昭和59年3月寄稿
宮原 健児君
小林 貞彦
58・10・2逝去
故宮原健児君の弔意について、大阪の河口、伊吹両氏のアドバイスもあり、今回兵器学生出身ということで京都の山本省吾氏と10月28日故宮原宅を訪問したが、奥様がお勤めで不在、改めて、10月31日夜、お宅を訪問。故宮原君の御霊前と御遺族にクラスを代表して弔意と御香典をお供えして来ました。
奥様のお話しでは、10数年前より血栓症のため手足が不自由となり、近年はリューマチが心臓に来て衰弱、3ケ月の病院生活で一進一退を続け肺炎を併発、10月2日早朝死去されたとのことでした。
健康を害し不本意な晩年であったと思いますが、暖かい御家族の看護とお孫さんの顔を見たことに彼なりの満足もあったことと思います。
身体が悪かったため大阪でのクラス会への出席もなく、小生は昭和19年フィリッピン沖海戦で泳いで帰って来た彼と大分基地で話したのが最後で、数えて見ると40年振りでの幽明境を異にした対面となった次第です。
御遺族は奥様お一人で左記住所にお生活ですが、すぐ近くに嫁かれたお嬢様がおられ、奥様も勤めとお孫さんの世話で、お元気に過されておられる由です。
お勤め先が偶然にも小生の元の勤務先(日立造船)の子会社で、小生その会社の社長を知っておりますので、機会を得て、よろしく頼んでおきます。
住所‥(略) (編集部)
(なにわ会ニュース50号20頁 昭和59年3月掲載)