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佐藤謙君への弔辞

室井 正

 故佐藤 謙君へ

 佐藤君、二十九日夜、村山、斉藤から貴兄の訃報を受け、直ちに森川、椎野と話をした。特に森川の嘆き、言うべき言葉を失いました。

 思えば君に最後に会ったのは平成十一年十月の級会、新潟・山形旅行の時で、幹事として級友二+名の世話をしてくれた時の事、元気一杯に資料を集め、克明に亀岡、羽黒山、山形の名所を案内してくれた.特に、鶴岡の致道博物館の見学に際してはその博識ぶりを発揮、得意げに説明してくれていたその顔が目に浮んで来るのです。

 我々は昭和十五年十二月一日、海軍機関学校に第五十三期生徒として入校、翌年十二月には太平洋戦争に突入という事で繰り上げ卒業となり、昭和十八年九月十五日卒葉、直ちに激戦の最中に配属されたわけである.

 卒業した級友百十一名、その内三十一名が水上艦艇に、三十名が航空成美に、二十五名が潜水艦乗組、二十名が航空機パイロット、五名が兵器整備へと各専門の配置に就いたわ

けだが、貴兄は特に潜水艦配置に就き海軍潜水学校第十一期普通科学生十五名の一員となりました。

 貴兄との切なる思い出は、昭和十七年十二月一日、最上級生の一号に生徒に進級し、分隊編成の結果、貴兄は第十三分隊へ、私は第十六分隊へ、共に第二生徒館で、あと九ケ月で来るべき戦場への思いを抱きながら朝な夕な将来の夢や希望、覚悟を語り合う事が出来たわけで、卒業までの毎日が思い出されてなりません。我等の青春の日々でした。

意気揚々と卒業し、直ちに第一線に配属になって行きました。貴兄は先ず巡洋艦竜田、戦艦山域に乗り組み、昭和十九年始め潜水学校普通科学生となる。

 十九年七月卒業と同時に潜水艦乗組みとして活躍する事となるのであるが、特に第十一期学生は、命令の下る所激戦の最中に身を投じ、五名は人間魚雷といわれる回天で戦死、

貴兄は最新鋭のイ三十六号、ロ五十号に乗り組み最前繚と呉の潜水艦基地との間を往復、時々級会に見せる青白い顔、激戦に次ぐ激戦に参戦して来たわけで、本当によくも生き残って来たものである。

 戦い済んで残ったのは森川、佐原と貴兄の三人、森川と昨夜つくづくと話したが、思い出多き第十一期の学生であった.

 戦争が済んだ後は、ブリキのような薄い鉄板で建造されたのではないかと思われるお粗末な海防艦で、乏しい食糧と荒れ狂う東支那海の波浪に翻弄されながら中国や台湾に残された復員者の輸送に二年もの間従事し、その後紆余曲折色々あったが、苦しい生活の中で通信教育に励み、教員免許を取得、中学校教師となり、日本再生の為の使命感に生き、郷土山形の為にも、又、湯殿山の回天慰霊碑の建立や庄内出身の海軍士官で戦死された方々の系譜の発刊にかかわり、全身全霊、懸命に生きて来た姿は山形生れの温厚で篤実な男、貴兄なのである。

 あれから既に五十七年が経ちました。戦争で逝った者五十七名、戦後同じ席に加わった者・貴兄を含めて二十二名、残り三十二名になってしまったが、近いうちにはその席に加

わって行く事になるでしょう。盛大な全員集合の級会を期して待っていて下さい。

 本日、遂に貴兄を見送る事になってしまいました.寂しさは例えようもありません。改めて切にご冥福をお祈や申し上げます。

 残されたご遺族の無念を思うと心が痛みます。どうか天国に在って将来を見守って上げて下さい。

 佐藤君 「さようなら」

 平成十三年五月三十一日

海軍機関学校第五十三期代表 室井 正

なにわ会ニュー85号ス18頁 平成13年9月


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