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平成19年10月のブログ

日記10月31日
平成15年3月に岩松重裕君が寄稿された「柄澤節夫、末岡信彦の御霊に祈る』という記事の中に「柄澤中尉は何か考えがあったのであろう、何回目かの対空戦開始の時、上甲板へ上がって行かれた。日が暮れてようやく空襲はなくなった。しかし、柄澤中尉はガンルームに戻って来られなかった。五十鈴の士官から柄澤中尉は封空機銃のそばで敵機の銃弾をうけ戦死されたとの報告があった。なんともいえぬ気持ちでそれを聞いた。翌朝であったか、後甲板から彼の遺体は水葬された。水面にむかって敬礼した手はなかなか下ろせなかった。」とあります。(HPの戦記に取り込み済み)

この件に関し,有料購読会員の方から次のコメンとを頂きました。
「『空母瑞鶴』に、このとき柄沢中尉と一緒に甲板にいた653空整備分隊士の森茂治さんという方の回想が載っていました。「私は昼近くだったと記憶していますが、『五十鈴』に救助されました。 今でも残念に思うのは、一緒に救助された柄沢節夫中尉(海兵72期、長野県)が、私とともに『五十鈴』艦上で敵機の攻撃状況を見ていたとき、機銃弾に当たって、すぐ横でバッタリ倒れて戦死したことです。わずかにそれていれば、私と彼の運命は逆になっていました」
また,この方から,先日HPに取り込んだ「藤野先生」の記事の誤りを教えていただき,早速訂正しました。


ジャパンタイムズの記者の方から次のメールを頂きました。
「実は先日、アメリカの読者から報道部宛てに連絡が入り、「駆逐艦藤波(1944年10月27日にフィリピン沖で沈没、乗員全員死亡)の遺族の方を探してもらいたい」との依頼を受けました。
読者はニューヨーク在住のトニー・ポトニアックという方なのですが、戦時中に搭乗していた護衛空母ガンビア・ベイが沈没して海上に投げ出された際、藤波に搭乗していた日本軍兵士に見つかったものの、『殺されると思いきや全員がこちらに向かって敬礼をし、敵である自分を殺すようなことはしなかった』とおっしゃっています。」その経験を藤波に搭乗されていた方々の遺族に会い、お礼を伝えたいとポトニアックさんは話しています。これに対し,同艦で戦死した實吉安志君の情報を伝えました。

Commented by 深井紳一
軍人としての敵国の軍人への敬意を忘れず、礼儀と秩序を守っていたのは駆逐艦「雷」の工藤艦長だけではなかったのですね。伯父が海軍軍人であった事を誇らしく、うれしい気持ちがします。



10月30日
昨年逝去した小灘利春君の奥様から年末クラス会欠席のメールを頂きました。

先般記載した家内の自分史ですが,なにわ会関連のかた41名を含め多数の方に読んでいただき,そして親切な感想を沢山頂き,家内は感激しています。まだ残部がございますので,ご希望の方がおられましたらご連絡ください。

昨日取り込んだ藤野先生のHPが見られないと,購読会員の方から連絡があり,調べてみましたところ,転送漏れでした。早速転送して見れるようになりました。有り難うございました


10月28日
ブログの19年9月分を取りまとめHPにとりくみました。19年6月以降はコメントもブログと一緒に取り込んでいます。


10月27日
山田良彦君から近況をメールで頂いた。大助かりです。その中に9月12日,高橋義郎君の姪の太田さんと山田良彦君,相澤善三郎君が会っていろいろ話し合って太田さんが喜ばれた事が書いてあった。これも前に書いたようにHPの取り持つ縁である。そのあ相澤善三郎君が年末クラス会で今年は艦船勤務を歌おうと言っていた。


