TOPへ    遺墨目次

  

豊住 和寿

 

拝啓 寒冷相催す候と相成候処、父上には益御壮健の事と拝察仕居候。先日は亦御手紙を戴き感謝に不堪候。不肖私儀元気益旺盛訓練に励み居候間何卒御放念被下度候。

今や決戦の秋来りて皇国の興廃将に此の一戦に有之候。男と生れて二十有二年、皇国の興廃を担って此の聖戦に参加し、皇恩の万分の一にも報い奉り得るは、男子の本懐之に過ぐるものなし。我々肥後男子の血には勤皇菊池氏の忠節の誠流れ、千本槍の意気や将に昇天の気概あり。皇国護持の道、唯我々青年の肉弾突撃にあり。されば我等の責務や重大にして、愈以て尽忠報国の念を堅くする次第に御座候。牛島戦死し、入江中尉、合志、坂梨戦死せらるるやも知れずと聞き、誠に残念至極に御座候。彼等の戦死公表になりますれば、何卒彼等の霊前に、豊住は、仇は必ず討つと出て征ったと御伝へ被下度御願中上候。

寿子も女子挺身隊員として毎日働き居るとの由、益御指導鞭撻あらんことを切に願上候。和史も愈いたずら盛で元気旺盛の事と存候。兄として弟に何等成す事もなく誠に申訳なきも、弟の教育には私の最も御頼み申上げおく次第に御座候。今日まで私の帯せし軍刀一振、和史に譲り渡す事に決心致したる次第に御座候。尚、国の大事に際しては何卒御使用相成度、和史成年の暁には小生の魂と共に出陣せんことを、今より祈り居る次第に御座候。親類の方にも手紙出すべき処その暇も無之、何卒宜しく御伝へ下さるべく願上候。舞鶴の佐藤大佐にはくれぐれも宜しく御伝言を御頼み申上候。 牛島様、井上様、川添様、其の他御世話になりし五福校、済々黌の諸先生には厚く御礼中上候。最後に、天皇陛下の萬歳を三唱し、敵撃滅に征く。

父上始め皆様の御健康を祈りつつ 

   昭和1911月8日 

海軍中尉 豊住和寿

父上様

(機関記念誌74頁)

TOPへ    遺墨目次