とは何と楽しいことよ。


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・2(木)暗

 午前8時明治神宮参拝。宝物殿拝観。静かな外苑、一億国民崇敬の的なる神宮を海軍経理学校生徒として堂々隊伍を組んで進むのは感慨無量だった。今迄何べんも参拝した。しかし、それは希望にのみ燃える一介の少年だった。

った。今は大君のために尽し奉ると誓いをするのだ。何たる相違、何たる喜び。敬虔なる心で参拝を終えた。午前絵画館見学解散。


13(金)晴

 今日こそ一番楽しみにしていた日なのだ。栄ある三人兄弟、父母の膝下に集り楽しき一日を送る。親孝行それは三人が立派になることだ。一年に一度の楽しい日なのだ。毎年毎年光彩を放っていくのが嬉しい。来年になれ

ば、その来年になれば、もっともっと嬉しいだろう。頑張ろう。国のため親のため。写真撮影、ロッパ一座に遊ぶ。楽しかった。しかし俺は四号だ。ちと悲しい。


14(土)晴

 勅諭謹写、午後体技。靖國神社参拝、国防館遊就館見学。終って帰校。午後体技。一日一日夢のように過ぎて行くのも若さだ。巡検後の食物の話で一時間、二時間過ぎて行くのもあさましい。


15(日)晴

 田中義夫第六分隊監事の私宅に招かれて六分隊四号(深尾生徒除ク)行く。渋谷より帝都線約十分問。簡素な綺麗な家である。学校にては厳格にして元気溌剌として居られるが家にては全く快活酒脱。トラソプ、手品、百人一首、色々の遊びをやられ四号を慰め励まして下さって感謝の心一入だった。俺も教官になればこんな教官になろう。とにかく思い切り楽しく一日を過せたのは嬉しかった。今後頑張ろう。


l6(月)曇            ▲

 校内居留り。あまり外出が続いたので残るのもよいが、手旗には閉口した、実際長い一時間半だ。御勅諭謹写も今日で完成してホッとした。午後はまた体技で皆弱っている。ボヤーツとしていよいよ休暇が終るので、その来るべき予想を遥か遠大に思い浮べて今から戦々兢々としている。可愛想かな、四号よ。


1・7(火)雨

 待望の横須賀見学。五年ぶりで逗子を通過して嬉しかったり市中行軍。山に登って軍港一望。三笠艦見学。案内人(当時の信号兵、三笠乗組)の熱烈な戦況を開く。水交社にて昼食。午後戦艦山城見学。その俸容に接し、いよいよ憧れ強し。未来へ、未来へ。されど我は四号なり。今夜のかえることのつらさ。情けないかな。小羊の大狼に引かれるが如し。


l8(水)雪後晴

 始業式、補習学生卒業式。とうとう一号が帰ってきた。昨夜巡検後、真っ暗の中、一燈のもとに各故郷のお土産持参で新年宴会。なかなかうまかった。午後外出。新宿藤江に行く。おしるこ 二杯。相変らず一家よろしい。敬ちゃんは休学した。銀座でニュース。


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25(土)曇

 最後の演習第三日。問題の追撃退却戦で初め三号生徒に根掘り葉分けに状況を開き、戦々競の態だったが俺等は尖兵となり追撃。どんどん追っかけ止っては射ち、射っては駈け、苦しいのなんの一時は眼を悪くし涙滝の如く前後迷々の中に突撃。よく奮闘した。帰途湘中の側を通りとても懐かしく嬉しく思った。何と湘南の変ったことよ。工場、工場発展のあとが見られる。顧みれば苦しかったがまた非常に愉快な演習であった。良き思い出ならん。


126(日)晴

 今日は山内、刀根、坂本、岩佐、大楽、吉沢に御馳走をしてやった。とても愉快だった。親ほど有難いものはない。これからは帰ればすぐこたつにふとんを敷いて菓子を山と積み読みたい本を山と積みゆっくり落ちつくべし。


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27(月)晴

 昭和十六年度剣道大会。生徒紅白試合。個人優勝競技。他校対抗試合、模範試合、大日本剣道型、夢想神伝流、抜刀術、試し切り等充実せる内容で熱戦、物凄い熱と気塊を以て皆戦い流石海経生徒と思わせた。明日の柔道もこの意気で行かん。夕食は他校戦選士歓迎のため素晴しい御馳走、しるこもある。余興もあって本当に愉快だった。夜は随意温習。


T・28(火)晴

 柔道分隊対抗競技。個人優勝試合。六分隊として我輩出場。三号飯沢と戦い軽く大外刈で一本。次、高杉こいつちびのくせになかなか力があって弱ったが、足業で綺麗に一本、次、二号古川として簡単に業あり一本で勝つ。我輩得意中の得意、足業はまだまだ衰えず物足りない。威張るな……/六分隊6等びり。伍長からしていかん。四号が白星を取ると上級生が負ける。なっとらん。坂本も奮闘だ。然し本日は愉快な大会であった。


2・7(金)晴

 起床後総短艇。また三十分間の地獄だ。早く上手になって余裕が生ずるようになりたいものだ。然し之も訓練だ。大いに頑張ろう。体中傷だらけで然もなかなかなおらず、痛いのもたまらん。尻の皮がむけた。田中分隊監

事に六分隊の運動の成績が悪いので蹴球で雪辱せよと激励。伍長かしこまり大いに張り切っているようだ。短艇D、柔道E、剣道D、蹴球?


2・8(土)晴

 今日は特別大掃除。朝は道場。午後は一時から三時半まで大掃除。長い廊下に血の涙。沖マッチのふきそうじでやれやれだった。勤労の精神養成こんなに毎日甲板掃除、徹頭徹尾の掃除には全く閉口なり。一号洋食作法、実習であれうまいものを食っている、食っている。

 三年先のことを考えて楽もみにしていたまえ…明日は大いに食うべし。


2・9(日)晴

 家に帰って大いに腰をすえる。家に帰られるのは天の俺にあたえた特権だ。受験休みもなく苦悩し続けた俺に対してあたえられた嬉しい特権だ。もはや未練など持っていない。志益々かたくなる許りだ。あまり食い過ぎてひどく弱った。暴飲暴食も考えもの。


2・10(月)雪

 朝四時半に眼がさめたら雪がどんどん降っている。実に嬉しかった。しめたとはこのこと。六時半起床。雪だるまを総員作る。昨日がたたって大下痢、びっくりした。然しこの大下痢でも体にそんなに異常はなかったのに驚いた。夜六時半Great Storm起る。

緊張がたらんというのだ。いや、煩いのなんの喧々ごうごう。

安田生徒曰く「貴様はおとなしいが元気があって非常に宜しい。」

永野生徒曰く「貴様元気あって非常に宜しい。今後頑張れ」と。


317(月)曇

 習字九〇点。一番後だったぜ。一寸嬉しいさ。前は七二点。癪だから一寸頑張ればこれ位さ。とかなんとか威張るなよ。然し威張らなくちゃあ。近頃は憂鬱だよ。一年中でこの一週間が最も楽だそうだが、どうだか。今

日は疲れた。四号は忍従の時代なり。


318(火)雨

 朝からひどい雨だった。一号横須賀見学だが雨で気の毒だった。そのかわり短艇陸戦なく軍歌三〇分となった。二号そのうさ晴らしに軍歌で張り切る。


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19(水)晴

 朝の運動軍歌元気無しと叱られる。歌詞を覚えてないので一号には後から怒鳴られて弱った。経済原論今日は何と三時間。休講、休講依って補講とくる。


320(木)晴

 全校生徒、送別茶話会が夕食後有った。教頭列席の下色々の御馳走が出て愉快だった。余興となると珍妙な奴が出る、出る。大笑いし続けだった。二号代表山崎生徒の送別の辞は態度と共に実に立派であった。

 
325(火)晴

 第三十期生徒栄の卒業式。畏くも伏見宮殿下を迎え奉り厳粛に挙行され感激一駒であった。後藤、足立の両候補生恩賜の短剣を戴く。午後一時より九時迄外出。余り気持が悪いので中村で六時まで寝た。夜8時から東京駅に行き感激の見送りをす。前途を祝す。

 
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26(水)晴

分隊編成替。第六分隊伍長秦賢太郎、伍長補梶原。大いに頑張ろう。午後移転作業。


327(木)晴

 六掛半起床。起きたとたんにラッパの終らん中に起きたと二発。これは驚いた。


328(金)晴

 まだ気持が悪くて弱る。硫化水素が胃から出てきて腹が一杯。食欲全然無し。これで四日間となる。少々厭だ。思い切って絶食して早くなおしたい。休も弱っているのか非常にねむい。早く元気回復。エネルギー蓄積せよ


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11(金)晴

 金谷隆一校長、軍令部出仕を命ぜられ、本田増蔵主計中将新校長となられる。


57(水)晴

 最初の学年試験第一日。法学通論一、公法私法・実体法・手続法二、故意過失、完全に山が裏切られたが先ず書けた。山はいかん、いかん。化学D空中窒素の固定法B分子量原子価硫化物、電離とは驚いた。@に至りては真に恥づかし。嬉しさも中位なり俺が試験。


58(木)晴

 試験第二日。倫理には驚いた。「一、日本倫理の特質二、志向の意義」デカルト、何とかやって大損した。日本倫理とは未だに分らぬ。歴史も普通の問題だが、なかなか書けんもんだ。漢文も十八史略で危うくやられるところ。常識の活用で難関突破。勿論不充分なるところ多かったが、結局今日も「嬉しさも中位なり俺が試験」。それとも余りに楽天的になりすぎたか、悲観せんかい。

 
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9(金)晴

 英語(成田、フイッシヤー)国語、基本兵学、余りかんばしくない。特に国語・基本兵学に於いて。国語はやらなかったから汝の実力としてはまああの位だろう。然し基本兵学は相当勉強した物だが徹底不充分だった。それで少し残念だったが、中学時代のあのできなかった1の自己伝を思い出し、愚かな姿と思った。こわれた茶碗は償い得ず。


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10(土)雨

 第四日独語、陸戦。本日は悪成績なり。単語が分らないので仕方がない。一寸残念だった。また頑張るさ。陸戦はまあ好成績。「向上の道」を読みて大いに心の安心を得るところあり。


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11(日)晴

 残念ながら一日中机と対座。今迄全くこんなに勉強したことがない。頭が良くも壊れぬものだ。現にふらふらだ。然し皆よく勉強する。やっぱり明晰な頭脳を持っている。俺の頭は駄目だ。制限があるようではいかん。太平洋でも呑みこむ位、威勢よくやっつけろ。/然し明日の経済原論と物理は自信がない。随分やったがなあ。

 
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12(月)晴

 今日は憂鬱だ。失敗だらけ。経済原論(1)は報酬、漸減法則、(2)はまたあやういところ。不完全なり。あまり感心せん。物理は不勉強の致すところ。さんざん分らん。(2)に至りては零点に等し。慣性能率とはひどい。過ぎたことはくよくよするなかれ。明日と明後日だ。最後の頑張り。


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13(火)晴

 今日もかんばしくない。英語はやはり教官のいうことを聞いていなくてはいかん。その場で考えられるような問題ではないんだ。

普段の努力によって現れる。然し書くだけは書けた。教官のいぅ通り書いた。しかしどうしてこの意がでるのか分らない。あと一日頑張れ。僅か一日だ。元気を出せ。

514(水)晴

終った、終った。この喜び如何とも表しようがない。然し数学は大失敗。五題中二題出来なくて実力なきに悲観する。短艇はまずできた。苦しかったこの1月。よく頑張った。できてもできなくても一生懸命やりさえすればそれで宜しい。


