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平成22年5月8日 校正すみ

高橋猛典君を偲ぶ会

山田 良彦

九月二十五日、浄智寺での墓参を逐次済ませた三十七名(御遺族五、クラス二八、ミセスなにわ四)が鎌倉の二楽荘に集った。

早いものであれから丸六年。年初、奥様から「七回忌の法要は母の回忌に併せ春に行う積りです。つきましては主人の命日に近い秋の彼岸の頃クラスで主人と縁の深かった方々と昼食でも御一緒させて頂き乍ら、色々思い出話を聞かせて頂けたら本当に幸せです」とのお話。早速クラスの主だった人々の「猛典君を偲ぶ会」という形で進めることへの賛同を得て、旬日後奥様に、皆賛同して呉れると思いますのでその線でとし、二楽荘で「偲ぶ会」として会食、すべて会費制とすることとし、案内状を出す等仰々しい事はせず、只々口コミ丈による等を相談した。小生も二〜三の会合で話した丈で後は流れの侭に。だが、猛典君の人柄次々と参加希望者が集り前述の通りとなった。黙祷、献杯、樋口君の一言の後打方始め。後は何の筋書も考えていなかったが、兎に角猛典君との思い出話を皆がして呉れて、遺族の方々に聞いて頂くことが何よりの供養であり、又この集りの趣旨であると考え、中山君を皮切りに一人宛マイクを回して貰った。皆、次々と、色々の思い出話を、気持を込めて話して呉れた。途中後藤(俊)君の歌、相沢、石井両宴会係士官の歌とおどりもあり、アルコールも手伝って席はすっかり盛り上り、時間が心配される程だった。

最後に、お嬢さんの父の思い出話、そして奥様の謝辞と、少しも途切れることなく無事終了した。

猛典君の人柄、そして彼と縁の深かった人々の暖かい心が、奥様始め御遺族の方々に伝わり、猛典先生も向うの方からきっと喜んでいて呉れたのではないかと思う。

飲む薬 呉れたる友は はや七回忌・

(なにわ会ニュース82号10頁 平成12年3月掲載)

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