10月26日
昨日左近允尚敏君から自衛隊勤務経験者の名簿をいただきましたのでその資料とパソコン用名簿を駆使して勤務者の表を作成してHPに取り込みました。
74期が江鷹333号(19年5月)に海上自衛隊の74期と題して記事を掲載していますが,それによると,131名(卒業生の13%)が海上自衛隊に勤務していたと書いています。

72期の海上自衛隊勤務者は64名(卒業生の10%だが終戦時の生き残り,復員者の22%)です。なにわ会員の勤務者は海上85名,陸上8名,航空10名となっています。

高杉敏夫君がメールで近況を送ってくれました。助かります。

大谷君から近況をもらい,その中に朝日新聞の切り抜きが入っていました。パソコンに取り込みみました。昭和58年に亡くなった藤野竜弥君の父親の記事です。大谷君は近況で超高齢で口害タレ流し・・・と書いてきたが,まだその記憶力は抜群,また,よく新聞を読んでいると感心しました。HPに取り込んだので見て下さい。


日記10月25日
今日10月25日は太平洋戦争中,72期の級友で一番多数の戦死者が出した日です。64年前のことになります。72期で19名「卒業生の3%),73期はなんと46名(卒業生の5%が戦死しています。左近允尚敏君が当日の戦死者を纏めたものが↓のHPにあります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/191025nosensisya.1.html
なくなられた方々のご冥福を祈りましょう。

購読会員の荒井順子さんから奈良にある空母瑞鶴の慰霊碑におまいりしてきたとメールを頂きました。瑞鶴,翔鶴は一番活躍した空母でしたね。

昨日頂いた左近允尚敏君の「解明 真珠湾攻撃  無線傍受の真相」をワードに取り込み,98号に掲載します。またHPに取り込みました。

左近允尚敏君紹介の伊藤庸氏のアドレスを田島明朗君に聞いてメール連絡がつきました。

伊藤庸氏と故小灘利春君の息女伊藤伸子様を購読会員に追加しました。

年度幹事上野三郎君から25日現在の年末クラス会出席予定者を送ってもらました。今までの出席回答は49名です。まだ返事を出していない方が相当おられます。ご返事忘れずにお願いします。それにしても,病気を抱えておられる方が増えましたね。超高齢の年代に入ったので仕方ないのでしょうか。

Commented by 精島
江田島の教育参考館に今年も献花してまいりました。

Commented by 伊藤

昭和19年10月25日,わがクラスメイトが一番沢山戦死した日ですね。そして貴君の伯父精嶋勝義君が筑摩で戦死された日ですね。ご冥福を祈ります



10月24日
HPビルダー12(バージョンアップ版)が12月発売される。本日予約申し込みました。

金枝健三君から近況頂きました。トテモ助かります。

土原さんから先日の藤瀬韶国君の描いた駆逐艦巻波の画はそらく巻波で兄上が戦死された久田幸正さまが出されて掲載されたのではと言ってこられました。藤瀬君の絵は方々で大活躍ですね。

小西愛明君から,さきに頂いた「ああ江田島」の校正と家内の自分史の感想を送っていただきました。

海軍兵学校連合クラス会の年末懇親会の案内を頂いた。
1 日時 平成19年11月28日(水)1200−1500
2 場所 グランドヒル市ヶ谷
3 会費 7000円
案内の葉書が来ていないが参加されたい方は都竹卓郎君に連絡してください。


10月22日
峯一央氏(73期の令息)から小灘君に捧げた池田武邦君の弔辞を彼のHPに掲載したいので池田君の了解を賜わりたいと頼まれました。要旨をFAXで池田君の送ったところ,直ぐ電話で了解を貰い,その旨,峯氏に伝えました。

昨日山田穰君の投稿の訂正も同様FAXで送り,これも直ぐに了承の電話をいただきました。耳の悪くなった会員が多くなったのでFAXはトテモ有効です。会員には,パソコンは行わなくてもFAXは是非利用できるようにして欲しいものです。

