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八方園神社

八方園神社あとに有る碑 八方園神社に有った方位

昭和31110,京都御所において御即位の大典が行われ,在校生徒全員が京都東本願寺前に整列して御大典歯簿を奉迎した。つづいて,同年1123,御大典記念事業として,校内の一角に八方園神社が創建された。八方園とは第2生徒館の東側にあたる小高い丘で,周囲の斜面には老樹が鬱蒼と生茂つていたが頂上は小さな平地になっていた。たまたま,伊勢神宮で遷座祭が行われたので、もとの神殿の桧材を拝受して天照大神の神霊を祭る八方園神社を建てることになり,在校生徒全員の勤労奉仕によって神域が整備された。 「江田島の生徒は,イギリス人が考えているような宗教上の教典を信ずる意味においては宗教的ではない。兵学校では,宗教約な礼拝が行われるわけではない。」校庭には1928(昭和3)に建てられた小さな神杜があるばかりである。(中略)一般の生徒は仏教徒でも神徒でもキリスト教徒でもない。彼等が考えている宗教の意味は,忠義と孝行の他の何物でもない。君に忠ということが彼等の生活の中心である。人生最高の目的は,天皇陛下の御為めに粉骨砕身することであって,このためには死をも辞すべきではないという信念を生徒は持つている」 海軍兵学校に英語教師として在勤したセシル・ブロツクは,以上のように八方園神社を紹介している。同神社が在校生徒に海軍将校生徒たる衿持と自覚信念を深めさせるために与えた影響は大きかった。 なお,昭和16年秋,この八方園神社に皇居遥拝所と方位盤が設置された。石でつくられた円形の方位盤には国内の主要地方のほかニューヨーク,ウラジオストック,シドニー等の方位が刻み込んであり,生徒は自分の出身地である家郷の方角に向って思いを馳せたり,外国各地の方角を知って広い視野に立つことを自分に言い聞かせたりした。

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