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15(木)晴

特別日課。嬉しい見学である。先ず午前中央株式取引所。我が国株相場の決定所であり経済の大中心をなす。数百人の人々が気狂いの如く手まねしている。一寸奇観である。

午後は朝日新間社。その素晴しい機械に驚嘆す、新聞記者のはなしもおもしろい。実に有益な見学だ。


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16(金)晴

午前、日本銀行、素晴しく精巧な時計じかけの大金庫にびっくりする。山と積んだ50銭紙幣。手形交換所、本日は一億九千八百万円の金が決済された。実に凄い。午後は内閣印刷局星野川工場。これまた物凄い。従業員、五〇〇人。百円紙幣流れるが如く。


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17(土)雨

猛烈な雨の中、学年行軍御嶽山。海軍生徒の族行は実に愉快だ。菓子(まんじゅぅ)かたぱん、夏みかん、べんとう、食くいきれん程ある。茶処で風雨がひどいので学年会、余興に時を過ごす。ケーブルカーは行き帰り。実に愉快だった。


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18(日)曇

試験慰労に坂本と岩佐を連れて行く。菓子が山ほど用意されてあった。まんじゅぅ、サイダー、しるこ、何でもござれ、いつもながら父と母との親心に感謝の心が湧く。試験の成績の悪いのも少しもとがめないで、もっとしっかりしなければいかん。兄さんは二十日、中国地方兵学校の方まで遠距離飛行。無事に。一番機。


519(月)晴

午前、中央市場、魚類、野菜類、その壮観さにびっくりする。ここにも人間の躍躍たる経済活動が見られる。謂われるあんちゃん達なり。地方裁判所、すりと国家総動員法違法何れも面白い。専売局品川工場、煙革製造の壮観さ。1分間に900本なり。近代科学の粋。


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20(火)晴

午前つり床実習。水路部見学。海図を作るところだ。午後中央気象台。まるでおもちゃみたいだ。然し有意義なる見学もこれで終った。先ず感じたことは疲れた。明日より乗艦実習。しつかりやってみよう。気持悪し。


521(水)晴

 乗艦実習(山城)第1日。横須賀より内火艇にて。その威容に接し感激を新たにす。午後より見学。ただくたびれるだけだ。覚えるにしても沢山あって覚え切れない。つり床は暑くて、暑くてたまらん。汗びっしょりで寝る。


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23(金)雨

山城出港。出港作業見学。大島方面に向う。第一臨戦準備、第二臨戦準備、合戦準備と兵も苦しい。艦橋に登り大いに見学す。


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24(土)雨

主計科見学。山城艦内大掃除。洗濯見学。午後125分退艦。久しぶりで帰校。


5・26(月)晴

学年日誌。用語不穏当と書かれ甚だ恥ずかしかった。午前特別大掃除、俺の最も恐れている特掃であったが無事終えて嬉しいとは情けない。尤も思いだすが三月二十一日に全くこりたから。午後藤原銀二郎他の名士「工大)

多数参観。特掃の後とはぅまいところに来た。余り綺麗でびっくりしただろう。


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27(火)雨

海軍記念日。旗屋上高く翻る。運動会雨天のため中止生徒は海戦と警急呼集に出る筈だった。分隊講話。午後外出。銀座街に海軍軍楽隊を先頭に水平の行進。偉い人気だった。川中訪問、皆遠足(伊豆)に行って杉本、林先生不在。小柴、萩原先生と話したが彼の大言壮語に閉口。火鉢の前の空論か。


528(水)曇

学年進級申渡式。分隊編制替え。三号は課程が1年に延び言及に留まる。成綴発表なく全く嬉しかった。一号、二号は成績順に並ぶ。第三分隊編入、伍長秦生徒。午後外出。日劇に行く。中村に行く。失意泰然、得意淡然。

 

529(木)晴

2学期始業。久し振りで机に対したので案外勉強に興味が持てた。これも試験でこりてしっかりやろうという気があるんだろ。ドイツ語の成績は不徹底で悪かったそぅだ。法学理論は非常に成績よく皆及第。三分の一は帝大法学部の学生と肩を並べ得る実力があるとのおほめ。自重自重、汝は駄目な方なるぞ


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30(金)晴

昨日は教育局長参観。最近気持良し。体の悪いもの、要注意者、全校生徒の中約二十名。俺は番外だからどうやらよいらしい。俺は分らん。成績村岡教官の講評大体よいが、まだまだ不十分とのこと。過去は忘れて頑張っていこう。


629(日)曇

夏軍装着用、嬉しさこの上なし。全く純白の軍装に短剣はスタイルが良い。いよいよ本格的準備を始む。何を?我が胸に問え!


630(月)暗

暑いのなんの驚くばかりのむし暑さ。正体もなくボーとして1日送った。何しろ朝総短艇でふらふらになり、簿記と機関術は何やったかさっぱりわからん。午後はまた角力にテニスに武道。夜の温習時間の暑いこと。水を一杯のみたい位。いよいよ六月も終った。七月だ、皆の喜び如何許りか。

 

75(土)晴

昭和16年度生徒相撲競技第5分隊優勝。第三分隊第五位に墜落、伍長が優勝をきし死闘を要求したが、一号からして惨敗で残念だった。俺は三連勝、日頃サボッテ意気消沈と怒鳴られるが、いざ機会がくれば全身火の塊

だ、弾丸だ。勇者は平生おとなし。土曜の巡検後談話許すが厳禁された。

 

76(日)晴

 嬉しいお便りに一直線に帰える。素晴らしい蓄音機付電気ラジオ。肉声が実にはっきしてボロ蓄音機とは比べものにならない。レコードの買甲斐があるし、兄さんも義ちゃんも喜ぶだろう。有難きは親心。昼前達ちゃん

がきた。海兵を受験するそうだ。氷を思い切り飲む。分隊日誌で四時帰校。一寸借しい。海軍生徒は幸福だ。


77(月)晴

 支那事変四周年記念日で我が帝国海軍を代表して海経生徒練習生、参拝隊となって七時二十分出発。偶然にも軍艦旗護衛兵となり、先頭に堂々と進むは痛快の限り。護国の英霊の志を遂ぐ我々第二国民。熟して帝国海軍を負う栄ある海軍生徒。かくして先祖より我々子孫に末永久に大君の辺に死なんとする感激言わん方なく、精励いやが上にも緊張せり。午後帆走。


78(火)晴

 生徒生活の夏は一通りや二通りの苦労でない。甲板掃除に駈足に、汗たちまちびっしょりで全く気持が悪い。尤も冬よりよいかも知れん。午後三〜五時講演。独ソ開戦を繞ぐる国際情勢(田代軍務局員中佐)大体可なるももっとつっこんだ話をすれば良いのに。


79(水)晴

 暑しとも言われざりけり……の御製を誦してもなお止りかねる暑さと汗。うだるようだ。海経海機受験者(体検)が八日より始まっている。川中の者が今日居たので話してみたが皆張切っているらしい。海機が多いが今に入れば眼をむくぞ。憧れと幸福は伴わぬようだ。明日より帆走、酔うものか。大いに愉快にやろう。夏休みまであと僅かなり。


710(木)曇

 帆走訓練。午前八時出発。東京港外まで曳航。これからがぶられてびしょ濡れ。そもそもこれが始まりすっかり酔ってしまった。あっちにもこっちにもゲーゲー。悲惨な極みで総員倒れという酔態。伍長と柳生徒と阿部が酔わなかった。大浪けって進むのも痛快。やっと五時木更津航空隊着。作業は三号、三号であまり気持よくなかった。巡検後菓子あり。サイダーに菓子十二個とは豪華なり。


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11(金)南

 朝から猛雨で難コースを思わせた。一寸航空隊見学。帰途は物凄い難コースだったが、幸い酔わず終始元気旺盛。


712(土)曇

 午後六時より軍人会館にて「純忠菊池氏顕彰講演会」講「菊池勤皇史の筆を擱きて」と題して文博平泉澄氏。容姿端麗というかいかにも風采がよく、びっくりしてしまった。文学者とはこんなものか。その他舞あり、歌

謡曲等あり、経理学校として大サービス。悠々とできるのも有難い。


717(木)曇

 今日が最後の授業。思えば永き生徒生活だった。八か月も夢のようにたってしまった。あすから水泳訓練。大いに頑張ろう。皆の心はもう有頂天。もっとものことだ。兄さんより勉強しろと手紙がきた。


718(金)曇

 水泳訓練第一日。安房郡保田町大六海岸海軍経理学校幕営地とあり。良き景色の中に立て甚だ気持良し。午後から三号の検定あり。見事級なし。今後の奮闘を望む。夜の食事甚だ愉快。実にうまい。楽しき夢を結ぶ。軍宣

伝用映画。キャンプファイヤ映写。


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19(土)曇

 第二日。鶴岡師範の指導ぶりには感心する。八時〜九時分隊監事の雑談。九時〜十二時遊泳クロールの初歩。間食がたくさんで楽しみである。二時まで午睡。これも楽しい。二時から四時まで訓練、ラッパがなると我勝ちに猛然と元気が出るから愉快だ。


720(日)南

 朝から土砂降りで何とも致し方ない。遂に水泳取止めで食堂にて渡辺緑村先生の詩吟指導、午前中全部だから辛いのなんのいやになる。彼氏の肚にも閉口する。午後は東実工の臨海寮にて鶴岡先生の漫談、夜は映画、明暗

二街道、其の他。先ず愉快にすごせた。水泳訓練とも思えぬ。


729(火)晴

 午前一時問遊泳。がっちりしている。水死人昨日あったので一騒動。午前十一時帰校出発。午後四時帰校。十二日問も早いものだ。さて来るものは夏休み。あとは時間の問題だが明日が一寸つらい。


730(水)曇

 午前特別大掃除。昨日はトランクを出してつめこみを始めたので、皆休暇気分で大喜び。無事大掃除終って午後一時外出。神田に行ってうんと本を買い込む。たのしき夢を結ぶ、いや一夜中むずむずして眠れない。


731(木)曇

 夏休暇開始。生徒に限りのこの休暇有難きことこの上なし。その御趣旨を体し有意義に暮さん。三百六十五日中たった二十日間しか家でたたみの上で眠れないのだ。八か月ぶりに夜となってもかえらないでいるのも一寸お

かしい。楽しき休暇よ。上田、田中先生のお土産を買いに行く。二十日問の夏休暇も時局切迫のため十日問となる。


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1(月)曇

 早朝宮城参拝。今日は震災記念日で沼田教授や吉岡監事から思い出話があってなかなか感慨深かった。明日より演習に出発。夜は随意温習。


92(火)晴

 辻堂演習。今度の演習は本格的に割烹?をやる。宿所に行き午前十時演習開始。午後遭遇戦。夜戦。相当の猛訓練なり。夜は良い月で気持が良い。菓子は一寸しかない。


93(水)晴

 攻撃防禦戦。うんと駈足した。主計隊襲撃として浜をかけたのは苦しかった。夜分隊会。氷なし。非常呼集。


94(木)晴

 追撃退却戦。後衛尖兵となって往生した。無事終了。愉快だった。

101(水)雨

 早朝宮城参拝。十月に対する覚悟を新たにする。

 

102(木)雨

 昨日は大嵐、喧しいのなんの眠れやしない。朝になっても猛烈な風だったが、幸い快晴となって久しぶりに気持が良い。村岡教官は主計中尉特別講習学生指導官となられ新を幸崎教官が第一学年指導官となられた。月日は流れるようだ。時間が惜しい。

