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平成22年5月8日 校正すみ

清水憲太郎君の思い出

伊中 四郎

伊吹から第一報を聞いた時、思わず絶句してしまった。1カ月前、東京在住の中学同窓会で元気な消息を聞いたばかりで、突然の訃報はにわかに信じられなかった。

清水との出会いは鳥取一中入学の時であった。彼の生家は鳥取砂丘の傍ら、日本海に面した風光明媚な町にあった。海辺で育った彼は水泳部員としても活躍していたが、その他の面でも真面目な努力家であり、学年を追うに従ってクラスの注目を浴びるようになった。

海軍兵学校入校前、鳥取一中からの合格者がさそい合って、山陰海岸国立公園を散策したことがあった。海を眺めながら海軍への決意を静かに力強く語った彼の姿が、訃報と共に脳裡によみがえっきた。

兵学校、艦爆時代の思い出はその頃の同室の者にゆずるとして、小生にとっては終戦後のことが印象深い。海釣りのついでに彼の家を訪れ泊めてもらったことがあった。人一倍親孝行であった彼は、家業の農業を継いでいて、将来の抱負を熱っぽく語ってくれた。果物作りの話、農地改良のこと等、農業に無縁な小生にも、前動続行的経営を打破し、前向きで改革に取組もうとする意気込みがひしひしと感ぜられた。

30年前小生が自衛隊に入る時、「俺は農業で頑張るんだ」と言った彼とは、その後会う機会も少なかったが、砂丘に近い農地で、悪戦苦闘を乗り切って、着々と成果を上げているのを風の便りに聞いて、海軍魂をそのまま持ち続けて張り切っている姿を思い浮べていた。

私事で恐縮であるが、小生昨年12月航空自衛隊を退官、転居、住所連絡が不十分であったため、計報に接したのは葬儀も終った後であった。追って小生の母からの手紙には「自国でとれたイチゴなど持ってきて戴いた清水さんが‥‥‥」と人間味豊かな人となりが書かれてあった。親孝行、頑張り屋、温かい人柄等、彼の面影が幾重にも浮んできて、熱いものがこみ上げてきた。中学時代、海軍時代、戦後を通じ彼は一貫して誠実であり、努力家であり、また若い時の純粋さをそのまま持ち続けて人生を閉じたような気がしてならない。

それにしても、働き盛りの大黒柱を突然失われたご遺族のご心中はいかばかりかと申し上げる言葉もない。慎んで哀悼の意を表すると共に、ご長男の融君が父君の分まで頑張ってくれることを期待してやまない。

清水憲太郎君の霊よ、安らかに眠られんことを祈る。

(なにわ会ニュース44号40頁 昭和56年3月掲載)

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