左近允尚敏君からニュースで使用している生存者という言葉,違和感があるので,次のように変更してはどうかとの提案がりました。現在のなにわ会には会則が無いのでなんともいえませんが,彼の提案は次ぎの(  )内のとおりです。生存者(会員), 戦没者(戦死者)。
そして,会員を会員,会友,遺族会員,有志会員にわけてはどうかという提案です。
ご意見のある方お知らせ下さい。

パインなにわ会に毎回参加していただいている應蘭芳さんと歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが掃海母艦うらが,護衛艦しらゆき,潜水艦やえしおを訪問したことが朝雲新聞に掲載されていたと教えてくれた。これは横須賀中学,高校卒業生の自衛隊勤務者の集りで左近允尚敏君が横須賀総監の荒川海将に提案して実現したものである。なお,現在の統幕長斉藤海将(72期角田慶輝君の娘婿)も横須賀高校の卒業生です。
同じく左近允尚敏君から防大1期生卒業50周年記念誌に寄稿された文を頂きました。


10月22日
岩本夫人から写真を送ってもらい,山田穰君の投稿の冒頭にいれました。また2箇所訂正の申し入れがあり訂正して山田穰君の了解をとりました。

和田先輩の政局放談125号を上野三郎君から受け取りました。早速HPに取り込みましたが,今回は泉五郎君からHPよりブログのほうが多くの人の眼に入るのではないかとの意見があり,HPに取り込んだ後ブログにも入れてみました。
次回からはどちらか一方にしたいと思います。ご意見いただければ幸いです。

阿久根君からメールで近況をいただきました。有り難いです。います。

故宮林久夫君の姉君土原様から『金沢市遺族連合会編纂の『あの日 あの時ー悲しみを乗り越えてー』を送って頂きました。その中に土原さんの俳句が16句掲載されています。そのうち半数はなにわ会ニュース97号68頁に掲載されています
また冒頭のほうに写真集があり,藤瀬韶国君が画いた駆逐艦巻波の画が掲載されています。


二十一世紀まで生きられて」を読ませて頂いて(深井紳一)

伊藤節子様の自伝「二十一世紀まで生きられて」拝読させて頂きました。軍人が命がけで戦っていた事は皆知っていますが、民間人がどれだけ過酷な生活を強いられてきたか映像を観るかのように知る事ができました。本当に波乱万丈の歴史を刻んでこられたのですね。
特に印象に残るのはそれこそ、天国から地獄のような境遇の変化にもくじけず、前向きに考えられる節子様の人生に対する積極性、鷹揚さです。「私は『お使いーは、自転車ーで、気ー軽に行きましょう〜』の歌を女優の原節子さんになりきって歌いながら、田舎道も遠いと思わなくなり、楽しい毎日でした」・・・逆境でもとても朗らかなのに驚かされます。この様な天性のご性格が正敬様を支えてこられたのかもしれないと思いました。また、空襲後のご邸宅から桐の木や金属、池の鯉などを持ち出されてしまった話を読むと、日本人がそんな事をしたのかと思いましたが「衣食足りて礼節を知る」という事なのだなと理解しました。大学の時、野坂昭如の「ホタルの墓」の事をレポートにして出したらアメリカ人の先生が英語版があれば是非読んでみたいと言っていましたが、戦略爆撃機が高高度から爆弾を雨の様に降らせた下で何が起こっていたのか記録を残しておく事はとても大切だと思います。
私の父は横須賀にいたので、空襲の話を聞いた事がありませんでした。アメリカは占領してから利用するつもりで空襲しなかったのでしょうか。父から聞かされたのは、空襲に備えての強制疎開で特攻した深井良が生まれ、女手ひとつで切り盛りしてきた愛着のある砂糖問屋「川嶋商店」の地所を立ち退かされたので、母は将来買い戻そうと希望していたのに終戦と同時に朝鮮系の傍若無人な無法者が不法占有してしまい、失望し、残念がっていたという事です。その場所は現在パチンコ店だそうです。
正敬様も海上自衛隊に戻るまで、サイダー工場で不満も漏らさず働かれた事は本当に男らしい事だったと尊敬致します。節子様もご趣味を生かした国際親善にますますご活躍下さい。
                         