103(金)晴

 身体検査。血沈好詞。調子も快調であるが、肺活量三、五五〇 目立って少ない。入校時は三、四〇〇で増したが、当然四、〇〇〇を越えねばならぬ筈。体重も比較的少ない。まだまだ剛健な身体とはいかぬ。充分自重しなければならぬ。眼は少々悪くなったようだ。1.0が眼鏡かけて見えないところをみれば。胸囲は増した。然しこれは当にならん。

 民法がさっぱり分らん。根畜生分らんといぅことがあるか。負けじ魂。頑張れ。繰りか1えしくりかえし勉強しろ。午後短艇。勉強は積極的に。


105(日)晴

学年行軍。教官が行かないから有り難い。六時四十分出発。鎌倉へ。大混雑で最初からふらふら。八幡宮、鎌倉宮、大塔宮行在所、それから材木座海岸で昼食。長谷の大仏にて解散。二時半頃家に帰る。暫く遊んで中村に行く。泰ちゃん英語教材で少々弱っているらしい。烈しい気性の人間になれ。

 

107(火)晴

第三回談話会。藤沢(苦境に鍛える)久保(犠牲)皆良好と褒められた。事実三号はうまかった。一、二号のは覇気がない。内容も充実していない。


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8(水)噂

 どうも気持がさっぱりしないと思ったら日曜以来便通が悪かった。これから気分の悪いときは直ぐ腹の具合を良くしろ。便通をよくする、飯を良くかむ、これが第一

だ。松下教官当直監事で一号に最近感激した書を上げて見よといわれて、皆ありません、ありませんで、おじぎをする。何というだらしないことか。皆日頃威張る資格もあるものか。俺は毎日感激することが必ず一つある。


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7(金)晴

第5日。歴史。一寸危やふやなところがあったが概して良好。前の成靖と格段の相異あると信じる。然し歴史も全くの一夜漬けだった。あんな真剣な時は一寸ない。ここが試験の矛盾したところだ。短艇にしても殆ど要点のみ眼を通した程度であったが敢えて失敗するという程でもない。これによれば、試験は運か。普段の努力か。


119(日)晴

神奈川県会解散会。1号の土産話を青木生徒から聞く。家に帰る。久しぶりだ。橋本進二中尉は兄さんの兵学校時代の大親友だったが十月二十二日殉職された。兄さんのかなしみ。それと共に両親の動揺何ともいわれぬ。謹んで冥福を祈る。「えびす」の伯母来る。


1110(月)晴

十時より平泉澄氏の「恩」という題で講演。山鹿素行を中心として感激一齣であった。午後は「中立の将来」東京帝大教授法博横田喜三郎、一寸面白かった。「嵐の中に思ふ」東大教授那須皓。非常に熱誠家で国家の政治を批判すること鋭く痛快の限りだった。


1115(土)晴

 栄ある第三十一期生徒卒業式。伏見宮殿下を迎え奉り感激一入であった。壮途を祝す。午前十時二十五分奉送。午後一時外出。


1116(日)晴

岩佐と吉江を連れてかえる。まんじゆう御馳走。多摩川に行く。午後より榎本藤吾さん、叔母さん、樽ちゃん、靖ちゃんくる。皆大きく立派になった。


1117(月)晴

学年行軍筑波山。実に愉快だった。天下に号令する気になる。


12・8(月)晴

来るべき日は遂に来た。午前6時日本対英米宣戦布告。我が海軍は速くフィリッピン、シンガポール、ハワイ、グァム、香港大空襲。シシガポール付近敵前上陸。大詔湊発。感激、感激、涙が出てしかたがない。午後○時大詔渙発。


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9(火)曇

昨日より厳重なる燈火管制。空襲―総員集合を夜中に覚悟したが何事もなし。然し無気味!我が海軍の大戦果正に驚嘆―滅茶苦茶に撃沈、爆沈、撃墜、拿捕、痛快極まる。


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10(水)雨

久しぶりの雨。近頃は起きても真っ暗だ。戦況は益々有利。大戦果。極東艦隊全域。各教授海軍を褒めること。海軍大人気。国際公法を学ぶ。

 

昭和17

11(木)晴

宮城参拝、遙拝式、外出、御写真拝礼式。戦捷の喜びの下新寿年立ちかえる。清新の霊気溢れる宮城の朝まだき、宮城参拝に吾人の決意を新たにし、心身爽快なり。

午前九時十五分遙拝式、お写真拝礼式。午後六時まで外出許可。休暇無き二千六百年、生徒はかかる境遇の下に心身鍛錬をなしたと後世に残らん。


12(金)晴

訓練始、武道、陸戦、短艇。訓練始と名附けて、始めは御勅諭謹写、武道、陸戦、短艇。寒い、寒い東京湾であっちへ行ったり、ぐるぐる三号番かえなしで可愛そうみたい。海軍生徒のやることなすこと物凄い。然し一月二日のお正月という月日を取り去れば、訓練なんてあたりまえかも知れぬ。外出二日の前には重い条件あり。


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3(土)晴

 元始祭、軍艦旗掲揚外出。今日は曽我家五郎一座を新橋演舞場で見る事になっていたので朝はクラブ、ニュースを見て遊ぶ。一年ぶりで「亀八」を知り行った。大いに活用すべし。芝居はあまり面白くなかった。本を買う。「明治大正国民史」「青年の心の糧」「武士道の神髄」これからうんと買うぞ。読書の楽しみ、食う楽しみ。目下の急務。


14(日)晴

 外出粂谷来信。岩佐のお母さんが子に会いたさに上京、今家にくる筈。久しぶりに餅を食ってとても愉快だった。午後から岩佐がくる。大喜び。それから岩田のつや子さんが子供をつれて餅を持って来られた。有難い。義ちゃん明日かえる。東大突破を心から祈る。海軍中尉、東大生、海軍生徒、天晴れなるかな。


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21(水)晴

昭和十七年剣道生徒分隊優勝競技、個人優勝競技。1年前を思いだす。流石に海軍生徒、熱戦又熱戦、観戦者迄少々殺伐な気分になり神経がたかぶってくる。第∧分隊優勝。四分隊は始め好調で、乙班優勝分隊となり、決戦で惜敗。準優勝第二位となる。二号奮闘せり。個人優勝競技は伊藤生徒優勝。三号も元気だった。要するに意気だ。必勝の信念による。あすは大いに頑張ろう。補修学生入校式。赤飯。

 

122(木)晴

 柔道分隊優勝競技、個人優勝競技。俺二勝三敗一引き分け、待望なりし柔道競技も惨敗、惨敗とあっては少々情けない。実力の薄弱を痛切に感ずる。一人の敵に勝つ術を学ばんより、万人を対手とする術を学ばんと嘯くか。自分の時はそわそわして心配であるが、大局から見れば問題はない、之個人を以って全体を作る。人間が死して戦勝がある。個人は無視されて全体が生きる。之真理故にいらぬ取り越し苦労と口惜しさは無意味なのであろう。俺は恥しい。第四分隊第四位。合計点十二点、第一位なり。

 
123(金)晴

 剣道大会、選修学生紅白試合、生徒紅白試合、選士試合、大日本剣道型、夢想神伝流居合。今日の剣道大会は華々しく非常に愉快だった。生徒の紅白試合は変化あり、選士試合も熱戦の連続だったが本校の勝利。中山先生は去年と全く同じ。夕食は例年の如く戦士招待。御馳走。二号になって、あさましいが、汁、天どん、みかん等なり。さて、様々の余興が出て愉快だった。明大なんて全く仕方がない。情けない様な余興をする。一高、陸経は流石しっかりしている。昨年を思い出し比較する。剣‖


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24(土)晴

生徒紅白試合、戦士試合、模範試合(八人掛)、極型三船師範三人掛。小谷に勝ったと思ったら槇原にあざやかにやられた。依って二級原級に止る。身分相応ぐちはいうまい。ここにも真理的な信念を知るが、これは甚だ消極的だ。再考、熟考を要する。田淵五段対部外選士八人掛も立派だった。北林六段と高橋七段の極の型、之は実に派だった。選士試合は生徒の惨敗で残念だった。三船先生対田淵、斎藤、北林先生之は相変らず気持が良い。夕食は御馳尭、汁粉も出る余興も愉快だった。これで行事も終る。一路勉強へ。


211(木)晴

 午前八時軍艦旗掲揚。午前九時十五分御写真拝礼式。午前十一時半外出。補修学生、予備学生四百人では御写真拝礼式も言労だ。終って柔剣道優勝授与式があり。午前十一時半外出、先ず菓子を食って帰宅。藤江の澄子さんが結婚されるので、父母その式に行き留守、閑散としたものだ。何もない。銀座を歩きカラーを買う。余り小さくては「のど」悪い。「学生と先哲」「考える技術」を買う。全て二号の頃は悩みの時代だ。頭がふらふらにな

る。友が欲しい。心の友が欲しい。俺は、でないと寂しくて仕方がない。


2
12(木)雪後晴

(ツベルクリン注射)起きたら小雪がちらちらし綺麗だったが、当直幹事は固くて校外駈足。近頃は駈足、駈足でうんざりだ。民法に責められるので、皆ブウブウ不平を言っている。たまには話でもすれば良いのに。英語や牧野教授に話をしろとせがんでもピンと響かぬ。うまく逃げられてしまう。皆も授業が嫌とみぇる。要注意者ツベルクリン反応注射。近頃頭が疲れたようだから一寸休まなければいかん。楽な気持で勉強の事。


2
13(金)晴

 総短艇。久しぶりだったが寒かった。寒い、寒いというじやあない。心の持ち様一つといぅが、昨今急に風が出て来た。田中芳夫主計大尉はハワイ作戦に活躍せる蒼龍前主計長。本校に来られて生々しき実戦談。忠勇な将士の悲壮なる覚悟と決意に深く感銘を覚ゆ。我が兄今何処に在すや。健闘あれ。川内主計長たりし小笠原主計大尉も来られる。皆堂々たる偉丈夫なり。我もかくあらん。


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14(土)晴

良い天気だ。然し寒いと体がこわばって自由がきかない。最も危険なときである。尤も自由になる様にしないで、ちぢこまっているからだろう。ツベルクリン反応少々あり。下手糞な看護兵の奴4/7といった。少々その位の価値はあるかも知れんがとにかく、俺は体がどぅなのか分らん。確証を得たいもの。午後空襲警戒、部署訓辣。蹴球見学。昨日より東京市何故か知らんが燈火管制。夜斎藤少尉来校。


215(日)雪

 総員起床、甲板大掃除。ハテと思ったら何と雪が降って相当積もって居る。御嶽山方面の行軍に行く者も気毒だ。帰宅。ゆっくり腰をすえる。うまい「すし」を作ってもらい久しぶりに腹一杯になった。○○艦隊が○○に入港したらしく少尉、侯補生が出ている。兄さんも入って居るんじゃないかな。もしかすると帰れるかも知れない。最近三号がだらだらして、然も今日も小事件があったのでギユゥギユウ絞められていた。


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16(月)曇

 猛烈に寒くなった。二号になれば張り切らんから、寒さが身にしみる。一号になるともっと身にしみだろう。

 昨夜シンガポール無条件降伏。遂に陥落めでたきことこの上なし。昼は赤飯。落下傘部隊活躍、やること総てが物凄い。海軍の底力だ。然し俺達は俺達の本文がある。俺は今自分を確立するのだ。大抱負を以って事に処すべし。


