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故福山 正通君が第一線出撃の命を受けて

元山海軍航空隊出発に際し母宛に出した手紙(ペン書)

 

拝啓向寒の候母上様には益々御健やかにお暮しの御ことと推察仕り候

大東亜戦争日を追ひて熾烈の度を加へ時局益々重大なるの秋正通も出征の恩典に浴し近く第一線に赴く事と相成申候

顧みれば今日に至る迄何一つとしてお心を安んずることなく御無理ばかりお願い致し私不孝の段御許被下度 父上にも1年間と謂うもの消息なく此度再び私出撃の上は御淋しき御事と推察仕候も淑子 久美 正昭と居ることなれは御心強く御暮しの程祈上候

私出撃の上は母上様の御期待に背かざる立派なる働きを致し父上と共に御国の為に尽す所存に有之候へは何卒御休心被下度候

不要荷物及軍刀返送致し候間書籍中若し「秘」のもの残存せるものあらは焼却致度 尚航空隊在隊中は司令を始め皆々様に厚く御厄介に相成申候 御礼状出され度 愈々御自重御自愛の程遥かに祈上候

 

昭和1911月22日  

正通拝■

母上様

追伸 

司令宛名 元山海軍航空隊司令海軍少将 藤原喜代間

 

 

福山正通君が岩国より出征時、母宛の手紙 (毛筆書き)

 

拝啓 

 3歳前、米英に対し大事の御事催され候に就ては日を追ひて戦果を拡張し皇威を宣揚、今日に及びたるも(やが)て敵は物量を頼み反撃を加へ来り愈々危急存亡の秋と相成申候

此秋に当り予て熱望の第一線出撃の恩命に浴し近く出征することと相成 正通は勇躍出征仕候

20有余年の御養育厚く御礼申上候

何等母上様には報い奉ることなく相済まぬ次第に有之候も一死奉公の御事を以て御恩の萬分の一にも報い奉る所存に有之候 正昭にはよく勉強し立派なる人間になる如く御伝へ被下度

後にて御便りする期もなきかと思はれ候へは 祖母様、増田の祖父母様 伯父母様にも宜敷願上候

先は取り急ぎお別れ如此御座候

最後に母上様を始め皆々様末長く御栄への程祈上候

 

昭和191125

正通

御母上様


 

福山正通君が戦死後返送して来た遺品中に有った遺書

福山 正通

母 福山モトエ様

明日早朝攻撃に向う 2,600年の光輝ある歴史 皇国の隆昌を願うのみ

生前今日迄の御養育を謝し正通は「にっこり」笑って敵に突っ込む 遥かに母上様

の御健康を祈る

 

昭和20年1月3日 出撃前夜2400

於比島某基地 

 

君のため尽す命は惜しまねど

唯気にかゝる国のゆくすえ 

 

たらちねの ちちはは迎へむ 靖国に 

明日はゆくなり 南冥の空

 

祖父 増田直蔵様(注、母モトヱの実父)

 

正通は待望の攻撃に向う 七たび生れて皇国を護らむ 
父も不在生死不明残りし家族を頼む
叔父の仇を討つ

 

昭和20年1月3日2400 出撃前夜

 

(紙片に書かれた床尾中尉の手記)

散って征く ああ散って征く 散って征く

元気な英姿を残し福山は征キマシタ。

同期生 床尾中尉

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