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江 田 島 通 信

   第三学年時代

(自昭和十七年十一月十三日〜昭和十八年九月十五日)

昭和十七年十一月十三日 (第九十信)

 卒業式、進級命課告達式も明日に迫り、小生は十五日附をもつて第七部第五十五分隊第三学年生徒を命ぜられました。来月一日の入校式まで相当忙しく失礼するかも分かりません。なお、お手紙は右宛にお願いします。

 

十一月十八日(第九十一信)
 新第五十五分隊の自習室は八方園神社のすぐ下で、暇さえあれば、何回でもお参りしています。時計は多忙のため、つい受取りを忘れていました。有難く受領いたしました。

十一月二十三日 (第九十二信)
 新入生の姿がチラホラと見受けられます。冬休暇は二十八日より許可せられますが、元旦に帰福の予定です。なお十二月発行の旅行案内がありましたら、休暇前に御送り願います

十二月一日(第九十三信)
 今日は入校式で、姿婆気満々の新入生が、校内をあちこちうろうろして、ロボットの様な足どりで、カミシモ姿も何となく歓喜に溢れている様です。冬休暇も近くなりました。二十八日のところ二十六日の夜より許可せられることとなり、帰福は三十日午後の予定であります。誕生日のカード並びに母上よりの御送金まことに有難うございました。

 

十二月八日 (第九十四信)

江田内も日増しに寒気凛列古鷹降しの烈風もまた共鳴致し居り候。新入生も次第に兵学校生徒らしくなり小生等もまさに意気天を衝く有様にて候。

 さて東京には二十七日着、二十九日東京発(特急)、三十日午後三時帰福の筈にて、父上と一緒のつもりに候。昨日、中堀教官を訪問致し侯。母上は何卒糖分肉食は避けられ、菜食主義になられんことを切望致し侯。


十二月十日 (第九十五信)。

 家の年末風景など目のあたり偲ばれ、今回は兵学校生徒として始めての冬休暇にて毎日楽しみ居候。さて、三十日帰福の件は変更せざるつもりに御座候。なお御送金は不必要に候えば御心配無之候。 


十二月十五日 (第九十六信)

 お手紙有難く拝見致し候。母上も御元気の御様子、喜びに堪えず候。何卒御無理なさらぬよう願上候。休暇には物資不足の折柄、食物などお構いなく、ただ母上を見るを得ば、満足之に過ぐるものは無之侯。兄上にも然るべく御伝願い上g候。旅行案内は昨日受領致し候。


十二月二十六日 (第九十七信)

 さて、帰福途中、原田先生宅に御寄り致すことに決定し計画を変更。博多着は三十一日午後の予定に御座侯。なお、父上より七拾円受領致し候。 

 (休暇日誌)

十二月二十六日
 十七時外出点検、十九時四十三分呉発。

 
十二月二十七日。二十一時東京着。一歳ぶりに兄上、姉上に見え、余の歓喜筆舌に尽し難し。二十四時就寝。


十二月二十八日
 午前、兄上と共に明治神宮に向う。内苑、外苑共にただ森厳、先帝の御鴻徳の万一にも答え奉らんことを固く誓うのみ。十三時三十分東京駅前大広場に出ず。両側の高層建築その数を知らず。流石に帝都たるの観あり。十四時宮城遥拝。幽厳なる九重の奥に陛下在しますと思わば、日本人たる者、誰か恐催感激涙に打たれざる者なからむ。

鳴呼ただただ天皇を仰信、天下を富岳の安きに置き奉らんことを誓う。十六時三十分國神社参拝、護国の英霊に感謝黙祷を捧げ遺族に辛あらんことを切に祈れり。夜、映画鑑賞。二十三時就寝。


十二月二十九日

 八時三十分起床。午前団欒、十三時東京発奈良に向う。途中、富士山の英姿を眼前に打ち眺め、天地雄大の気豪快にして壮重の気を心ゆくまで味あう。二十三時奈良着。原田先生を訪問す。先生は余の恩師にして宗教界の権威者なり 二十四時就寝。

  
十二月三十日
 七時三十分起床。午前、先生より御教訓を賜う。要は、道を守るは天にあり、毀誉(きよ)は人に在り。天に従って動き、人により揺らぐべからず。孔子日く、「君子は和して而して岡ぜず、小人は同じて而して和せず、」と。以て君子交際の道を思うべし。此れを是れ環境の主と為すべし。而して死生の間に鼻如たるべきを訓さる。