217(火)晴

 体操でだらだらやっていたら井田生徒に叱られた。一号がハラハラすると。尤もだ、然し俺の心を誰が知ろう。俺程の人間がサボる事を自覚してサボるものか。サボル事は罪悪を犯す事なのだ。悲しいかなだ。午後短艇。隅田川上流に行く。永代橋、清洲橋迄行ったがどちらも面白い橋。初めて行く。空も晴れ波も静かだったが、三号は必死の状態、二号とても苦しいのだ。況や・・・。


218(水)晴

 大東亜戦争戦捷祝賀 第一次祝賀。全国一斉。分隊日誌。シンガポールも陥落したし、今日は全国一斉祝賀日。学校は皆休みで喜びにひたる。海軍生徒は普通通り。午後二時より靖国神社、宮城参拝に行く。人間の波には驚いた。然し国民の赤誠ぶりがあらわれて頼もしい。祝うときは大いに祝って可なりだ。然し外出もないので一寸がっかり。夕飯は赤飯を喰う。「学生と西洋」に首つき。難解々々。


2
19(木)晴・曇

世の中の人は皆俗ぽい信念を、安心を得た様に考えている。何も学問的な言わば哲学的な根拠を求めず、諦念的な安心を得んと努力している様だ。畢竟学力が足らんからだろう。つまるところは安心を得るにあるが、天理教とか宗教とかは安っぽい。深みがない。殆ど諦めでかたづけている。俺達は正に哲学により人生を解決し、人生観を構成して行かなくてはいかん。本日銃器点検あり。「人格主義」を一寸見る。


220(金)晴

第三分隊第四分隊蹴球試合1対1で引分け

「総員起床後事業服に着替え、総短艇用意!」

と副直士官が態々言いに来た。やれやれこの寒空に月島一周かと思ったら何の事はない、簡単なるとうそう撓漕。近頃は一号が実質もともなわんのに文句ばかり言って癪にさわって仕方がない。甲板掃除が遅いのは、号令演習をサボっているからだと、邪推も甚だしい。気に食わん。然しそんな事は眼中にない。俺にやる事が一杯ある。常に悠々として楽しむべきだ、しかめ面するな。


2
21(土)晴

 普通大掃除。午後一時より分隊点検。三号は始めてであるが、補習学生は三百人、練習生四百人で余程こたえると思ったら校長は簡単な姓名申告で後は素通り。教頚も何とも言はない。忽ち四十分位で済む。分隊点検はこの立ちん棒に閉口する。その後蹴球 三、四分隊、1対0で惜敗す。


2
22(日)晴

神奈川県人会。神奈川県人会の為若松で食ぅ。総勢十二人だが、今日は九人集った。菓子子折を貰えたので直ちに帰る。義ちゃんも元気だった。黒瀬の浩さんが結婚されるのでお父さん、お母さんが仲人として式に行かれる。内輪に式を挙げられるのだそうだ。これで黒瀬家も安泰。「加藤咄堂選集」「エミ−ル4」を買う。どれも手頃の良い本で嬉しい。


321(土)快晴

 小仏峠方面分隊行軍。実に愉快だった。生れてこんなに気持よく、よくしゃべり、よく笑い、よく冗談を言い、よく食い、まことに有難いと思った。成程今迄苦しんで来た。こんな日はなかった。皆は当りまえの日と思い

俺が喜び感謝するのも俺の心一つなのだ。この小さな心で大きな世界を画き出しているからだ。食う事が楽しみでもない。笑う事が楽しみでもない。分隊生活と俺の生活と共に一つの美しい魂を見出すからだ。


3
22(日)晴

 何と楽しき日よ。義ちゃん東北帝大理学部化学に合格、今朝帰ったとの事。理想的なるとの事。遂に三人兄弟その宿願を達し得た。ひとえに広大無辺の親の愛に基づくもの感謝の言葉もない。偉大なる父母、偉大なる兄等、

俺は幸福だ。ただ天地に感謝するのみだ。品川の「緑風荘」という支那料理屋で御馳走になる。それから百貨店に買物をする。楽しき日かな。


324(火)晴、風

久しぶりで撲られた。階段の昇降で。久しぶりのせいか心の動揺、憤り夥しい。然しここが忍耐の住所と思い、丹田に力入れ、一つ、二つ、三つと数えたが、まだおさまらんので詩を吟じて心が晴れた。是を是とし非を非とし、その理非を分別出来る程の度量が出来れば偉い。今日はほぼそれに近いので心の進みかたに嬉しく思った。然し陸戦で斥候長になり、落着きのないのも日頃に似ず恆怩たるものあって残念だった。修養々々。


3
27(金)晴.

 近頃堪忍なることを覚えたり。海軍主計少将片岡覚太郎(海軍経理学校第1期卒業)新校長として本日着任。本田校長軍令部出仕を命ぜられた。午前九時より十一時迄授業無し、久しぶりにて又森栗さんに撲られた。ホウキを持って歩いていたと。僅か六米の距離でもいかんらしい。とにかく直ちに屋上に上り、沈む荘厳な太陽を眺め詩を吟じて鬱憤を晴らす。実に心が落ちつく。森栗さんなど俺にあってはてんで軽蔑される。


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28(土)晴

 午前3時より校内点検。新校長は在勤年間の三分の一を経理学校に教官教頭としてつとめられたそうだから良く知っている。午前大掃除。カッターは寒くて辛い。軍歌で二号もふらふらだ。然しあんな怒り方は一号としてすべきでない。それ丈の器量と襟度がなく俺に軽蔑される丈だ。一号は一号らしく理非をわきまえ、悠々とした態度をとれ。さらに自分を考える。

 風は過ぎ行く人生の声なり(蘇峰)


4
1(水)晴

総短艇。昨日で往生したので癪だったが、ポンドを出てクリーク巡り。軍医学校の桜見物。丁度良い盛り。漢文は良い事をいう。恒の心の持ち難いこと。不動鉄石の心を必要とする。要するに自分を知れば良い。自分の心をはっきりと握ることだ。賞められても撲られても自己は変る筈がない。俺は俺、人は人、これ丈なのだ。四月一日早いものだ。どっしりと西郷さんの様に行こう。


4・2(木)晴

 朝からずっと野球ばかり。厭々ながらやっても仕方がない。可哀相な奴よ。偉い人間なのか、馬鹿なのか俺は一寸も分らなくなった。偉い場合もあるし、他人から見れば馬鹿だろうし。悲しいかなだ。民法が分らなく茫然たる有様又あさましいかな。残念だ。何くそでやれ。午後排球、六分隊まける。声を出せ出せというが元来おとなしい俺がわいわいさわげるか。性質の如何ともすべからざるところだ。何せ無理して俺なるものを壊す必要はなかろうが。


4
7(火)晴

 東洋倫理概論を読めば無情に感激して勉強なんかてんで手がつかん。はていずれが可なりや。被服点検。こいつの為に転手古舞しなければならん。清潔、整備、整頓三調子だがなかなか出来んもんだ。然しさっぱりするか

ら済めば気持が良い。当分気も楽になる。午後短艇月島一周。修養、修養という人がふらふらになって早く櫂上げせんかなあと盛んに思うとはどうかと思う。一寸嫌な事に合ぅと前後も忘れてしまう。なんにもならん。注意すべし。

 

48(水)晴

 軍神九柱の日比谷公園に於ける海軍葬に参列。午後一時半より。祝詞を上げたるときの感激思わず熱涙が流れ出るのだった。不思議な偉大な崇高無比の感情が怒涛の様に押しよせてくる。感激の渦に胸中たえられない。軍神の親の名を立て孝の道を完うし、然して忠の道を完うす。人間ここに至って至高至実の目的を達す。地となる。海軍大臣の弔辞あり。


49(木)晴・風

 総短艇。民法譲渡担保に入る。超スピード。来学期より債権法に行く。試験問題もくる。忙しくなった。頑張ろう。常に心を新たにして準備万端怠りなく、雪辱を誓え。午後校外駈足。商船学校迄行く。偉い人になりたい。感激の炎はやたらに燃える。英雄哲人を私淑する心、ただ読書の時間なきをうらむのみ。この良き朝に野球、排球の練習とは分隊の為とはいえ。


415(水)晴

総短艇。一号になれば総短艇も楽しくなる。艇長とすまして一号ぶりを発揮す。かえりも模範的境漕と大いに張り切れば尻の皮をむいて損したり。凡そ一号の生活程人生で痛快なるものはないだろう。一号、一号、絶対の権力を持ちひたすら人間養成に向う。至上の幸福な境遇だ。夜修養室で十二時過ぎ迄話す。

416(木)曇

 海軍経理学校は日本一の学校である。人物養成に於いても学術に於いても国の恩顧と期待に恥じざる様努力しなければならない。一号午後六時に帰る。愉快なりし三日問だった。試験も近づきたり。奮励努力奮励努力。雪辱、雪辱、心魂に徹し復せずんば又やまず。


4
18(土)晴

 短艇遠漕。米機来襲。遠漕。午前七時出発、沢山の橋を通過して午前十時十五分目的地着。二号がほうすいを主としてやる。午後○時二六分突如新型航空機悠々と飛翔し来り我が頭上に来る。啼と思う瞬間爆弾投下。これぞ米機。直ちに帰校。途中高射砲の乱射にも拘らず敵機悠々。天晴なるかな。敵にも武士あり。油断大敵。


4・24(金)晴

 蒼龍帰れり/蒼龍帰れり/蒼龍帰れり

泰候補生(赤城)学校に来られた。嬉しや嬉しや。兄貴帰りしならん。偉なる我が兄貴に面せば我益々元気。蒼龍遂に横須賀に帰れり。午後中堂大佐(第八軍令部課長)の大東亜戦の看透しで講演。その後生徒生活の映画。随意温習。


4
25(土)晴

 午前四時起床。靖国神社武装参拝。兄帰る/嘆感激の日。歓喜の日。偉大なる兄は偉大なる功を、抜群の殊勲を。ポートダウィソは兄の初空襲、セイロソ島コロンボ爆撃、巡洋艦二隻(ロンドン型)、商船五隻撃沈。セレベス島寄港。行く度に生死の境を乗り越えたとの事。ああ海鷲の勇士、日本男児、歴史を作る若人。偉大なる海軍。感激に堪えず。然れども義人兄帰らず。彼の胸中如何。


426(日)晴

 朝から十一時まで勉強。それより外出新橋駅で待合う。義ちゃん今朝帰ったとの事。親に心配をかける奴だ。そのくせ元気のくせに又よく笑う。「レインボウ」(日比谷)に行く。定食二円五十銭うまかった。それより高島屋で写真をとる。兄さんの背広姿なり。食堂の「洋食サロン」で又食う。上等なり。久しぶりで御馳走を食う。中村に行く。よい一家だ。気持悪く残念なり。


5
4(月)曇

 昼福沢候補生が来られた。兄さんから宜しくとの事。何だか嬉しいね。明日から乗艦実習。蒼寵も居る筈。若しかしたら兄さんも居るかも知れない。午後から釣床の練習をする。柔道査定。足立生徒とやる。日頃癪の種

をまく奴だから徹底的にやってやろうと思ったが、実力がないと見えて駄目。技あり。めでたく一級に進級。押し出しみたいで気まずい。然し俺には実力があるんだがなあ?


55(火)晴 .

