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平成22年5月11日 校正すみ

中西健造君の急逝を悼む 

加藤 種男

 刎頚(ふんけい)の友」中西健造君の訃報を11月13日早朝(0830頃)夫人より知らされ、生前計画していた見舞にも行けなかったのは残念であった。

11時過ぎ、能登川の自宅に参上、生前と変わらぬ面影に面会、涙が出るのが止まらなかった。彼とのことが、走馬灯のように頭の中をよぎった。

先回、関西なにわ会の幹事のときは、すでに大変な状態ではなかったのか。彼はそういう男だ。

彼との付き合いの数々は、

@ 海軍時代の343空 戦闘301飛行隊勤務の約3ケ月

A 終戦時の源田司令の皇統護持作戦の宮内省勤務時代

B 源田司令の空幕長より参議院出馬の選挙活動時代

C 下野して栗田工業関連の三原汽缶常務時代であり、

すべては、小生と深いかかわりの下に必死に活動したことである。

また、家庭にては長男として、家長として因習の深い滋賀郷土とのとの係わり合いについては、多くを語らず、自己を律した孤軍奮闘に耐えた彼であった。

 最後に彼の真骨頂として、感激のことは告別式のことである。

 式終了後、葬送の儀としてご遺族立礼の場にて、喪主中西夫人(挨拶)和弘氏に並び孫長女真理嬢 航空自衛官制服にて遺影捧持孫長男和泉君 楽器(ソロホン)にて

「海ゆかば」を吹奏

その場の(りん)然とした雰囲気(ふんいき)は、一段と厳粛さを増したことであった。

 さる昭和51年3月25日、中西君の指名により縁あって和弘君、夫人典子さんの結婚の仲人を命ぜられ、彼の私的な姿に比較的多く立ち会う機会があり、その度に、彼の真面目さ、また、周囲や両親様への気配り等を知りつつ、子弟の教育は身をもって行い、その成果が今日現れたものと痛感した。孫娘真理さんの大学卒業後航空自衛隊入隊については一言も耳にしたことなく、彼は身をもって家族に接し、彼の背中を見て育った孫さん達の素晴らしさに、小生の最高の感銘を受けたことを報告する次第である。

(なにわ会ニュース90号13頁 平成16年3月掲載)

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