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故中西達二君の坂元中尉あての手紙

(中西達二の戦死3日前の手紙)

20年4月12日、神風特別攻撃隊常磐忠華隊として突入戦死

72期諸官へ

串艮基地に無事到着して翌6日、菊水一号作戦に参加した部隊を送りました。宇佐、姫路空を以て編成した97艦攻特攻隊30機と、小生の所謂教え子の吉岡中尉の率いる天山特攻隊10機でした。皆元気にニッコリと笑って出発しました。我が戦友、野中繁男(註1)も、やや体の不調を押して出て征きました。小生の教えた飛行学生、予備学生、練習生が沢山出てゆきました。小生も近い内にゆくとは知り乍ら、送る身として涙を禁じ得ませんでした。彼の歌にある「送るも征くも今生の別れと知れどほほえみて」といふ文句、しみじみ味ひました。顔で笑って心で泣いて約3時間に亙って出発した特攻隊を送りました。

6日の戦果はもう公表になったと思いますが、大戦果をあげました。海軍1日50機、陸軍60機の特攻隊の大部分が体当り成功でした。首里の艦爆隊も輸送船団に突入した模様です。艦攻隊40機のうち数機の外は全機、空母及び戦艦に体当りしました。小生共、愈々明10日菊水二号作戦の唯一の艦攻特攻隊として出撃します。飛行機の調子もよく、搭乗員の元気も上々です。我に天佑神助あり、必中疑いなしです。キット空母に体当りします。列機をつれてゆきますので、必ず轟沈し得ると確信しています。戦果の発表を楽しみにしていてください。

永い間、色々お世話になりました。至らぬ小生が何度か皆様に迷惑をかけたことをここにお詫びいたします。

こちらに来て一層日本の危機を感じました。敵の物量は我々の考えていたよりずっとずっと凄いものです。まだ、敵の空母は約20隻この近海に遊弋(ゆうよく)してます、日我が海上特攻隊たる大和を基幹とするなぐりこみ部隊が指宿沖で敵艦上磯の攻撃を受け、駆逐艦隻を残して全部轟沈、撃破されました。既に帝国海軍水上部隊は全然なく、将又、航空部隊もありません。夜間攻撃に行って今朝帰って来た天山を、その日の薄暮攻撃にまた使用するという現状です。

 

帝国海軍の最大の航空兵力は我々10航艦特攻隊と思はれます。それも既に12聯空は殆んど底をはたいた有様です。残るは11聯空のみです。陸軍特攻隊は殆んど頼みになりません。去る6日の攻撃のときも陸軍特攻隊の殆んど全機が喜界島に不時着して攻撃しなかったという状況です。(注2)

陸軍の関東軍は既に九州防衛のために続々とやって来ています。小生はこれではならぬと思います。敵を九州に上陸させては、皇国は滅亡すると思はれます。これを喰い止めるものは兄等12聯空の残存部隊だと思います。どうか兄等益々自愛されて、時到らは必ず、莫大なる敵を撃滅されんことを願います。小生一足先に地獄に赴き兄等の奮戦を楽しみに待ちます。

では呉々もごきげんよう、後を願います。

 

4月9日   串良にて

中西 達二

 

散る桜 残る桜も散る桜

散って護国の花と啓かむ

嵐吹けば 蕾桜も惜しからず

手折りて捧げむ 大君のため

 

同期生の諸官によろしく御伝言の程を。

 

注1 第一八幡護皇特攻隊長として4/6 突入

注2 海上航法の未熟によるものが原因

 

坂元中尉へ(私信として同封ありしもの)

先日の写真は勝手乍ら「ネガ」も一諸に小生の家へ送ってやってください。

明日は「敵機だ、空母だ、戦艦だ」の歌を歌いながら突入する考えです。小生あの晩から彼の歌をうたいつづけです。機上でも、地上でも、本当によい歌です。ここには永田大尉が居られます。毎日攻撃に出ていますが、その余暇には一諸に飲んで話しています。彼が私の出撃を非常に惜しんで呉れますが、本当によい教官でした。いつまでたっても。貴兄も特攻隊になっている旨伝へたら、やっぱり惜しんでいました。

貴兄の御奮斗を見守ります。では御大事に

さような

(なにわ会ニュース遺墨集 昭和40年2月掲載)

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