 乗艦実習比叡にて、横須賀軍港の威容を眼のあたり見て感激殊更に深い。眼前に蒼寵あり。ああ兄かれに在ます。蒼寵、蒼寵/感激更に新たなり。比叡の最新式兵器のみ搭載しその威力、新兵器、科学の精粋の集合にして驚嘆の他なし。午には艦内旅行、砲術科見学。一昨年に比し格段の余裕と観察眼と研究心を以って終始し得たり。


5
23(土)晴

 大掃除。つまらない事夥しい。修養の足らぬせいか、一号が悪いのかむしゃむしゃする。午前東大教授東畑博士の「日本経済の動向」と題して講演、愉快であり立派な話であった。午後新銃を頂く。大掃除。陸戦、軍歌と来れば良い加減にくしやくしやする。明朝の準備の為に一時間繰り上ぐ。


5
24(日)

 学年行軍。扇山。実に愉快々々の極。こんな筈じゃあなかった、山道をふらふらになって昇ったが頂上の景色は亦なかなか良い。富士山のくっきりとした姿も美しい。空は快晴。次に下って貯水池に行く。行く途中も面白かった。池で学年会余興をやる。かえりは又愉快だった。行軍は楽しい。実に楽しい。


525(月)晴

 朝駈足。昨日で疲れているのに日比谷迄。体も疲労せり。午前理化学研究所。説明がなんと二時間。だいぶ勉強して愉快だった。午後は放送会館。素晴しい建物、スタジオだ。これも有益なり。次に帝国ホテル、やはり立派なのは確かだ。もうすぐとまれる様になる。見学終り。


5・26(火)時

 分隊対抗駈足。猛烈に弱ったあと、百米で参りそうだ。四分隊一着。偉いものさ。午前近藤中佐の「最近の世界情勢」余り面白くない。午後は明日の予行演習でふらふらのところ平泉先生の「至誠奉公」竹内式部のお話。

立派な講演であった。「若きベルテルの悩み」を読む。


5
27(水)晴

 海軍記念日。午前四時三十分、生徒警急呼集。武装総短艇月島一周。やれ忙しいの、相当の悪条件の下に、ワッショイヮッショイ。ふらふらになって外出。四分隊二号を招待する。汁粉、すし、有り難い親心。皆喜ぶ。久しぶりに母と話す。愉快であった。


528(木)晴

 生徒那須塩原方面行軍。第一日、三時間半ばかり汽車の旅。楽しんで行く。単調なる道を黒磯より那須湯本へ。途中駈足あり。殺生石見学。「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」芭蕉の句が印象に残る。夜分隊会。愉快其の極。


6
9(火)曇

 午後平泉博士の講演。今日は谷秦山(ジンザン)という聞いた事もない人間を引っばり出し大いに国学を論ぜらる。山崎、浅見諸先生と活躍せられたり。土佐の人。次いで菊池主計中尉の実験談。二時間に捗り極めて実際

的な教訓に富む話で愉快であった。我等の将来はかくの如く輝かしきものである。


6
10(水)晴

 財政学井藤教授。名講義。実に愉快。六月四日、五日我海軍部隊、ミッドウエー、ダッチハーバー奇襲。航母二隻撃沈。我方一隻喪失、一隻大破。巡洋艦一隻大破。嘆々・・・・兄よ。今何処がある。二十五機末帰還。兄よ。国の為に尽せ。蒼龍必ずダッチハーバーに行きしならん。我信ずる。天命なり。兄よ、生きよ。死するなかれ。犬死するなかれ。偉大なる人物はかかりて将来にあり。はやまる勿れ。


612(金)晴

 また総短艇でうんざりだった。気持良ければ元気よくやるんだが、不思議、不思議ともいはん方ない。授業も面白くない。読書も疑問だらけでどうしてよいか分らない。友が欲しい。先生が欲しい。何といふ寂しさか。解決できないものであろうか。

 

昭和17年(修業記録)


7
13(月)

 帆走訓練。天気晴朗ニシテ風向順調。船酔ヒ無ク終始元気旺盛ナリキ。タダ順調ノ余り技術ノ鍛練ノ機会少ナカリキ。


7
14(火)

 帆走訓練。木更津航空隊見学。帰航ハ一時無風状態アリテ大イニ困却セリ。天気晴朗。風無シ。


7
15(水)

 財政学。「スピード」ノ早キ事ニ困却ス。教練空襲警戒。実戦即応。被服、銃器点検。異常ナシ。暑気甚シ、夜雨、冷風来ル。


7
16(木)

 短艇、防毒法。一五〇〇−一七〇〇大掃除


717(金)

 基本兵学。帆走上ニ於ケル諸注意。一四〇〇一五〇〇校長訓話、慈父ノ感アリ。水泳訓練準備。


7
18(土)

 水泳訓練(千葉県保田町大六海岸ニテ)午後一時目的地着。設営。約一時問遊泳。本日ヨリ待望ノ水泳訓練、大イニ頑張ラン。


7
19(日)

 行動大要 水泳訓練日課表通リ。午前詩吟(渡辺緑村先生)遊泳、午後、午睡、遊泳。一日ニシテ真赤ニ焼ケ全身ヒリヒリス。本日ハ「アフリ平泳」ヲ習得ス。天気晴朗。


7
20(月)

 午前、横一段、横二段練習、午後、全員猛練習。父ヨリ来信。夜日焼ケノ為眠ラレズ。二〜三日ノ辛抱ナリ。


7
21(火)

 横二段、水球競技、編隊泳法。泳法ニ関スル注意。

1 水中ニテモ常二眼ヲアケル。

2 呼吸ヲ乱サヌ事。

3 泳法ヲクズサヌ事。元気旺盛。

722(水)

 午前、片抜手横一段、横二段、午後同、編隊分隊練習午前、隊監事訓話(誠ニ就テ)少々寒シ。午後遊泳始メノ号令極メテ不快、眼覚メ悪キ為茫然タリ。


7
23(木)

 午前相撲ノ話、チンバ抜手、(早抜手)・編隊。午後、立泳、飛込、クロール。夜映画、1 勝利ノ記録。 1、心ノ太陽。背中、顔ノ皮ムケクリ。


7
24(金)

 午前 山ノ話(伊藤教官)、タグリ横泳、編隊、

夜映画。一、海軍爆撃隊。一、明暗二街道。


725(土)

 午前山ノ話(伊藤教官)小遠泳、遊戯。午後クロール行動。


726(日)

 午前七時二十分整列大遠泳出発。浮島(勝

山一周)所要時間三時間半。溺者救助教練、夜分隊会


7
27(月)

 午前日高教官「南洋ノ話」午後総復習、クロール。最後ノ練習日。外出日。総復習ヲナス。


7
28(火)

 午前岡本教官ノ講話、検定。午後検定、分隊練習。検定モ無事ニ終了。技倆ノ上達著シキナキヲ恨ム。


729(水)

 競技大会。猛烈果敢ニ皆ソノ技傾ヲ発揮シ極メテ愉快ナリキ。午後一時半終了。第四分隊、第三位。優勝ヲ逸ス。朝「教頭訓話」


7
30(木)

 遊泳大会。個人優勝競技。各学年教官対抗リレー。ソノ他遊戯。極メテ愉快盛況裡ニ終了。最後ノ納涼。


7
31(金)

 午前。幕営撤収作業。一時十五分出発。久シク住ミナレタ海浜ヲ去ツタ名残り惜シ。水泳訓練モ遂ニ終ル。帰心矢ノ如シ。午後三時半帰校。身廻整頓。


81(土)

 午前特別大掃除(一一時四五分迄)一二時四五分水泳訓練優勝分隊優勝杯授与式。終ツテ特別外出。親類中村家訪問。真黒ナルニ驚ケリ。


82(日)

 行動大要 本日ヨリ休暇許可。八月十四日迄。待望ノ日ソノ喜ビ想像シ喜プ。父兄共ニ川越市ニ先祖墓参。休暇第一日有意義ニ送リタリ。

 

 週末反省並二所感事項

 猛練習モ大半終へ種々ノ泳法ヲ憶エソノ他技倆モ去年ヨリ、進歩シクリ。本日ハ体操ノ猛烈サニ困却閉口シタリ。

 体操ノ重要性ハ言ウニ俣タザルモ閉口ハ閉口ナリ。静カナ浜辺ニ於イテ遥カ彼方水平線ニ沈マントスル荘厳ナル夕陽ヲ眺メ或ヒハ煌々タル満月ノ光ヲ浴ビラ友卜我ガ身ノ将来ヲ語ルハ無限ノ楽シミアリ。海軍生徒クルノ幸福サヲツクズク感ジ、我ガ身ノ凡ニシテ至ラザルテ憂フ。

 水泳訓練以来既ニ十日ニ垂ントス。連日ノ快晴強熱ノ下ニ猛練習ヲ続ケクルモ身体モ無事ニシテ快調ナリキ。タダ食欲減退ハ一般事。常ニ睡眠不足ノ感アリ疲労ノ為ナラン。


8
3(月)

 午前、在宅。本立テヲ求メ書籍大整理。極メテ愉快。午後自転車ニテ多摩川散歩。

84(月)

 逗子行。従弟卜共ニ親類訪問。水泳訓練ノ技倆ヲ再ビ逗子ニ表シ愉快ナリキ。黒山ノ人驚ク許リナリ。久シク叔母ニ御無沙汰ス。


85(水)

 午前。親友佐橋君来訪(中学校時代)久シブリニ相語り、語り継ギテ尽クルナシ。持チタキモノハ親友ナリ。


86(木)

 戦友浅野ヲ仙台ニ訪問。昨夜々行ニテ早朝着。仙台見学。青葉城址、瑞宝殿、帝国大学、英雄政宗公ノ風格ヲ偲ビ瑞宝殿ノ奇建築物ハ印象深シ。天候不順、夜坂垣生徒来訪、愉快ナル一夜ヲ過ス。


8
7(金)

 浅野卜共ニ松島見物。塩釜神社参拝、遊覧船ニテ松島湾遊覧。風景優美ニシテ寄島奇景アリ。瑞巌寺、五大堂見学。浅野一家ノ厚遇ニ謝シテ東北帝大生ノ兄ヲ訪ヒ夜汽車ニテ共ニ帰宅ス。


88(土)

一日休養。読書、書籍整理。夜川崎中先輩海兵金子君訪問。暫シ快談。兵学校ノ近況、生徒生活ノ話ヲ聞キテ有益ナルコト多シ。奮闘ヲ約シテ別ル。


8
9(日)

 海軍中尉ノ兄ヲ除キテ一家四人富士五湖、精進湖ニ遊ブ。父母孝養ヲ目的トス。湖畔ノホテル在泊、風景雄大壮麗。父母ノ喜ブ様ヲ見テ我ガ喜ビノ如シ。安楽ナル一夜ヲ結ブ。

 

 週末反省並〓所感事項

 華々シキ遊泳訓練ヲ有終ノ美卜為シテ待望ノ休暇ハ来リヌ。婆姿人ハイザ知ラズ海軍生徒ニトリテカ程楽シキモノハ無シ。憂宵一刻値千金、光陰悠々トシテ天地ノ問ニ運行スルモ過ギ行ク時ノ味ヒ方未ダ足ラザルガ如シ。海軍生徒タルノ自覚ノ下時局ヲ能ク認識シテ有意義ナル日々ヲ送ルベシ、亦送ラザルヲ得ザルベシ。休暇ハタダ愉快ノ二語ニ尽キン。檻ニ入レタル小鳥ノ将ニ窓開キテ樹林ノ間ニ出デクルガ如シ。但シ充分健康ニ留意セン。


8
10(月)

 富士ノ朝景色ハ又格別ナリ、午前父母、兄ヲ連レテパノラマ台二登ル。頂上ノ絶景ニソノ疲労ヲ忘レ気悠々恍惚トシテ大自然ノ中ニシタル。午後昼寝。流石ニ精進湖ハ人気少ク娑婆ヲ脱セル心地ナリ。


8
11(火)

早朝ホテルヲ出発、バスニテ河口湖ニ至ル。小憩。明朗ノ感アルモ人気多ク精進ノ程ノ価値ナシ。午後三時帰宅。充分休養ヲ為シテ極メテ愉快ナリキ。登山者極メテ多ク意気盛ナル人物ヲ数多ク見ル。


812(水)

 午前ヨリ粂谷君来訪、中学時代ヲ懐古シツツ相語り、語り継ギテ尽クルナシ。持ツベキハ親友ナリ。午後三時頃、警戒警報アリ。


813(木)

一日休養、ブラリブラリ、ノタリノタリト気ノ向クママニ、一日ヲ過ス。休暇モ残り一日、一種特別ノ悲哀ノ情アランカ。


8
14(金)   .