日記10月20日
73期峯眞佐雄氏の子息一央氏作製のHP『殉国の碑』に小灘利春君の残した資料が見事に整理されて掲載されている。その中に回天で亡くなった石川誠三,柿崎 実,川久保輝夫,久住 宏,橋口 寛君,福島誠二,吉本健太郎の記事をなにわ会のHPにリンクさせた。

海軍兵学校連合クラス会からの連絡で,各クラスの会で発行した会報や冊子を海上自衛隊幹部候補生学校の送り,保存する事になった。72期としては次の15冊を本日送付した。なにわ会ニュース88号から97号 10冊  15年発行の名簿  戦没者名簿
なにわ会ニュース索引表 同その2 27年,29年の会誌


日記10月19日
年末クラス会の案内状の往復はがきの印刷代46,870円を高田俊彦君から振り込んでいただき,印刷屋に送金しました。


日記10月18日

今日は佐世保中学同窓会のゴルフコンペに参加しました。前半41でよかったのでエイジシュートを達成出来ると思ったのですが、後半の5番ホールでバンカーに捕まってダボ、それからリズムが狂い,3バットの連続で50となりエイジシュートは夢と消えました。でもグロス91, HD19,ネット72でベスグロ順位は2位でした。上の写真は今日の参加者です。(写真 略)

岩本正枝様(修君の奥様)から写真を頂きました。山田穰君の思い出の記事のトップに入れます。

Commented by 上野三郎

左世保中同窓会のゴルフコンぺ
美女を侍らしての記念写真貫禄充分ですね、グロス91とは相変わらず立派ですね。敬服。小生何とか年内に120を切ろうと頑張っていますが、今日も兵庫県(武庫台カントリークラブ)でプレイし帰ったところです。(66,61)

Commented by 伊藤 正敬
コメント有り難うございました。年長のご夫人はこのクラブの社長をしておられた2期先輩(故人)の奥様,若い方はその娘さんです。



日記10月17日
久しぶりで他のクラスのHPを見てみました。その中で海軍機関学校同窓会の記事が充実しているのに驚きました。よくもあれだけ纏めたものと感服しました。是非皆さんも見て下さい。その中に上田敦君の「海軍機関学校の沿革」がありました。水交誌に掲載されたものですが,なにわ会HPにリンクさせました。また,海軍機関学校卒業生の名簿がありましたので,なにわ会HPのリンク集からリンクさせました。海軍機関学校卒業生を調べるのに便利だと思います。

70期の岩淵さん(昭和19年11月13日比島のマニラ湾キャビテ軍港で戦死)の甥の方からメールを頂きました。岩淵さんは艦務実習中八雲の航海士でおられた方でご存知の会員も多いでしょう。私の父の鶴見艦長時代の聖戦日記もなにわ会のブログもHPもよく御覧になっておられて吃驚しました。

印刷屋から先日の年末クラス会の案内状の往復はがきの請求書がきました。葉書代加えて44870円です。それに発送用ラベル用紙代と印刷費2000円加えて総計 46,870円を高田俊彦君に請求しました。


日記10月16日
この前ブログに書いた家内の自分史「二十一世紀まで生きられて・私の歩み」ですが,発送について色々トラブルがありましたが,ヤット全部あて先に到着したようです。そして多数の方から感想を頂きました。ななわ会会員及び関連の方からも貴重な感想をいただきました。自分史ですので,定価はありません。お読み頂いて感想を頂ければ,それが最高の喜びです。なにわ会の沢山の方からご連絡を頂いて読んで頂きましたが,見たいけれども遠慮しておられる方がおられましたらまだいくらか予備がございますのでご連絡お待ちしています。
次をクリック(開いて)して頂くと,目次と主な感想がでてきます。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/0-kojinn-jibunnsi2.html
是非御覧頂いて,少しでも興味を持たれたらご連絡ください。


