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平成22年5月8日 校正すみ

高崎 慎哉君を偲んで

伊藤 正敬

4月2日高崎慎哉君が亡くなった。高崎との出会いは昭和15年11月兵学校入校前のクラブであった。当時私は体重55キロ、胸囲77センチ(合格の最小基準が77センチ)であり、彼は当時から隆々とした体格で威圧を感じたものである。あの四号、三号時代の1年間を同じ45分隊で苦楽をともにしたものである。彼は中学時代に既に剣道3段であったこと、あの大きな身体のため、起床動作で苦労していたことも思い出す。卒業後海軍時代は会うことがなかった。そしてともに海上自衛隊に入隊して同一配置にはならなかったが、彼は海上幕僚監部能率班長として事務の電算化に多大の功績を残した。また、彼の立派な体型は第一術科学校の絵務課長のとき新しく着任した術科学校長のお供をして江田島町長に挨拶に行ったら、町役場の人が彼を校長と間違えたというエピソードも聞いている。

自衛隊退職後はコンピューターの知識を生かして第二の人生を歩んだが、海軍をこよなく愛し72期、73期の両クラスと親しくつき合っていた。彼はゴルフが好きであったが決して上手とは言えなかった。湘南カントリーや厚木のコースでなにわ会のゴルフをするときは、私がお抱え運転手として彼の家まで送り迎えをした。その時いろいろと面白い話を聞かせてくれた。特に印象にあるのは大谷と高崎の漫才もどき話し合いであって、運転しながら話を聞くのに夢中になってハンドルをとられかかったこともある。また、彼は小便が近く湘南から彼の家まで1時間たらずがもたず、必ずどこかで一時停車したものである。

お通夜、告別式と本当に多数の海軍関係者が会葬したが、これは彼の人となりを偲ばせるものであろう。

謹んで高崎君のご冥福をお祈りします。

(なにわ会ニュース71号10頁 平成6年9月掲載)

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