 最後ノ一日ニ総決算ヲ為ス。帰校身廻整頓。


815(土)

 午前中大掃除、午後身廻整頓、家庭通信。

一六〇〇時軍歌、級友ノ元気ナル姿ヲ見テ嬉シ、心ヲオチツケン。


8・16(日)

 行動大要 午前帰宅、海軍中尉ノ兄突然帰宅、何年振リカニテ兄弟三人相揃フ、記念スベキ日ナリ。父母ノ満足之ニ過グルモノ無シ。小学校時代ヨリ兄弟会合ノ機会ハ休暇ノミナリキ。本日ハ極メテ嬉シ。

 週末反省並〓所感事項

 仙台ニ走り富士五湖ニ飛ブ。松島ハ世評程ノ美景ニハ非ラザレド、政宗公ノ英雄的風格ヲ偲ブニ足ル。富士ハ屡ノ事ナレド何時接ストモ心浄化サルル心地シテ天地正大ノ気凛々タルヲ感ズ。湖水ノ静寂ハ俗界ヲ脱シ俗人未ダ犯スモノ無シ。富士登山者ノ征服感如何。山ハ山ノ中二入リテハ偉大サヲ知り得ズ。富士ハ眺ムベキニシテ登

ルベキニ非ラザルカ。トニ角登山者ハ余リニ多カリキ。時ハ滔々トシテ流レ去リテ、ソノ早キヲ歎ズルノ声ヲ知ラザルガ如シ。無常迅速卜悟ルベキカ、愉快、愉快卜七日過ギタリ。


119(月)

午前、津田信吾氏講演。午後、星野新吉氏(理研)講演(物理卜化学ノ見学)何レモ極メテ感銘深シ。


1110(火)

 午前、神川法学博士講演(欧州卜最近ノ世界状勢)。午後、川畑海軍大佐溝演(最近ノ世界状勢)


1111(水)

午前、川村理助氏講演(忠孝道)午後、帝大航空研究所見学、不理解ナルトコロ多クサシテ得ルトコロナカリキ


11
12(木)

 誠心ヲ以テ校内ヲ清新ニシ卒業式ニソナフ。


11
13(金)

 卒業式予行。イヨイヨ卒業生卜共ニ起居スルハ今日1日、惜別ノ情禁ジ得ズ。


1114(土)

 第三十二期生徒栄アル卒業式。畏クモ伏見宮殿下フ台臨ヲ仰ギ盛大二行ハレタリ。別レニ対シテ感激卜惜別ノ情二皆涙ヲ流ス。


1115(日)

行動大要。 晴レテ新一号トナリ嬉シサコノ上ナシ。梅沢主計中尉ノ葬儀ニ於イテ御焼香ス。夜行軍ニ出発ス。

 

 週末反省並二所感事項

本試験ハ誠心誠意受ケクリト我信ジテ疑ハズ。然レドモ実ヲ結ヤプ否ヤマコトニ不安ナリ。人間努力ニ依リテ向上センカ、向上セザルカハ努力ノ足ラザル故カ、我侮ユルトモ恥ズルトコロナシ。

一意専心努力シ統ケン。我ヲ裏切ラザランコトヲ思フノミ。漸ク別日課トナル、一年ノ清算期故有終ノ美ヲ飾ルベタ愉快二過サン。


11
16(月)

 行軍昇仙峡。平生希望セル名所ヲ探リテ愉快コノ上ナシ。


1117(火)

 午前、石橋湛山氏「最近十年間ノ我経済変化」午後、日本ベークライト株式会社見学(向島工場)


11
18(水)

午前、渡辺幾治郎氏。午後、日本光学株式会社見学(川瀬工場)


11
19(木)

午前、青川英治氏講演。午後、文化映画


1120(金)

 学年進級申渡式、分隊編成替、第1分隊ニ編入サル、成績極メテ不良ニシテ四度転ブ。自己ノ才能ヲ疑フノ、ミ。


1121(土)

 物価論(脇水教官)衛生学(軍医長)

体技、野球ヲス。藤原盛宏主計中尉来校。


1122(日)

 帰宅、父母ニ申訳ナシ。

 

週末反省並二所感事項

栄アル卒業式モ三度迎(むかえ)リ、ココニ晴レテ一号トナル、心構エ、決心モスデニ定マル。一意専心 生徒生活ニ邁進スルノミ。目下特別日課中。一年ノ中デ最モ楽シキトキナリ。愉快ニ元気ニヤツテ行カン。


127(月)

 庶務、成程教官ノ言ハレル如ク無味ニナツテ来タ、ココガ辛抱ノシドコロ詞子ヲ乱スナ。総短艇三号ヲ乗セル、寒クトモ爽快ダ。経済講話、「生産力拡充問題」ヲ読ム、新聞卜共ニ読ムト興味アリ。何トカシテ経済法律事情ニ

入ツテ行コウ、雑誌ニモ関心卜注意ヲモテ。


128(火)

 大東亜戦争一周年記念。〇八〇〇靖国神社武装参拝。一三〇〇野村前米国大使講演。盛り上ル感激ノ焔ノ中二新タナル決意ヲ固ム。今ハモウ個人ヲ思ヒ、家ヲ思フトキデナイ。小我ヲ捨テ大我ニ生キ、捨石トナツテ大君ニ尽スノミ。


129(水)

 財政ハイヨイヨ財政行政論二入り、予算関係ノ新聞記事ガ理解出来ルノデ嬉シイ。武道体技、東京名物ノ空風吹キテ寒シ。会計ハ系統立テテ覚エナケレバ駄目ダ。常ニ大元ニカヘツテ規則ヲメクレ。新聞ヲ活用スルコト、

偶カラ偶読ンデモ始マラヌ。標題卜社説位憶エヨ。


12
10(木)

 軍制、民法ハ今日突然ノタメハツキリ理解出来ナカツタ。総短艇厳寒ナルモ大イニ張り切ル。三号ノ誘導ハ一号ノ垂範ニヨル。最近ノ新聞ニハ、生産力増強ガ最モ強ク主張サレティル。管野教官ノ講話、生徒時代ノ懐旧談

デ、愉快デアツタ。


1211(金)

 金融論、英語、解釈丈デナク内容モ考へヨ。武道、白井先生ノ技ノ説明極メテ得ルトコロアリ、技術ナイ柔道ハ強道デアル。昭和十八年度総予算九九億九五〇〇万円デアル。「商品ノ科学」食品ノ欄ヲ見ル。


1212(土)

衛生学。コレラハ常識デアラウ、難シイコトハナイ。体技。洗濯物ヲ処理シセイセイス。厨業ハ管理ノ栄養学ヲ読ム、食物成分効用ヲ知リ食欲増進。調子モ良イ。一号トナツテ食欲ガ増進スル。


1213(日)

 行動大要。 海軍中尉ノ兄突然帰宅シタ。艦上爆撃機ノ花形トシテ幾多ノ死線ニ彷徨シナガラ一度懐シキ我ガ家二帰レバ悠々然トシテ之ガ荒鷲トハ思ハレヌ。何時モナガラノ兄ノ沈黙温和ソノ偉大ナル人格ニ自己ガ小サク感ゼラレル程デアル。

 

 週末反省並二所感事項

学問ハ個々ノ学問トシテ学ブヨリハ、常ニ諸学科トノ関連ヲ注意シテ之ヲ綜合セシメナケレバ応用ガキカヌ。

俺ハ、今迄コレニ対スル努力ガ足リナカッタ。財政学卜会計法卜物品会計、金銭会計、又新聞ノ予算関係記事、雑誌等総テ同一性質ノモノデアル。又軍需品学卜商品学、新聞ノ工業欄等大イニ参考ニナル筈デアル。コレ丈ノ学力ヲモテバ社会ノ経済事情ハ理解出来ルカラ大イニ学科卜関連シテ知識ヲ広メネバナラヌ。学科ニ縁ノナイ読書ハ直接役二立タヌ。

 意気卜熱コソ若人ノ生命デアルガ、一号ニナリ権力ト資格サエ与エラレレバ経校ノ生徒生活ヲ二年送ツテ来夕以上怒鳴リモシ、猛烈ニ元気旺盛デアルコトハ勿論ノ事デアラウ。又一号ハ垂先シテ下級生ヲ誘導スル義務ガアルノダ。一号ハ総テ熱血男児デアツテ、敢テ称スルニ足ラナイト思フ。故ニ一号ノ偉サハ外的行動ヨリモ、寧ロ内的ニ自律自制シテ良心ノオモムクママニ行動スルトコ三アル。自律ノナイ人間ハ頼ムニ足リヌ。俺達ハ常ニ大思想二生キナケレバナラヌ。尽忠ノ義ニ徹スルハ俺達ノ目標デアルガ、社会ト比較的縁ノアル主計科士官ハモツトモツト社会ノ表裏モ広イ知識モ持タナケレバナラナイト思フ。社会ハ若人ガ考へテ居ル程単純デ椅麓ナモノデハアルマイ。社会二出テ吃驚シ、失望スルヨリ事前ニシツカリシタ考へヲ有シテ居ナケレバナラヌ。決シテウカウカトシテパオレヌ。

 体力トイフモノハ鍛練ニ依り増強スルガ、生レツキニ依ルノモ多大デアル。殊ニ特技等ハ性質ニヨツテ必ズシモ総テノモノガ有シ得ルモノデナイ。我々主計科士官トシテ、勤メニ堪へ得ル体力ヲ作レバソレデ充分デアルト

思ウ。如何ナル困難不便ナ環境ニアツテモ、飽ク迄御奉公出来得ナケレバナラナイ。故ニ身体ノ調子ニ注意シテ、一見優シク見へテモ忍耐強イ頑強ナ身体ヲ作ツテオカナケレバナラヌト思フ。

 

昭和18

125(月)

 金銭会計モ大分軌道ニノツテ来タ。油断大敵気ヲユルメルナ。池端主計少佐講話タダ感激ノミ。生徒ハ飽クマデ生徒トシテ外ニ眼ヲ奪ハルルコトナク、勉強セヨトイハレタノガ最モ感銘深カツタ。


1
26(火)

 商法石井教授ノ品ノアル音調卓越セル識見心酔ス。陸戦小隊教練久シブリデ走り、火線構成ヲヤリ愉快デアツタ。最近ハ日ガ早ク経ツノガ感ゼラレ、一日一日ガ実ニ惜シイ。生活ニハ一分ノ無駄モナイ。如何ニ充実セシメテモ、ヤハリ時ハ流レル。


127(水)

心理学、教授ニ願ツテ欧州大戦ノ見透シノ話ヲキク。武道三船先生来ラレ、工夫ニツイテ話アリ。ツベルクリソ注射。


128(木)