 余、必ず以て肝に銘じ、将来如何なる誘惑に会うとも、ただ勇を以て貫徹せんことを固く誓う。

 午後、大仏殿、春日神社、二月堂、三月堂を見学。日本古代精神の神秘に触る。偉大なる哉。雄壮なる哉。十九時六分奈良発福岡に向う。

十二月三十一日
 十時六分福岡着。半歳振りにて父母兄姉と見ゆ。終日家庭団欒の時を過す。二十四時就寝。

昭和十八年一月一日
 七時起床。午前母校を訪問し、恩師に対し報恩感謝。次いで後輩誘引、兵学校生活談話に打ち興ず。午後母と共に故丁固神社、水鏡八幡宮、箱崎神宮の三社参拝をなし、本年度の生活に対する覚悟を神に宜す。夜、保証人訪問、種々有益なる薫陶をうけ、生徒の本分に愈々邁進せむの覚悟を固む。

 
一月二日
 午前、旧師白石先生訪問、我の問題について御教示あり。人そもそも無なる者にして生も死も亦なく、魂のみ存在す。故に自己の身体は肉体にあらず、魂なることを自覚するに到らば、一切の欲望は消滅し我を去るを得。人死に直面し、始めて肉体は魂なるを悟り、罪業を懺悔す。然れども時既に遅し。而して生前に悟れるは聖賢なり。故に余は聖賢の書を常に開き修業を重ね、一刻も早く我を去らざるべからざるを諭さる。午後、家庭団欒。

一月三日

 午前、歯科治療。午後、家庭団欒。


一月四日。

 午前、歯科治療。午後、旧師武末先生訪問、武人は一時の興奮に激するなく、最後まで失望せず永らく御奉公せらるべきを懇望さる。

一月五日。

午前、読書。午後、家庭団欒。

一月六日。

午前、読書。敵を知る前に先づ己を熟知す。これ戦勝の要訣なるを痛感す。十九時まで最後の団欒。二十一時福岡発。

 一月七日。五時三十分宮島口着。十時三十分帰校、十二時帰校点検。

  (休暇を省みての所感)

一、絶大なる深淵そのものの親の愛にただ感涙措く能わず、専ら勉学、親の心をもつて我が心となすべし。

二、世人の期待は一に余にあり。然るに現在までの如き言動にて可なるや。不可なり。

苛も正義に対しては如何に些細なりとも断々乎として実行邁進せずんばあらず。

 年頭に際し、親の心を以て我が心となし、正義の命ずるところ、勇を以て実行せんことを誓う。

 

一月九日 (第九十八信)

 昨日無事帰校致しました。休暇中は一方ならぬ御配慮にあずかり、ただ感謝感激にたえません。おかげ様で今までの休暇中最も楽しく過すことができ、何ら心残りはありません。明日よりは厳冬訓練で健康第一頑張る覚悟であります。常に母上の心をもつて我が心とし、奮励致します。

一月十日 (第九十九信)

 休暇中は一方ならぬ御面倒をかけ、姉上の親心に対し、ただ敬服感謝の外はありません。おかげで、休暇も最も愉快にすごすことが出来ました。

 刀の件ですが、福岡に持ち帰った二本と、竹見にある二本を海軍外装に依頼した旨を父上にお知らせしました。竹見のが出来たらいつでも暇の折に家に持って行って下さい。

(澄子姉宛)

 一月十九日(第百信)
 十九日午後四時三十分、無事兵学校に着きました。早朝あの寒
さにもかかわらず、駅まで御見送り下され有難く深謝致しております。あとから身体にお障りはありませんでしたか。お年のこと故何卒御注意下さい。昨年帰省以来、母上のお話をお伺いし、ただ、母上の信仰の力の偉大さを痛感、小生も確乎たる信仰を持し、如何なる逆境にあるも、母上の如く強く正しく生き抜かんことを誓い申し上げます。御健康と御多幸を何時も祈つて居ります。(母宛)

 兄上様、父上御死去に際し、兄上の連日の御苦労に報い奉る辞を見出し申さず候。何卒御身体には呉々も留意せられ、充分御休養の後、東京に向われんことを切望致し候。まずは右御礼まで。(長兄太郎宛)

