TOPへ    物故目次

平成22年5月11日 校正すみ

辻岡君を偲んで

山田 良彦

オーイ!辻岡「ナンジャイ!貴様カ!」の豪快な返事が何時も、 それももう聞けなくなった。

12月3日、故加藤孝二君の奥さんから「辻岡さんの息子さんから父が亡くなったが72期には誰に連絡したら良いでしょうかとの話、小生の名前を伝えて置きましたので」とのこと。余りにも急なことに吃驚、早速伊藤君や日頃湘南で集まっていた仲間に連絡した。

彼はだいぶ以前に奥さんを亡くし一人住まい、会うたびに「大丈夫か?」と声をかけると「家事万端一人でこなすには結構体を使う。大丈夫だ」と、弱気を見せない返事が返って来るのが常だったが!

ここ3〜4年位前からヘルペスに悩まされて困っている旨訴えていた。一人で本当に辛かっただろう。

1029日加藤君の7回忌の際、彼の主治医だった大渕先生に真剣に病状を訴え相談していた姿が眼に浮かぶ。

その後最新の癌発見器「ペットCT」を設置している藤沢市民病院の友人宛、紹介状を書いて頂き、態々彼の自宅まで先生が届けて下さったとのことである。

彼はそれで市民病院に行っていたのではないかと思うが、12月1日自宅の外の階段で転倒している処を発見され、結局急性心不全、大腸癌出血で12月3日この世を去ったとのことである。

想えば加藤の7回忌で例によって皆で昔の歌を元気に歌った最後に、彼が「陸軍にもイイ歌があるんだぞ」と言って「徐州徐州と人馬は進む・・・」と例の曲を一人で歌った。滅多に聞いたことの無い彼の一人歌、最後の歌だったのだろう。

また、その夜「連絡網で貴様の子になったからよろしくな」が最後の会話。

彼とは江田島・戦時中を通じ余り縁が無かったが、外目にも豪快な奴がいるなあと思っていた。

豪放(らい)落な姿勢,話し振り、そして何よりの酒豪。その裏に何ともいえぬ優しさを持った本当にヨカ男だったと思う。

戦時中はポナペ島の警備隊の幹部として最後迄残っていたようであったが、「アメチヤンは飛行機も船もトラックからパラオへ、ポナペは素通り、戦争らしい思い出は少ない」と言っていたのを思い出す。

彼とは、小生が茅ヶ崎に住むようになってからの近所付き合い、何かにつけよく飲んだ。お互い酒に強く、大声で話もしたし、時には言い合いしたことも間々あった。ゴルフにマージヤンに旅行に、思い出は尽きない、楽しく愉快な友を失った。

告別式で軍艦旗を棺にかけクラスの皆で担いで送った。

同じ様にして送られた先に逝った連中と今頃元気に話しあっていることだろう。

何れにしてもそう永くない間に又会えると思う。その節は宜しくな !

ご冥福をお祈り致します。

(なにわ会ニュース96号41頁 平成19年3月掲載)

TOPへ    物故目次