10月15日
今日は泉五郎君,阿部克巳君から近況をメールで頂きました。
山根眞樹生君の近況を上野三郎君が打ち込んでメールで送ってくれました。
このように協力していただくとトテモ助かります。他の方も宜しくお願いします。

東條重道君からニュースの原稿をメールで頂きました。これも大変助かります。

東條重道君から近況をメールで頂いた。本当に助かります。

左近允尚敏君から昨日次の内容のメールを頂いた。(要旨)
「今日69期慰霊祭に行きました。 
1130受付1200昇殿参拝1230(少し遅れる)~1500懇親会(國会館)
遺族、親族67名、クラス10名、物故者遺族5名 計82名の参加予定。クラス実際には7名だった模様。
クラス健在なのに遺族が祭文を読むとは、と疑問視していたところ祭文を読まされる羽目になりました。」
68期は昨年幕締め,69期は『海軍兵学校69期家族会(通称69会)』をつくり,ご遺族の有志が世話役となり運営されている。


日記10月13日
71期の工藤淳一先輩 19・8・17 ・心不全で逝去

75期のHPに深井紳一氏の『第九銀河隊指揮官深井良』の紹介記事がある。

岩松重裕君から近況をメールでいただいた。トテモ助かります。出来るだけ多数の方の協力を願います。


日記10月12日
8月に亡くなった岩本 修君を偲んでという寄稿を山田 穰君から頂いた。山田君は病気もちながら,当日は弔辞,今回は思い出も書いてくれて有り難うございました。


日記10月11日
京都の桂理平君から近況をメールでいただいた。ニュースの会員便りに極めて簡単に取り込めて助かります。

次の件について,樋口直君にメールして賛同を得ました。
『1 名簿発行の件,貴君の意見もあり,提案を撤回し,その代わり私の手元に最近の名簿を整備した。(パソコンで活用できるもの)
 2 連合クラス会担当の都竹卓郎君からの連絡で次のように処理したい。
  a 各クラスの図書や記録資料を幹部候補生学校に寄贈して永久保管してもらう。
     小生が『なにわ会ニュース』を引き受けてからのニュースは,まとめて送付する。『平成15年発行のなにわ会名簿』と『戦没者名簿』と『ニュース索引表』も送付する。
 3 中締め後の情報交換の主役はブログになると思う。充実させたい。
 4 今後の問題として,21年中締め,23年本締め。21年春の100号で『なにわ会ニュース』は終りにしたい。。
 5 中締め後は國神社の永代神楽祭と年1回の会員便りを発行し,その他の連絡,情報の配布はHPとブログによることにする。(会員便りの編集とブログは私が出来る間やらせていただきく。

Commented by 上野三郎
なにわ会の今後の集約の方向がだんだんと固まって行きますね、
頼りにしていますので宜しく。



日記10月10日
今日は経理の山之内素明君から近況のメールを頂いた。簡単に会員便りとして取り込めるので大助かりである。


なにわ会年末クラス会の返事の状況(投稿 上野 三郎)

10月9日現在の回答状況下記のとおりです。

科別   出席者 同伴者 欠席者
兵 科  13    3     12
機関科   2    1      2
主計科   2    0      0
 計    17    4     15
 
1枚だけ欠席のみの記載で氏名の記載のないのがありました。
Commented by伊藤 正敬

上野三郎さん 年末クラス会の参加返事の記入有り難うございました。 
ヤット数字揃えました。スペースが入ると難しいですね。


日記10月9日
先日大山裕正君の長男芳史氏から横浜に転居したむね通知をいただきました。HPの名簿変更に掲載しました。
最近は会員ご自身はパソコンをやられない方もご子息やお孫さんがパソコンをされる方が多いと思います。またパソコンをされなくても,携帯電話でメールされる方も多くなってきたようです。住所変更や近況等,一つメールで何とか送っていただけるようお願いします。
次にブログについてお願いがあります。上野三郎君がコメントを書き込んでくれました。そこにあるように,74期の談話室というブログは書き込む方が多くてトテモ盛況で羨ましく思ってみています。なにわ会のブログを会員の協力で大いに育ててもらいたいとおもいます。中締め後の情報伝達の中心になると考えています。