 民法、試問二間誤ツク、習ツタ事ノポイント位覚エテオケ。短艇、東京湾ハ珍シク静カナ気持ノヨイ波デアツタ。本日ヨリ議会再会。首相ノ施政演説、外相ノ外交演説アリ。如何ニ展開スルカ興味津々。


129(金)

 陸戦、機銃操法。武道、分隊訓育、蹴球


130(土)

 基本兵学。武道大会(柔道)午後一時ヨリ初段格ニ進級。三船先生ノ神技ニ驚嘆。

 

 週末反省並二所感事項

 法律学ハ数学ヤ化学卜同様ニ、我々ノ頭脳ヲ緻密ニシ組織ズケルニ大ナル効果ガアルコトニ着眼シナケレバ

ナラヌ。我々ノ学習ハ何処マデモ、頭ノ訓練、実力ヲツケルコトデアル。法律学ガ不得手ナルコトハ、トリモナホサズ頭ガ組織的デナイ証拠デアル。自分ヲ内省シテ正シク自己ヲ批判スルニ恐レテハナラヌ。法律学二対スル学習モ、コノ点ニ留意シ無駄ナ勉強ヲ除コウ。経済ソノ他ハ、知識ヲ与へルヨウ思ハレル。

 軍隊教育規則ニ、武道ハ不撓不屈ノ精神ヲ作ルト共ニ、度胸ヲ作ルトイフコトガ書イテアツタ。度胸胆力ハ、不断ノ練成ニヨツテ作ラレル。胆力ハ自信ノアルコトデアリ、自信ハ実力アツテ始メテ生レル。総テガ実力デアル。胆力ハ自己ノ弱点ヲツカレルト忽チ動揺スル。柔道デモ自分ノ弱味ミヲツケコマレタラモロクモ倒レル。弱点ヲ防護シ、撃砕シナケレバナラヌ。ソレハ学問デモ何デモ同ジデアロウ。

 感激ハ若人ノ生命デアリ、感激ナキ生活ハ寂漠トシタ空虚ナ生活デアル。感激ハ外部カラノ刺激ニヨルモノデハナク、自ラ作ルモノデアル。不断ニ心ノ躍動ヲ保チ、無限ノ向上心卜激シイ闘争心ヲ懐クモノデナケレバナラ

ナイ。生徒生活ハ決シテ凡々タル生活ノ連続デナイ。心ノ懐キ方如何ニヨリ如何ナルトキニモ感激ヲ見出シ、如何ヤウニモ充実セシメ得ル。如何二生活スルカハ生徒ノ自由デアル。

 コノ超非常時ニ於イテ、如何二多クノ綿密ナル法律規則ヲ作ツテモ、終局ハ人ノ問題デアリ教養ノ問題デアリ、徳ノ問題デアルト異口同音ニ石井教授モ橋爪教授モ教官モ言ハレル。又新聞ソノ他デモ人物ガ居ナイト主張スル。

如何ニ知識ガ豊富デモ人ヲ引キッケル人格ガナケレバ、人ノ上ニ立ツコトハ出来ナイノダ。士官タルモノハ知卜徳卜兼ネ有シティナケレバナラナイ。不断ノ修養ガ生徒時代カラ必要ナノダ。


21(月)

 実務バカリ詰メ込マレテ頭ガ一杯ダ。体操ノ指揮法ガ下手デアルカラ大イニ練習シロト注意サレタ。「スキーニ関スル映画」 「軍容査閲ノ映画」アリ。


2・2(火)

 商法休講、従テ金銭卜物品トナル。本日ヨリ四時五時ニ一号ハ体操ノ研究ヲヤルコトニナアツタ。監事講話。乃木、東郷大将ノ逸話ソノ他。足立主計中尉、支那方面関する講話


23(水)

 財政、今ノトコロ余り面白クナイ。武道、体操。二、三号ノ教室ガ変ル。生徒館ヲ離レルノデ同情ニ値スル。


2・4(木)

 軍制、体操。教員ノ指導デヤラサレルヨリ生徒デ自発的ニヤツタ方ガ愉快ダ。又効果モアルヤウニ思ハレル。雨、久シ振リニ降ル。


2・5(金)

 スキー訓練(雪中耐寒訓練)一七五〇、第一班。二一三〇、第二班学校出発。二二五〇上野発。


26(土)

 車中。一五五〇、野辺地着。身辺整理。一八五五、大湊着。二〇〇〇、防備隊着。戦時下貴重ナ生徒生活ヲ割イテ「スキー」訓練ノ機会ヲ得感謝限リナイ。ソノ趣旨ヲヨク心ニ刻ミ万遺憾ノナイヨウ努力ショウ。


27(日)

 行動大要。〇五三〇、総員起床。〇八三〇防備隊司令訓示、経理部長挨拶。〇九〇〇、「スキー」ニ関スル話(小笠原中尉)。一〇〇〇、経理部長講話。午後、スキー訓練。極メテ痛快、転倒万辺、幸ニ少年時代経験シティタノデ要領モ案外早ク得タ。頂上カラノ直滑降ノ爽快サハ正ニ一品デアル。

 

 週末反省並二所感事項

 実務モ大分軌道ニ乗ツテ総論モ各科共終ツタ。基礎ガ最モ大切デアル。充分復習シテハツキリ頭ニ入レテ置コウ。

 与へラレタ訓育ヲ充分ニヤレバ一日ハソレデ充分デハナカラウカ。課外ニ無理ニ運動スルヨリ訓育ニ力ヲ注グ方ガ効果的デアル。今週モ愉快ニ熱心ニ送ツタ。一日一日卜充実シテ居ル。


3
i5(月)

 乗艦実習、1000山城乗艦、身廻整頓。1330艦長伺候、以後艦内旅行、日課表通リ。帝国海軍ノ威容ヲ目前ニ見、感激殊ニ探イ。海軍生徒ノ名ヲ辱メナイヨウ決意ヲ固メタ。乗艦実習ハ之デ三度目デ艦内モ大体分ル

ノデ行動ニ差シ支へナイ。一般見学ヲスル。


316(火)

 0545、生徒釣床卸し。0605、露天甲板洗い方、一号率先、二、三号ヲ引張る。0745、運用士説明「副直勤務提要」、0930、出港作業。1300、解散。1400、木更津沖ニ於イテ溺者救助訓練。1530、入港作業。1842、対水雷艇警戒。主計科事務室主計兵曹ノ話ヲキク。戦闘教練デ全艦極メテ活発。


317(水)

 〇七三〇、砲術座学。〇八三〇、対空戦闘教練、二七機襲来。一般見学。一二三〇、通信座学見学。一四〇〇、運用同。 一六〇〇、別科体操マスト昇リ一八二〇、座学 飛行機襲撃ガ最モ興味深カッタ。アレクルト殆ド術ガナイト見エル。


318(木)

〇七三〇、機関科座学。一〇〇〇、子砲実弾射撃。一二三〇、防毒防災説明。一三〇〇、航海術(羅針艦橋ニ於イテ)。子砲デモ相当大キナ音ヲ出スノデ驚イタ、然モ命中率確実トノコト。


319(金)

 工作料、主計科、座学、(主計長)夜、研究会(質疑応答)一号ガ一番後デ聞エナイモノダカラ、ブウブウ言ツタモンダ。約二時間


320(土)

 雨ノ為子砲射撃ナシ。主計科関係、指導官卜質疑応答(主計科関係見学)一二五〇、艦長訓示、感銘ガ極メテ深カツタ。退艦、全艦見送リデ惜別ノ情ニ堪へズ。感激ノ別レデアッタ。一六三〇、帰校、久シブリデ生徒館ニ

帰ツテ嬉シイ。


321(日)

行動大要。大掃除。遙拝式(春季皇霊祭)帰宅、次兄モ春休暇デ帰省シティタ。父ハ退避壕ヲ庭ニ作ルトイツテ朝カラ土イヂリニ励ンデ居タ。母モ隣組長デ忙シイ中ヲ率先従事シティル。一家総動員。

 

週末反省並ニ所感事項

イヨイヨ乗艦実習ガ来タ。庶務、金銭、基本兵学ソノ他ノ学習ノ総ザラエデアル。百聞一見ニ如カズデ恐ラク机上デ頭ヲ悩マシ苦労スル学科モ一見シテ了解スル様ナコトガアラウ。今度ハ一号ニモナツタノダカラ、主計科関係ヲ主トシテ見学シテ行キタイ。艦ニ於ケル主計科ノ地位、任務、環境、兵トノ関係、多少将来ニ対スル不安ガアル。山城ハ三号ノトキモ乗艦シタノダカラソウ間誤ツクマイ。戦時下ニ於ケル軍艦生活モ極メテ意義深イト思ウ。修養方面ニ関シテハ余リバタバタ騒グマイ。自立自制、艦内生活ハ兎角疲労ノ為神経ガ鋭クナリ易イカラ、常ニ快活機敏ニ余裕ノアル生活ガ出来レバコノ方ハ成功思フ。

基本兵学ハ丁度砲術学習中デアルカラ割ニ理解ハ早イト思フ。その他出港然リ。襲撃訓練、水雷艇夜襲訓練ガアルトノコトデアルカラ、意外ニモ貴重ナ体験ヲスルト思フ。モゥ一ツ、大切ナ事ハ士官ノ部下指導法デアル。何時モ甲板士官ノ張り切り方ニ感服シテ帰ルノデアルガ、今度ハソノ点ニ注意シ、甲板士官ノ感度、号令ノ掛ケ方等ヲヨク見テオク積リ。盲一号モ率先シテ二、三号ヲ誘導シテ気持ノ悪クナイヨウ印象ヲ傷ケナイヨウシテヤル積リ。一号同志デモ大分意ヲ通ジテ事前ノ相談モシテオイタ。


4
26(月)

庶務、練習問題、コノ方ガ自ラ勉強スル。ヤレバ何デモナイ。談話会、一般ニ低調、時間ガ少イトハイへ定メラレタ以上必ズヤリトゲル精神ガ必要。コノ点不愉快ダツタ。意気ト熱ガマダマダ足ソナイ。絶対ノ機会ヲ失ツテハナラヌ。


427(火)

 商法、会社法終ル。超スピード。大綱趣旨制度ノ精神ヲツカメ。短艇競争。艇及人員ノ保安二対スル艇長ノ注意ガ極メテ薄イ。教員カラ注意サレタ。艇長ハ軽率ナ指揮ヲトツテハナラヌ。ツベルクリン反応注射。


428(水)

心理、ノートヲ取ルノデハ遅々トシテ進マヌ。武道練習試合。意気ガナイト叱ラレタ。槇原ニ敗ル。


4
29(水)

 天長節、御写真拝礼式。1030、外出。観兵式拝観。陛下ノ御英姿ヲ咫尺(しせき)ノ間ニ拝シ威武堂々帝国陸軍ノ威容ヲ眼ノ前ニ見、光栄感激コノ上ナカツタ。美シイヨイ一日ヲ送ツタト皆デ語り合ツタ。


4
30(金)

 靖國神社例大祭。終日在校。今日モ麗カナ春ノ日デアツタ。


51(土)

大掃除。秦、松本、渡部各少尉来校。懐シサ限リナシ。


52(日)

行動大要。 午前、在校。午後、外出、ニュース映画、宮城参拝。

 