 
 本日は早朝わざわざ駅まで御足労を忝う致し、また餞別をいただき誠に有難く感謝致し候。お蔭を以て無事帰校、再び元気一杯兄上の御諭旨に違わず自己の本分を完うする覚悟に御座供。兄上の御健闘を切に祈り上げ候。また卒業後にて御会い致す機会を楽しみに待ち居り候。(次兄謙三宛)

一月二十一日 (第百一信)

 姉上様、先日来大変な御世話にあずかり、帰校の際はいろいろと便宜をはかり下され有難うございました。小生も再び心気一転、頑張っています。

 厳冬訓練は二十二日終了。二十三日には宮島方面で兎狩りをやります。五、六匹はとれるでしよう。母上はお疲れにならなかつたでしようか。御無理をなされぬよう、小生の分までも御孝養を切に祈り上げます。

  
二月五日(第百二信)
 小包有難く受領致しました。三月中旬まで借用、後返送致しますから右御承知下さい。父上の短刀が余分にありましたら一本御送付願います。現在、小生持参のものは刃が無くなつて、短剣には仕
込めません。なければ結構です。別に新らしく購入しますから、では又便りします。(節子姉宛)

 
二月八日 (第百三信)

 厳冬の候、母上も益々御元気の由まことに慶賀にたえません。いろいろな問題が次から次へと振りかかり、母上の心身の御苦労を拝察致しますとき、ただ涙を禁じ得ません。しかし最早御安心ですね。書物などは頭を疲労させるものですから、手紙などはあまり書かれぬ様願い上げます。刀のこと小生も安心いたしました。


 澄子姉様、いろいろなニュースのお手紙有難うございました。小生等この一週間は考査ずめで、本日やつと畷を得ました。家には武士の魂である刀剣が沢山飾られ、小生も心強い極みです。栗原に刀が出来た旨伝えたら非常に喜んでいました。それから岩本の小母さんに姉上の博多人形をおことずけました。行くたび毎にお礼を言われ、又来られるようにとのことです。来週から又そろそろ忙しくなります。三月は飛行機実習があり楽しみです。短刀はありましたか。

 
二月十九日 (第百四信)

 父上の喪もあけ、新気一番御諭旨を肝に銘じ、無事卒業。以て母上の御期待は勿論のこと、父上の霊をお慰め致す覚悟に御座候。さて刀剣のうち、昭和刀は海軍には余り用いられず、出来得れば古刀と新刀のうち鍛錬しあるものを友人に照会致し度存居侯。短刀は夏休暇に持参いたすつもりなればご送付御無用に御座侯。

 
二月二十日(第百五信)

 先日は御写真有難く受領致し候。毎日巡検時拝見し楽しみ居り候。本日は久し振りにて天気清澄、総員訓練は山野をばく渉いたし、江田内を眼下に眺め、本州の連山を望見いたし、心は遠く故郷に馳せ、浩然の気を養い申候。航空実習も近く、大空を疾駆益々天地雄大の気を得んものと張切り居り候。

  
二月二十四日(第百六信)

 御手紙並びに短刀、有難く受領いたしました。必ず以て母上の分身として、終生我が身を放さざる覚悟であります。 古刀を二本友人に譲りたいと思っております。出来たら銘をお知らせ下さい。ついでに栗原の刀の銘もお願いします。お身体を大切に祈ります。

  
二月二十八日 (第百七信)

 色々のニュースの手紙有難うございました。楽しみに幾度も読んでおります。近頃は快晴つづきで、漸く春めき、今日は絶好の外出日和です。先程帰校致し、ダツトサンの分解手入を終了しました。中掘教官は相変らず、熱心に小生等の機械的素質の向上に拍車をかけておられます。では、元気でこの次は航空隊より便りします。

四月に上京されるようでしたら、是非お立ち寄りください。(澄子姉宛)

 
三月一日 (第百八信)

 昨日は絵葉書有り難うございました。友人に見せ、皆で遠く想いを前線に馳せ、感激の一時に浸つたことでした。最近春色漸く訪れ、母上も益々健康に向われることと思います。母上よりいただいた短刀を昨日外装に出しました。卒業式の日にはこれを腰に下げて母上と闊歩するつもりです。三月八日より二週間航空実習です。

  
三月六日(第百九信)