       お願い    ブログを活用してください。
新しく書き込むには
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右上の方(靖国神社の写真の上)ログインをクリック
左上のログインの画面のエキサイトIDのところに naniwa-navy を半角小文字で入れる。パスワードのところに例の6数字を入れる。
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出てきた画面の右上の投稿をクリックする。
カテゴリーの欄の矢印をクリックして適当なものを選ぶ。
タイトルを記入する。
内容の下の空欄に文章を記入する。
記入が終ったら一番下の送信をクリックしてください。

コメントを記入するのは簡単です。記事の下のcomments(0)をクリックすると記入できるようになるので記入すればいい。

是非多数の方ご記入をお願いします。一度74期の談話室を見て下さい。http://kouyoukai.exblog.jp/


日記10月8日
高田君(経)から年末クラス会の近況をメールでいただきました。即時会員便りに入れました。それこそ瞬時に終わりました。最近は若い人は殆んどお携帯でメール交換をしていますね。クラスメートで携帯を嗜む人も増えてきたと思います。近況は是非パソコンか携帯からメールでいただきたいものです。


日記10月7日
先日逝去した岩本修君の奥様から会葬と供花の礼が年度幹事上野三郎君のところに寸志を添えてきました。修君は健康な人でしたが八十才前後から心房細動悪く、昨年大腸ガン手術、肺炎と病気には勝てず、本人も残念であったことと思うと書いてありました。

京都の山本省吾君が年末クラス会の返事の近況を早速送ってくれました。その中に,HPに取り込み整理された大部分の貴重な記録が、殆どの生存会員の目に入らないのは極めて残念で,会誌100号を特別記念号として残った予算を使って増ページとし、取り入れたらどうかと提案されました。また,100号を機に、今から、まだ掲載されてない人たちに参加を呼びかけるのも良いと思うと書いてありました。
このようにメールで頂くと大助かりです。パソコンでメール送れない方は携帯電話のメールで私のパソコンに送って下さい。ご協力お願いします。

前列中央 上野三郎 その右 安藤昌彦(写真略)
74期の談話室に第16分隊会の記事と写真が掲載されています。
記事は次のとおりです。
『恒例の第16分隊会を10月5日12:00より東京市ヶ谷のグランドヒル市ヶ谷で開催した。 先ず昨年度分隊会以降の物故者坂本二郎君他の霊に黙祷を捧げ、上野伍長の挨拶があり、懇談に入った。安藤氏(72期水偵操縦)のインドネシアに於ける終戦の裏話等、終戦時、戦後の話題の華が尽きず、あっという間の2時間であった。来年も全員参加を誓って、14:00散会した。』
この談話室は盛況で何時も羨ましく拝見しています。

Commented by 上野三郎
早速72期のブログに掲載感謝
74期の談話室を開いてみると記事に対するコメントが多く、よく機能していることが窺える、私も出来るだけコメントを入れるようにしたい。

Commented by 伊藤 正敬
上野三郎さん コメント有り難うございました。その通り,74期の談話室は書き込む人は多いし,そこにコメントもよく入るし,なかなか盛況です。クラス会中締め後のクラスの重要な情報伝達手段になると思いますので多いに活用してください。


