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故田辺光男君の妹への手紙

(田辺光男君は191015 台湾沖航空戦にて戦死)

 

 1711・2の5手紙によれば雅子さん達もなかなか大変ですな。稲刈りに行ったり、「ポンプ」を引っぱって分列行進をやったり、実に心強い感じがします……。

兄さんもいよいよ、最上級生徒となり、天下の兵学校を預かる身分となりました。この重大責任を充分自覚し、下級生を誘導してゆく決心です。今度編成替により第一分隊に編入され、伍長補を命ぜられました。伍長補というのは伍長(一ケ分隊の長)を補佐する役です。一生懸命やります。ではまた。

 

 18・129 休暇終了して早や20日、皆様お変わりはございませんか。兄さんは相変わらず大元気で、本分に邁進していますからご安心下さい。さて近況をお知らせしましょう。兄さん達は去る9日から厳冬訓練が始まり、朝5時半、起床して未明の海上にポートを漕いで、不撓不屈の精神を涵養したり、道場に赴いては剣道に攻撃精神を錬成したりしました。そしてそれも去る22日終了し、22日には剣道競技があり、兄さんも大いに抜いてやろうと思って出場しましたが、武運拙なく、1人負かして油断したところを、2人目の者に胴をとられました。その日の夕食には鏡開きの汁粉に舌鼓を打った次第です。

 

 18・4・4 

兄さんも専ら、下級生徒の誘導に心掛けています。兵学校の良い伝統を伝えんと一生懸命です。明日から武道週間が始まります。毎日剣道と銃剣術をやります。今、兵学校の桜も五分位咲きました。岩水寺の桜ももう咲いたことでしょう。「花は桜木 人は武士」兄さん達は日夜、桜の花の如くなろうと努力しています。

来る20日から考査があります。充分頑張るつもりです。

(注、兵学校巡航節の一節

吹くな春風 散らすな桜 せめて 考査の終るまで)

(ニュース 遺墨集 7号31頁)

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