 陽光和らぎ、兵学校の桜の蕾もようやくふくらみ、万物は神の恵により育成するの時と相成り候。小生等も明日より岩国に参り、空中にては「待つたなし」の作業を心ゆくまで真剣に演練致し、以て海鷲魂を体得する覚悟に御座候。

 
三月十六日(第百十信)

 皆様お元気のことと存じます。小生も航空隊にて終日整備に、飛行作業に、一生懸命であります。今日も高度八百米、眼下に岩国川を打ち眺め、左前方には遠く宮島が、餅をぶちきつた様にくつきりと浮んでいました。機上より下界を見下すと、次々と展開されるパノラマにまるで夢心持です。先日の日曜日、広島に外出許可され、広渡純孝氏を訪問、母上との二、三十年昔の話や、尾崎の話などに打興じました。

  
三月二十二日 (第百十一信)

 昨日無事帰校しました。眼でちよつと苦労しましたが、心理方面、身体適性に於いて実に綿密なる調査が行われ、小生は勿論合格でした。一昨日は特殊飛行をやり、地球を前後、左右、上下より滑転、自由に打ち眺めのすく想いでした。ただ、宙返りで肩バンドが緩いのにはちよつと閉口し、慌てて上を見上げると、岩国川が蛇の様にのたうち流れ、今落ちたら一大事だと、手荒く真剣になり、操縦席に力んでおりました。特殊飛行も終り、再び地上の人となった時は、しばらくの間忘我の境地をさすらい歩く感がしました。

  
三月二十八日(第百十二信)

 故郷のお便りいつも唯一の楽しみとして拝読し、時には友にも見せ、共に打喜び居り候。近頃又々冬にたちもどりの感あり、相当気温低下致し侯。本日は第二回の馬術訓練にて広島に赴き、存分に馬を走らせ、折からの雨の為池の如くなりたる練兵場を東西に蹴散らし、その様は昔の先陣争いにも似たる感あり、真に痛快の極みに存じ候。考査は四月中旬より開始せられる予定に御座候。御母上様くれぐれも御無理なさらぬよう、滋養物を多分に摂られんことを願上候。

 
四月四日(第百十三信)

 桜も近日中に満開です。小生も訓練に勉学に桜花の下を行きつ、戻りつ、ひたすら邁進しております。家にも新天地が訪れ、四方に湧き立つ附近の春景色と母上、姉上の輝やかしい姿が胸中にくつきりと浮んできます。月日の経つことは何と早いことでしよう。もはや数ケ月にして卒業せんとは。ただ、御期待に添い得る最も強き正しき軍人にならんと力むばかりです。飛行隊で撮った写真が出来たらすぐ送ります。楽しみに待って下さい。

      
四月十一日(第百十四信)
 毎度のお便り唯一の楽しみとして拝見致して居ります。小生等先週来、武道週間にて意気益々軒昂、身体頗る健全で何より感謝の他はありません。何事にも母上の切なる御教訓を銘じて驀進して行く覚悟です。母上の御健康と、姉上の御健闘を祈っております。なお節子、義子姉上にも無理せられぬよう伝えて下さい。

  
四月十八日 (第百十五信)
 桜花咲き巡り、連日の好晴にも拘らず、この四、五日余寒さ猛威を逞しくし、凌ぎ難く候処、母上様始め皆様お変り無之侯也。小生等愈々期末考査も開始せられ、乾坤一番張り切り居り候。考査終了は四月二十入日に御座候。

  
四月二十八日 (第百十六信)

 小生等本日を以て考査も無事終了致し、来週よりは短艇週間を控えることと相成申侯。さて御手紙によれば、五月二日来校せらるる由、生憎と馬術訓練にて折角の御予定のところ、甚だ遺憾に存じ居り候。又日曜は不意につぶれることも有之、航空実習も行わるることとて、今のところ暇を得申さず、六月下旬頃がよろしきかと存じ居り候。 

五月三日 (第百十七信)

 小生等、昨日、日曜日広島市街をあちこちと散策し二時半頃帰校しました。さて御来校の件ですが、来る十六日家の方で都合がつけば御一報下さい。今のところ差支えありません。匠君も是非御同伴下さい。短艇週間も始まりました。時はよし、海は染めたる様に青く、短艇は白波を蹴立てて江田内を無尽に疾駆します。では楽しみに待って居ります。

 
五月十二日(第百十八信)