日記10月6日
和田先輩の政局放談124号をHPに取り込みました。

パソコン用名簿完成しました。平成10年発行の名簿からその後の市町村合併が随分あり訂正が多いのでHPの名簿訂正に掲載しました。これらは98号に掲載します。

Commented by金曜の寒梅(購読会員)
 和田さんはお幾つになられるのでしょうか。ぶれのない文章と裏打ちされた教養に頭が下がります。よって立つところは私とは多少異なるようですが。立派な文章であると思います。私も社会科学系の出身ですから、常に学者の論文に接していますが。比較しても群を抜いています。また、文章に艶があります。日々精進しておられると言う印象を受けました

Commented by 伊藤 正敬
和田さんはもう90歳になられると思います。実に頭が切れるすばらしいかたです。何時もコメント有り難うございます。

Commented by 上野三朗
和田さんの論文を読んでおられる人の幅広いのには感激ですね、高く評価されていることも同慶の至りですね。私も頑張りたいと思います。

Commented by 伊藤 正敬
和田さんの論文は,和田さんから上野三郎君に送られて,上野三郎君がパソコンに打ち込み私の所にメールで送ってきます。私は,それをコピーしてメモ帖経由HPビルダーに貼り付けるだけです。私の労力はほんのわずか,上野三郎君の打ち込み大変な事を紹介しておきます。この論文,会員以外にも随分愛読者がおられます。


日記10月4日
年末クラス会の案内の葉書,昨日発送しました。もう殆んどの方に到着していると思います。多数の会員の参加を期待しています。

小西愛明君から「あゝ江田島」という古い大映の映画をテレビで見たとその感想を寄稿して頂いた。
その中に次の3点がj事実と異なると書いてあった。
1 昭和17年12月,74期の入校式が千代田艦橋の前で行われ,配属されたのが203分隊だった。
(74期の入校式は大講堂で行われ,その時の分隊は64分隊までで203分隊はなかった。)
2 その晩,姓名申告の大嵐で,一号が早速三号に鉄拳数発を加えている。桂君にも聞いて確かめたが,それはなかったのではないかと思うが如何。
 (恐らく最初の姓名申告の時,鉄拳を振るった話は聞いたことがないがもしあれば教えてください。。)
3 72期の卒業式も千代田艦橋前で行なわれた。しかも,冬服姿で昭和18年3月頃の設定である。
(卒業式は大講堂で行なわれ,昭和18年9月15日夏制服で卒業した。)

家内(伊藤節子)の自分史を読んでクラス関係の次の方から感想を頂き,喜んでいます。
クラスの上野三郎君,左近允尚敏君,都竹卓郎君,泉五郎君,旭輝雄君,窪添龍輝君
ご家族・ご遺族の品川夫人,小灘夫人,藤井夫人,春日様,横川康春様,
購読会員の峯一央様,二階堂様,高橋庸一郎様,後藤玲子様,田島明朗様,

写真が沢山綺麗に入っていて,読みやすく,よくもあれだけの記録が残っていたものだとお褒めの言葉を多く頂き感激しています。まだ,余分がありますので,少しでも沢山の方,そして戦争を知らない子供,孫の方に読んで貰いたいと思っています。どうぞ遠慮なくお申し出下さい。


日記10月2日
74期の会報338号(10月1日)を頂きました。その中に「江鷹会HPの完成について」と題してHPの紹介がありました。HPの内容の紹介もありました。74期はHPを印刷して会員に配布するそうです。約100頁。

今年の海軍兵学校連合クラス会年末懇親会は11月28日(水)1200からのよていです。場所はグランドヒル市ヶ谷です。

日記10月1日
なにわ会ニュース97号の請求書がきました。検討して会計の窪添龍輝君に送りました。
印刷代    428,220円
発送手数料   30,600円
発送費     38,975円
計        497,795円
消費税      24,889円
総計      522,684円
発送費は佐川急便は安いです。郵便局なら510部で107,100円かかりますが,日数がかかる欠点があります。その点,クロネコヤマトなら1冊80円で佐川より少し高いけれども3日で到着しますので,次号から変更しようと思っています。

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