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橋口 寛の自啓録にあった

出撃間近の喜びを送る父母への便り

一歳憂憤の雲も晴れて、宿志遂に神明の容れ給う日の近く、不肖の喜び、手の舞い足の踏む所を知らんずる今日にてご座候。顧みれば期友 川久保等征きて己1歳、彼は突撃の頭に立ち、われは残りて後進指導の重任に生く、皇国守護の大道に両つながら存すると(いえど)不肖、まだ年少多血忍ぶに耐え難かりし一歳にて有之

いまや醜敵の土足、将に神州本土を(けが)さんとする秋に当り、不肖の武運や遂に開かれて醜足を一刀の下に断たんずるを得、お父母上様、相いともにお喜び下されたく  顧みれば不肖20有2歳、育栄のご高恩逐次として思い出馳せ候も、不肖孝養の子道一として思い出するなく唯恐心仕りおり候、過去一歳にわたらせられましても、寛は一体、何処で何をぐずぐずしているやと、それのみ歯痒ゆく思召し候ひけん御事と拝察、歯を喰いしばりおり候、せめて武運開かるる秋をまちて、ご高恩の万分の一にもご孝養仕へまいらすべしと頑張りおり候。承るところ、わが家も灰煙と帰し、母上様、妹に負傷ありたる由、愈々一家を挙げて仇敵撃滅の勇心勃々たるを遠察仕り候、不肖20有2歳、ご教育の下、七生八生.仇敵の上に鉄剣を馳せ、皇国を守らんずる決意の程に候間、ご安心下されたく候

神州は不滅にて候

 

回天基地平生にて自決前の手記の後半

 

新事態は遂に御聖断に決裁せられしを知る。即ち臣民の国体護持遂に足りず、御聖慮の下神州を終焉せしむるの止むを得ざるに到る。神州は吾人の努め足らざるの故に、その国体は永遠に失はれたり。今臣道臣節いかん。国体に徴すれば論議の余地なし。一億相率いて吾人の努め足らざりしが故に、吾人の代において神州の国体を擁護し得ず終焉せしむるに到りし罪を、聖上陛下の御前に、皇祖皇宗の御前に謝し、責を執らざるべからず。

今日臣道明々白々たり。然りといえども、顧みれば唯残念の一語につく。護持の大道にさきがけし、先輩期友を思えば、ああ吾人のつとめ足らざりしの故に、神州の国体は再び帰らず。

君が代の 唯君が代のさきくませと

祈り嘆きて生きにしものを

 噫、又さきがけし期友に申し訳なし。神州ついに護持し得ず。後れても、後れても亦卿達に 誓ひしことば忘れめや

 

(注)郷達とは石川誠三、川久保、吉本、久住、河合、柿崎、中島健太郎、福島、土井秀夫、都所、川崎、福田斉、豊住、村上克己の諸君のこと。

(ニュース 遺墨集 8号27頁)

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