 十六日御来校御決定の由、万事この上なく候。ついては御手数ながらシツカロールを御依頼致し度く、小生等日々鉄腕を撫しっつ、十七日の競技を待ち居り候。十五日は競技予選にて面会し得ずと存じ居り候。御送金本日受領致し侯。

  
五月二十一日 (第百十九信)

 先日はわざわざご面会下され、ご老体ご支障もこれなく候や。無事帰福、日々御自適の程拝察致し、八方園より心ひそかに打ち喜び居り候。小生も益々精気を得、十七日の短艇競技には予選にて又も第一等を得、溜飲三斗の思いもあらばこそ、翌日の准優勝戦にては遂に惜敗いたし、血の携漕も何ら甲斐なく、今度はひたすら遠漕にて栄冠を満喫せんものと、分隊監事を始め、分隊員一同ヨイショヨインヨの景気も凄じく、狂馬を海上に放ちたるが如く、その威を呈しう致し居候。小生体の方も頗る健全、体重も十六貫を超え、この調子ならば夏休暇までは十七貫ともなり、もともと小さき夏軍服等「入るかあ」など、あらぬ心配ばかり致し居り候。

   
五月二十七日(第百二十信)

 昨日は立派なるルーズリーフをお送り下され拝受致し候。遠漕も無事終了し、本日は海軍記念日にて、只今演習より帰校し、千状万化の戦闘を体験致し侯。先日は宮島にて暇あり、家に点火器(マッチの火の消えざる如く中に入れるもの)、匠君に文鎮、信子ちゃんに玩具を送附致し候。隊務多忙(只今、週番中)、閑暇稀に、且つ筆端蕪雑なる御容赦下され度候。

  
六月二日(第百二十一信)

 毎度乍ら疎遠の罪多謝候。さて暑気日に加わり候処、母上様始め皆様には御元気の御様子大賀このことに御座候。私も先日より航空派遣教育のため、岩国に参り、連日の飛行作業に、将来の責任の大と心中の快を覚え、なかなか夢も結び兼ね候。

本実習も終れば、今度は乗艦実習にて、各方面の実地訓練多く、七月ともなれば、少しく閑を得候かと存じ居候。何はともあれ強健一番、母上の御諭旨を守り、人後に落ちざるべく、身体に錬磨致し候えば御放念被下度候。

  
六月十三日(第百二十二信)

 先日はわざわざ小生のため菓子を準備せられしとのこと感謝にたえず候。母上を始め兄姉皆して小生のため、いろいろなる御便宜をはかられ、身の幸福之に過ぐるものなく存じ居候。

 さて新聞を拝見したる処、「老婆」なる表現言語道断、まことに以ての外に候。そもそも海軍献金等は紙上に掲載公表すべき性質のものにあらず、然るに之を掲げ、あまつさえ我が母上を称して「老婆」の如き稜しき言を逞しうし、新聞社側の不誠意なる魂胆実に眼に見え候。海軍軍人の出所たる高崎家の体面を穢し、且つ冒涜するの甚しきものに御座候。

 兄上にも知れたらんには、さぞ憤慨せらるることと推察致し居り候。もし家に居られたらば、新聞社の無礼に対し、何とか致し居り候わんも、江田島にありてはその術も叶わず、ただ遺憾に存じ居り候。

 さて明日よりは乗艦実習に出発いたす予定、実地に於いて大いに平素勉学の効果を発揮せんものと努め居候。夏休暇も次第に近くなり、各生徒の休暇を待つは早天の雲冤を望むより切にして、日々余日を指折り数え居り、今や四十余日と相成候えば久し振りにて拝顔を得べしと楽しみ居り候。家に生徒をあずかられ候由、何卒敬愛せられんことを願上候。姉上のもとにて学習せば、好成績を得ること確実に御座候。最近多忙にて執筆の畷もなかなか見出し兼ね候。乱筆御容赦願上候。

  
六月二十日(第百二十三信)

 只今帰校、無事乗艦実習も終了致候。十六日は早朝大阪発、阪急電車にて宇治山田に向い、始めて皇大神宮を参拝致し候。小生の感激御察し下され度候。奈良等に立寄る暇は全然無之、夕刻帰艦致し侯。本日は勤務実習の垢をおとすべくバスに入り候処、全身コヨリをよるが如く滲み出て、互いに垢ごよりを集め呵々大実の一時を過し候。来月より考査も始められる予定にて暇なく、兄上始め白石先生によろしく御伝声願上侯。

