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平成22年5月8日 校正すみ

脩 さ ん へ

山田 良彦

  「鈴木君……」いや矢張り「脩さん…脩さん…」と呼ばして頂きたい。「脩さん」が、我々の君に対する敬愛を込めた呼名であった。脩さんとは江田島で一号の折、同じ班で学業訓練を何時も一緒にしていた。何時もスカットして(さわ)やかな好青年で同輩からも愛され、下級生からも慕われていた当時の様子が今でも眼に浮ぶ想い。

卒業後、君は潜水艦、僕は飛行機で一緒になる機会は全く無かったが、戦後落着いてからクラスの会合の度に、何かにつけ話す機会が得られた。度重なるにつけ成程「心正而后身脩」という古語ぴったりの、高潔にして、私心(すく)なく、徒に(おご)らず、高ぶらず、周囲に心を配る君の姿に遠くから()敬の念を持していた次第です。

これが戦後、千葉の各界の名士としてその名を(とどろ)かされた所以であったのだろうと拝察していました。

また、千葉では泉君と共にクラスのゴルフ会C・G・Cのお世話を頂き本当に有り難うございました。あの折りは小生も茅ヶ崎から車で毎回喜び勇んでかけつけ、(さかずき)を傾けて歓談させて頂いたこと昨日の様に思えます。

更に感服したことは第一線を退かれた後、(しん)灸の道を学ばれ、幾多の困った人々への奉仕の道を歩まれたこと、只々敬服の言葉もありませんでした。

近年体調を崩されて居られた由でしたが、何れまたその内にという想いもかなわず永の別れとなったこと、何と申し上げてよいか言葉もありません。

そう長くない内にそちらでまたお眼にかかれることと思います。その際には「脩さん」と呼ばせて貰いますので、どうか待っていて下さい。御冥福をお祈り申し上げます。

 

(編集部)

 クラスのゴルフ会C・G・C初代ケップガンは鈴木脩君であった。これは、昭和411126日に行なわれた準備大会での優勝に起因している。そして、第1回大会が昭和42年3月15日千葉パブリックコースで行なわれ、その報告記事を鈴木脩君が、バイパスニュース11号に書いている。当日の参加者はクラス20名、ゲスト(他のクラス)30名計50名で盛大に行なわれた。

 それから、32年後の平成11年に行なわれた第60回大会までほとんど毎年2回行なわれてきたC・G・Cの始まりであり、泉五郎君と共にゴルフを通じてなにわ会に貢献してくれた。同時に名簿係として市瀬文人君から引き継いでから病に倒れるまで尽力してくれた。その労を多とし、ご冥福を祈る。

(なにわ会ニュース96号11頁 平成19年3月掲載)

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