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平成22年5月7日 校正すみ

猿田 松男君への弔辞

溝井  

本日、猿田松男君の告別式に臨み、謹んで君が霊柩の前にぬかずきお別れの辞を述べさせていただきます。

顧みますに、君との出会いは昭和15年12月1日海軍兵学校生徒の72期同期生、しかも同分隊の友として文字どおり起居を同じくし、苦楽を共にして3年間を過したことに始まりました。ある時は相携えて古鷹山に登り、江田島湾内での遠泳訓練に、カッター競技に、また、瀬戸内海の巡航にと君との思い出は数々尽きぬものがあります。

 

兵学校卒業後は、当時数少ない航空兵器学生として奇しくもまた同しく洲崎海軍航空隊の一隅で寝食を共にし、日夜航空兵器の研鎖に励むことになりました。

その後、君は実戦部隊に配属され、年若き兵器分隊長として大いに活躍をされ、遂に終戦を迎えることになったわけです。

戦後の混乱期、多難の時代においてわれわれ旧軍人のおかれた環境は決して安穏としたものではなく、特に君は並々ならぬご苦労をされながらも愚痴一つこぼさず、常にあの柔和な微笑を湛えつつ、兵器学生時代から一貫して科学技術に対する旺盛な研究心と若々しく卓越した創意を持ち続けておられたことは実に驚嘆に値し、私どもは日頃より敬服の念を抱いておりましたところであります。

そのことは後日、日本航空電子工業株式会社の要職に就かれて実を結び、同社のため、また、斯業界のため多大の貢献をなされたものと確信致しております。

君とは戦後全く異なる道を歩みながらも、江田島と洲ノ崎で培われた友情は殊のほか深く折にふれてはあいまみえ語り合うことを何よりの楽しみにしていた間柄でありました。

 

猿田君、君は此処に居られる最愛のご家族とわれら生涯の友を後にして何故にかくも急いで、しかも、忽然として黄泉の旅に発たれてしまわれたのですか。いかに人の世の習いとは申せ、何とも哀惜の情に堪えられません。

今はただ安らかなど冥福をお祈り申し上げるばかりです。

平成4年2月8日

なにわ会代表 溝井 

(なにわ会ニュース67号11頁 平成4年9月掲載)

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