 
六月二十九日(第百二十四信)

明朗、元気、努力。 

七月五日(第百二十五信)

 御手紙拝見致しました。母上の一日も早く御元気を恢復せられんことを切に祈り上げます。小生只今、考査中で連日健闘して居ります。

 
七月十−日(第百二十六信)

 母上も御全快の趣、大いに安心仕侯。欣喜雀躍措くところを知らず候。考査も毎日四時間乃至五時間づつ受験致し、昨日終了致し候。本考査は人後に落ちざるべく懸命の努力を致せし故、やゝ好成績を収めたるつもりに御座候、何しろ兵学校は天下秀才の巣窟にて席次を争うが如き浅はかなる考は毛頭無之候も、並大抵の努力にては小生とても好成績を得ることは期待し得ず、三号、二号の時は、将来を慮かり、一に身心の健康に留意し、勉学は落第せざる範囲に止め申侯も、本考査に於ては自ら省みて最も好成績ならんと存じ居り候。一号となれば誠に忙しく、明けたりと思えばもはや暮れ、葉書もなかなか認むるを得ず、休暇も忘るるが如き有様に有之、一日も、もう少し長ければなどと勝手なる考を起し居候。帰省は二十九日正午頃の予定に御座候。

 
七月二十五日(第百二十七信)

 七月二十九日には午前九時十三分博多駅着の予定に候えば右御承知被下度候。小生のため着物をはじめいろいろなものを御新調被下候由、誠に感激のほか無之候。

  さて、海軍生活に於いては、かかる長き休暇は今度が最後にて、母上の膝下に一日も早く馳せんことを日々楽しみ居候。旅費、刀の件は御配慮御無用に御座候えば御安心被下度候。

 

 (休暇日誌)

七月二十八日。

 十四時三十分外出点検(休暇開始)。十七時宮島口発。二十四時三十四分小倉着。(親戚訪問)。 

七月二十九日。

 六時四十分大八木弁護士(父の友人)を訪問。七時四十人分小倉発。九時五十分博多着。午睡団欒。半歳振りに父母姉に見え余の歓喜筆舌に尽し難し。

  
七月三十日。

 午前、中学校修業式に参列。午後、旧師(大島、武末、白石氏)訪問。母校を訪問し本年度海軍志願者にして優秀者の激増せるは誠に頼母し。修業式終了後、受験者を誘引、兵学校生徒の真相、海軍の伝統精神、生活様相に関して談ず。皆烈々たる闘魂に燃え、滅敵の気概横溢し居れるを目撃す。

 旧師を訪問し種々と将来に関し訓戒を忝うす。人を動かさんと欲すればまず自ら動かさざるべからざるを銘記し辞去す。

  
七月三十一日。

 午前、国民学校訪問。午後、旧師(貝原氏)訪問。恩故(伊地知氏、山下氏、勝本氏)訪問。

 母校たる大名国民学校を訪問。校長始め恩師に見え、歓談の時を過す。余、講話を依頼せらる。未だ生徒にしてその資格なしとて、こばみたるも己む事を得ず、遂に壇上に立ち、児童の視聴を一身に集む。終りて将来の希望を尋ねしに、全部が全部、熱を挙げ、海軍に対する憧憬の念を深く烙印せられたものの如く甚だ愉快に堪えざりき。

 伊地知氏は刀剣界の権威にして、日本精神を研究し、神髄に触れんと欲せば須らく日本刀に依るべきを教示せられ、余数本の名刀に摸し、研か古人の意を体得し得たる如き感に打たる。

  
八月一日。

 帰郷墓参。先祖累代の墓地、遠賀郡遠賀村尾崎に赴く。墓前に額づき永訣をなし、夜帰福す。帰福後、余の後輩二名来り、互いに兵学校生活を談ずれば、彼等はいよいよ海軍に身を投ぜんの決意を固くす。

  
八月二日。

 午前、教会に恩師訪問。読書。午後、遊泳、海軍体操、保証人宅訪問。

 
八月三日。

 午前、家庭(友人来訪)。午後、家庭(後輩誘引)。恩故(徳永氏)訪問。徳永氏を訪問し、汝の信ずる所に向い、汝のなる如くなるべしとの教訓を賜わり深く肝銘し、将来自己の信念の下益々強く生き抜かんことを誓う。