週末反省並二所感事項

(1)教頭訓話

山口、加来両提督ノ雄々シキ最期ガ発表サレテヨリ、教頭ガ特ニ一号ニ対シテ将来ニ対スル教訓ヲサレ、一号モ深ク感ズルトコロアツタ。若シ我々海軍々人ガ両提督ノ立場アツタトスレバ・・・・教頭ハ断乎卜言ハレル。「潔ク死ネ、ソレガ日本ノ武士道ノ華デアリ精髄デアル。死卜生ノ岐路二立ツトキ死ヲ選べ、ソレガ海軍ノ伝統デアル」ト。

「但シ無暗ニ死ネトイフノデハナイ、少壮有為ノトキハ飽ク迄生キテ国ニ尽スノミ」ト。

モトヨリ俺ニハ疑義ノハサム余地モナイ。我々ノ大先輩ガ慎重熟慮ノ後ニ断乎トシテトラレタ処置ニハ無条件、絶対ニ信頼シ活模範卜為サナケレバナラ。我々ノ進ム道ガ一層明確化サレタト云フベキデアル。

(2)数日ノ後芦田教官ヨリ御注意 

教頭訓話ノ際、皆ノ返事ガ迂遠デ真意ガ奈辺ニアルカ分ラヌ。モット簡明ニヤレ。法律ヲ学ンデ理屈ポキナルナラ法律ヲ止メテシマエト。深ク考エルコトモ必要ダガ、イザトイウトキハ断固トシタ処置ヲトラネバナラナイ。知識ガ過ギレバ決断ガ鈍クナルトハ常々言ハレテイル事ダ。ソノ他何デモ簡明トイウコトニ留意シヨウ。

(3)上ノ人ヲ批判スベキデナイト屡々教エラレル。然シ自己ニ対シテハ呵責ナキ批判ガナケレバナラヌト思フ。上ノ人ノコトヲ思フヨリ先ズ自己ノ内省ニ力ヲ注ガネバナラヌ。人ニ対シテハ寛ニ、己ニ対シテハ厳ニ常ニ身ヲ慎シマネバナラヌ。

(4)物ハ考エヨウトイウ。総テ自分ノ心掛如何ニヨリ明リクモナリ暗クモナル。然シ常ニ明ルイ人ハ頼ムニ足ラヌ。明暗ヨク知リ然モ表ニ明ルイ人コソ頼ムニ足ル。何故ナラ順調ニ育ツタ人ハ苦シンダ人々ノ心ヲ察シ同情スル心ヲ有サナイカラダ。


5
3(月)

 金銭ノ試験ガ返ル36/50.余リヨクナイ。徹底サガ足リナイカラダロウ。武道、相変ワラズ二号トヤルト流石ニ強イ。手強イトイウトコロ。教頭訓話。将来士官トシテノ金銭ニ対スル観念ヲ中心トシテ教訓サレルトコロアリ。大イニ感銘シタ。恬淡(てんたん)、恥ヲ知レ。


5
4(火)

 金銭、航海加俸ノ複雑ナノニアキレタ。実際運用サレテイルノカ疑イタクナル程ダ。陸戦教官ガ居ラレナイノデ生徒ダケデ小隊教練。試験、試験ト云イワレルヨウニナッテ来テ生徒生活モ霑ヒガ少ナクナッタ。種痘、看護兵新顔振リニ驚イタ。


5
5(水)

 物品、ヤッテモヤッテモ忘レル。実際ニヤツテ見レバ直グ分ルデロウガナカナカピントコナイ。短艇、月島一周、上潮、風、波、悪条件ノ中突破セントシタガ、造船所沖デ挫折。実ニ残念デアツタ。漕グコト実ニ三時間半。分隊員一致協力。真剣トハコノコトデアロウ。ナオ総テ艇長ノ責任ト思フ。


5
6(木)

 軍制、考課、紙一片デ人間ノ価値ガ決マルト思フト嫌ナ気ガシタ。対空教練、連日ノ練習デ成績極メテ良好、ゲートルヲツケテヤル。実戦的ニナツテ来タ。阿部教官ノ「結核予防対策」ニツイテ説明アリ。健康ニ注意。


5
7(金)

 金融、経済政策、橋川教授ノ社会観ハ悲観的デアルガ、ソレ丈偉イ人ダ。深刻デ痛イトコロヲ突イテ居ラレル。偉イ人ダ。


5
8(土)

 教育局長視察。学習、体操、体技、武道。柔道査定、三船先生、久シ振リニ妙技ヲシメサル。教育局長ノ御話ニ感激一入深カツタ。

59(日)

 行動大要。兄、四月十一日、ニューギニア方面ニ於イテ名誉ノ戦死ヲ遂グーー父ヨリ電話。直チニ帰宅。霊前ニ対ス。月光赤妖色ヲ帯ブ。

 

週末反省並ニ所感事項

(1)教頭訓話(学年訓育)ノ後ヨク考エテミタ。主計科士官ノ対外的交渉ノ機会ガ多イコトカラ種々ノ危険誘惑ガアルト言ハレタガ、俺ハ強固ナル意志サエアレバ自己ノ人格ニカケテモ武人ニフサワシカラヌ行為ハ断ジテシナイト信ジル。タダ嘘モ方便デ必ズシモ正義ノミデハ狡猾ナ商人ヲ相手ニシ得ナイト言ワレタガソレデ時ト場合ニヨリ所謂権謀術、策略ヲエグラサナケレバナラナイダロウカ、又清濁併セ呑ムノ壮ガナケレバナラナイノカ。正ト美ト誠ニ満ツ生徒生活ノ中デハ濁ニ入ルコト自体ガ耐エ難イ良心ノ呵責ガアルガ、将来濁レル人物ニ会エバソレニ応ジテ対サナケレバナラナイダロウカ。正義、正義ト生一本デ行ケバ必ズ失敗スルコトガアル。国家ノ為ニ利益ニナルヨウニ実業的ニ商人ト闘ハナケレバナラヌナラ大イニ策略ヲモ打チマカス計画モ必要デアリ、出来ルト思フガ、出来ル丈正々堂々ト交渉シテ行キタイモノダ。殊更ニ策ヲ縦横ニメグラスノハ武人ラシクナイト考エル。トニカク俺達ハ物ノ表モ裏モ知ル必要ガアルト云ワレル。悪ニ入リテ悪ニ染まらざる堅固ナ意志ヲモツベキデアルト思ウ。将来モ大キナ問題トナル違イナイ。

(2)阿部教官ご注意

 試験ガ近付クト人間ノ弱点デトカク利己的ニナリガチデアル。生徒生活モトゲトゲシク不愉快ニナル。大キナ気持デ大イニ勉強スルト共ニ公ケノ仕事ヲオロソカニシナイヨウ、海軍ノ要求スル人間ハ考査ガアッテモ平然ト受ケ利己的ニナラズ、然モ成績ガヨイモノダト、結果ヲ功利的ニ考エルヨリモ全力ヲ注イデ人格脩練ノ機会トシ打算的ナ考モ一切捨テテヤロウ。考査ニハ頑張ル癖ガツク。知識ガ一応整理サレル。実力養成、体得好機デアル。


510(月)

 金銭、航海加俸、会計、英国会計制度習得、帆走(本年度最初)準備(帆走用意)練習。柔剣道一級以下進級申渡式。


5・11

 物品ハ糧食ニ入ツタ。相撲体操。


512(水)

本日ヲ以ツテ前学期ヲ終ル。帆走、実ニ痛快、」艇長ヲヤル。始メテデ不安モアツタガ、ヤレバ何デモ出来ルモノダ。経験ハ学ブニ勝ル。


5・13(木)

 温習。何ノ感想モナシ。


5・14(金)

 商法。予期反問題間違行政法大部面喰常識必要大勉強余地軍制○印大分悪

 

 


5
15(土)

経済政策、利潤、統制ガ出タ時ハ全ク弱ツタ。教授ノ説明ガ分ラヌノデソノママニシテオイタラ忽チ出タ。金融論ノ日銀ニツイテ、之ハヨクヤッテオイタ。廚業管理ノ樋口教授ノハ大分弱ツタ。

 

週末反省並ニ所感事項

兄ガ名誉ノ戦死ヲ遂ゲタ。モトヨリ覚悟ハシテ居タモノノ肉親トノ別レハ人間最深ノ悲シミデアル。壮烈ナル自爆、武人トシテ最高ノ死ニ場所ヲ得タモノデアリ、兄モ本望ヲ遂ゲタデアラウ。兄ノ戦死、コレコソ無言ノ教訓

ヲ限り無ク与へテクレル。兄ノ遺志ヲ継グコト、ソレガ俺達ノ為スコトダ。出陣ノ暁ニハ「ニューギニア」ニ行キ弔イ合戦ヲ為ソウ。父母ハ実ニシツカリシテ居タ。子トシテ親ノ深イ心ヲ察シ何物カ期スルコト深カツタ。

517(月)

民法、沢山問題ガ出タ、苦手ノ民法ダ、間違ツテモ曖昧ナ答案ハ出スマイ大胆ニ結論ヲ書イタ。ソノ方ガサツパリシテヨカツタ。物価論、小サイ問題ハ勉強シテナイ為サツパリ分ラヌ、勉強不足。財政学、変ナ問題デア

ツタ、知ツテテ書カカナイノハ実ニ残念。

518(火)

 庶務、物品、金銭ト大物揃ヒ。ドレモコレモ奮ワズデ大イニ慌テタ。実務ハ教室デハ易シイシ何ガ出ルカ見当モツカナカッタガ、ヤハリ大イニ勉強スル余地アル。勉強不足ダ。頭ガ悪イトスルワケニハ行カヌ。実務モ難シイシ、大切ダ。後学期ハ実務ニ力ヲ注ガナケレバナラヌ。

5・19(水)

会計、失敗ダ、殆ド要領ヲ得ナイ。軍需品学、出ル問題ハ分リナガラ要領ヲ得夕文ハ書ケヌ。基本兵学、予メ勉強スル必要ナイトオ達シダツタガ、ナカナカ。

520(木)

英語、訳ハ易シカツタガ、ソレ丈ニ曲者ガアルノデアラウ。衛生、之モ失敗、教科書許リ出タ。ドウモ宜シクナイ。心理学、普通ノ問題、イザ書コウト思ツテモナカナカ書ケヌ。

5・21(金)

 学年行軍(霧ケ峰)試験終り、皆小雀ノ如ク嬉々トシテ居ル。十二時上諏訪着、三時半作太小屋、景色絶大。雄大ナル展望ニ身モ心モ忘レ天地ノ悠久ヲ思フ。夜、学年会。大イニ騒グ。


522(土)

第二日、早朝出発、爽快極リナシ。峯伝ヒニ山カラ山へ。アルプス連峯二震へル喜ビト共二山ヲ下ル。軍歌、俗歌ノ連続、大元気デ二○粁踏破、諏訪神社参拝。車中愉快ニ九時帰校、実ニ愉快ナ学年行事デアツタ。


5
23(日)

 行動大要。 山本元帥戦死、一億驚愕。(南方前線ニ於イテ0帰宅、父母モ之ニヨリスツカリアキラメタ様子、元帥ノ遺骨迎へ(東京駅)中村家訪問。

 

週末反省並二所感事項

イヨイ試験ガ始マッタ。兄ノ名誉ノ戦死ガ相当精神的ナ打撃モ多ク考査ハ何時モト違ウ。考査ハ一年間ノ勉教ガアラワレルガ、ヤハリ試験前1週間デ知識ヲマトメナケレバナラヌ。故ニ一夜ニ猛烈ニ勉強スルノモ必要ダ。

平生カラ勉強シテ居タラ準備ヲスル必要ハナイト言ハレルガ、試験ハ今迄ノ勉強ヲ整理シテミル。考査前、頭ガ充実シティル。

 

(ニュース 38号48頁)

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