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佐藤 謙兄の葬儀に参列して

材山 隆

 五月三〇日(水)、室井君とともに山形新幹線新庄経由、庄内平野の中心に位置する陸羽西線余目駅に一六五三着。駅前でタクシーを拾い、佐藤君が奉職していた余目中学校の横を通って葬儀会場に着く。

 温厚、誠実、心優しい佐藤君の遺影と対面、ご霊前に線香を手向け、しばし瞑目、ご冥福をお祈りする。

 『奉呈 軍艦旗一流 荘内ネイピイガンルーム会』と墨書した封筒が供えられていた。軍艦旗を封筒から取り出し、室井君と棺に軍艦旗をかける。

佐藤君は二十一日朝八時頃、「胸が少し苦しいなあ、近所の医者に診て貰おうか」と気軽に玄関で手を振りながら長女明子さんの運転する車で、百米程離れた医院に向い、診察室まで独りで歩いて行き、医師の診断を受けている最中、突然体がぐらっと傾き、急ぎ救急車の手配がなされた。救急車内で応急処置、救急隊員から心臓が止まっていると告げられ、救急病院で蘇生のための治療が施されたが、植物人間の状態で、意識が戻ることもなく、二十九日朝四時過ぎ息を引き取ったとのことである。無情という外ない。

 夜半から降り出した雨は朝方一旦止んでいたが、葬儀の始まる十一時頃から生憎と又、降り始める.雨にもかかわらずご会葬の方々が続々とお詣りに来られ、広い会場は収容しきれず廊下にまで溢れ、生花や花輪が、特に佐藤君の教え子達のものが多く、会場の内外を埋め尽しいる。

 前日鶴岡に泊まった佐丸君は既に会場に到着していた。安藤君が早朝東京を発ち、葬儀会場に駆けつけた。

三十一日一一〇〇、導師曹洞宗 護寺住職の読経、弔辞「余目町助役、山形県校長会、山形県退職公務員連盟、佐藤君の教え子、荘内ネイビイガンルーム会、海軍機関学校同期生安藤 満、同室井 正」と多くの方々の弔辞が奉呈され、佐藤君の生涯にわたるいろいろの業績やエビソートが語られた。

 室井君の号令で、安藤、佐丸、村山に、荘内ネイビイガンルーム会の諸兄十数名が霊前に整列、機関学校校歌を声高らかに斉唱した。

 弔電披露、焼香、最後のお別れ、軍艦旗に覆われた棺は葬送曲『固の鎮め』が流れる中、会葬者に見送られ、一二三〇会場を出発、安藤、佐丸、室井、村山が火葬場へお供した。

 佐藤君が住み慣れた自宅前を通り、余目町立余目火葬場まで約二〇分.一三〇〇、最後のお別れをし、茶毘に付された。一時降り止んでいた雨が又、激しく降り出した。一六〇一余目駅を離れ帰途に着いた。

なにわ会ニュース85号17頁 平成13年9月
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