 
八月四日
 午前、家庭団欒、読書。午後、家具修繕、家庭団欒。

 
八月五日
 午前、防空簑作成。午後、歯科治療、家庭団欒。

 
八月六日
 午前、歯科治療。伊地知氏訪問。午後、歯科治療、白石氏訪問。家庭団欒。

  
八月七日
午前、歯科治療。家庭団欒。午後、歯科治療、家庭団欒、読書。

  
八月八日
 午前、家庭団欒。午後、午睡、家庭団欒。二十時二十九分博多発、帰校の途につく。

 母姉と最後の団欒をなす。別るる日となれば、一点の情忍び難きものありと錐も、余の精神を一詩に託し母に贈る。

              我魂老母愛  正義必動天

              名利如塵挨  孝以忠為尽。

   (以上、第三学年夏期休暇日誌より)

八月三日 (第百二十八信)

 猛夏の折柄兄上の御奮闘の英姿彷彿致し居候。さて小生、今度最後の休暇(8日まで) も許可せられ、母上の許に日々楽しき時を過し居り候。 母上始め皆様とお会い致す機会も今度限りにで、兄上とも卒業式の再会の日を日々待居候も、本年度より父兄の参列許可せられず、又日曜日の面会も特別の事情なき限り許されざることとなり、甚だ心残り有之候。然し乍ら飛行学生に採用相成侯節はその機会もあることと信じ居候。

 卒業試験は七月上旬に行われ、毎日四時間づつ受験し、科目は物理、航空力学、音響学、軍事学は戦術、戦史、砲術、水雷、航空、航海、運用、機関要務にて何れも本二冊乃至三冊の広範囲にて、その莫大さを御推察下さるベく候。兵学校は天下秀才の淵叢にして、小生愚鈍なれども努力には決して人後に落ちざる確信あり、併し好成績を収むる事は甚だ難かりしも、本卒業試験は懸命の勉励をなし、他人の一時間をもつてする所は二倍の努力をなし、日曜日などは専ら自習室に留まりて準備を整えたれば、自ら省みて成績良好と考え居候。幸に小生、落第することなどなく、近々卒業の栄を担うことと相成候間御安心被下度侯。玄に謹んで兄上の御前に跪きき感謝申し述べ候。

 宿志相違し候については、陛下の御恩沢、父母の恵は更にも言わず、兄上の御誘導有難結果は実に小生の今日ある所以にして、不文の万乗に謝する語を知らず候。されど現下勝敗逆賭すべからざるの時局下、我々の卒業は帝国海軍の新鋭威力を加うるものと存じ候。只只千辛万苦と戦い、粉骨砕身その任に当り、死してなお鬼となり、皇敵を垂殺せん覚悟に御座候えば、是又御安慮被下度侯。

 卒業後は直ちに第一線に立つやも知れず、従つて万一を慮り、小生のことは一切兄上に御依頼致すべく、又、戦死手当金はその三割を母上に、二割を兄上に、又、二割を兄姉全部に配当せられ、後の三割はその一部を兄姉中最も苦しき立場にある人に、他を大名国民学校、修献館中学への寄附、海軍献金、国債等に当てられ度存じ居り候。なお手当金の割当等に関し、有益に使用するため御意見を御教示願上候。

 母上には全然心配をかけ居り申さず、専ら母上と共に長生し、孝養を尽すべく語らい居候。凡そ子の母に先立つは、一点の愛情忍び難き所も有之、しかし、孝は殉忠を以て尽せりと致すものなれば、聊かも遺憾に思う事無之候。玄に思い付きたるまま所懐の一片を申し述べ候。

 九月上旬頃、分隊監事と中堀教官に御礼状を出され度願上侯。

 「広島県江田島海軍兵学校 中尾静夫

 ”   〜 .      中堀忠三」

 本休暇も万般遺憾なく恩師、知人訪問、墓参等を致し、本日より専ら家に留まり、母上と余日を楽しく送るつもりに御座侯。

なお、刀は大和大嫁正則と源兵衛清光作の脇差と頂戴いたし度存居侯。

何卒御健康にくれぐれも留意せられんことを祈り上げ候。「浅草海苔」は毎度膳に供し、久し振りにて珍味を得申侯。

    (福岡帰省中、長兄宛遺言状)

  
八月十四日(第百二十九信)

 小生休暇中は一方ならぬ御世話を泰うし、連日小生のために立ち働かるる姉上の姿、彷彿し、まことに恐縮感謝の至りに存候。柿上の壮なることには驚き入り侯。何卒、強健に委せ御無理下さらぬよう願上候。右御礼まで。姉上の御多幸を祈上候。餞別拝受致し候。  (澄子姉宛)

 
八月十二日(第百三十信)

 無事着、身体の調子も誠に良好にて、再び鋭気を以て卒業を目指し突進致し居候。休暇中はいろいろなる御無理を申し、申し訳無之。又食物等望み難き珍味を口にし、感謝にたえず心残無之侯。御身体の具合は如何に候や、御無理は禁物に御座候。刀剣代金は為替として母上のもとに送らるる由、刀剣袋一(紐不要)後程御送り被下度願上候。

  義子姉様、小生帰省中は一方ならぬ御面倒を泰うし、且いろいろなる御厚情を賜わり、

又餞別を下され、有難く感謝致し居侯。姉上達の、数ならぬ弟のため立働かるるは全く順序転倒し、小生にかり甚だ心苦しく候いしも、又反面小生の幸福を無上に感じ候。

右御礼まで、御身体を大切に祈り上げ候。

  
八月二十一日(第百三十二信)。

 御写真並びに御手紙有難う御座いました。母上は最近になく御立派に撮れていますので、非常に嬉しく感じました。私等は卒業前のいろいろな教務訓練で毎日多忙を極めて居ります。常に母上の御祈りの加護の下にあると思い、最後を項張つて居ります。では、又くれぐれも心配を無くし摂養自愛せられんことを祈り上げます。

八月二十八日(第百三十三信)

 残暑誠に厳しき折柄、皆様如何候や、小生もおかげを以て日々奮闘の日を送り居り候。昨今は候補生用の被服物品等着々と揃い居り、誠に楽しく、早く卒業致し度き気持にて一杯に候。刀剣袋一(紐不要)来週頃何卒御送付被下度候。               
八月三十日(第百三十四信)

 昨日はお手紙有難うございました。ちようど遊泳中距離競技が終つた処でした。競技は之が最後で精魂を傾け力泳したつもりです。小生卒業に際しいろいろなる御心尽しなど有難く感謝致します。ハンカチ等の御送付は卒業後にお願いします。栗原の刀代金は十月初頃送られることと思います。先日長さんから葉書がまいり、姉上もいよいよ嫁がれることとなり深く御祝申し上げます。

 
九月十五日(第百三十五信)
 本日は母上、義子姉上のお手紙、澄子姉上の速達など、御祝いの言葉を泰うし有難く御礼申し上げ候。

 さて、生来の宿志始めて今日達し、霞ケ浦海軍航空隊に赴任致すことと相成り、茲に謹んで、母上始め皆様の御祈りの賜と深く感謝申し上げ候。 卒業後はよく母上の御諭旨を体し、冷静沈着事に当り、日本一の海軍飛行将校となる覚悟に候えば何卒御安慮被下度。 右御礼まて。

 微積分教科書受領。栗原の母より送金されたる由。町内の方々に然るべく御伝え被下度願上侯。

 卒業当日の様子。

九・三〇    御召艦粛々と江田内に入港。

一〇・四五   御下賜晶授与式。

卒業証書を授与さる。(御紋章の下、我が名あるを見、感泣の外なし)。

海軍少尉候補生の辞令を受く。

(一人前となり愈々独立の生活を真面目行くかと胸中間無量)

一一・三〇   御召艦出港

一二・三〇   茶菓子場に入る

加藤大将卒業生に対し祝辞及訓辞。校長挨拶。文武百官相並び、高等官婦人、海軍特別縁故者、教員等と我々卒業生は互に祝杯を挙ぐ。
(例年なれば此の席に父兄参列)。

一三・四五  在校生と「後を頼んだぞ」、「しっかり願います」と言いあつて、懐しき自習室と離別。

一三・五〇  八方園神社参拝。

       斯く一人前になりたる喜びと決心を報す。陛下の御恩沢に涙数行下る。鳴咽の声あり。

一四・三〇  ロングサインにて兵学校さらば。分隊監事内火艇にて湾口まで見送られる。

一九・一〇  広島発、霞ケ浦に向う。

翌十六日夕刻、東京駅にて兄上と面会し、上野で別れ、深更、航空隊着。

直ちに学生舎に入る。

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