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平成22年5月14日 校正すみ

故巻石蔵君のお墓参り

矢田 次夫

梅雨時は霧もあり冷気もあるので、少し寒気に注意するようにいわれ、その用意をして6月21日、海上自衛隊の幹部OB会の八戸、大湊方面の研修に出かけた。

その八戸は、まだ記憶も新しいが、約4年前に遠くへ旅立った期友、巻石蔵君の故郷である。そこで私は、研修開始前の僅かな時間ではあったが、故人のご仏前とお墓に参らせてもらったのでその報告をする。

多喜子夫人と娘さんの一江様が自宅でお待ちになっていた。一江様は一人娘でありながら角浜素二郎先生(歯科)に嫁がれていて、多喜子夫人は目下一人暮らしの模様である。

  やがて、このご夫妻は巻家の跡を継がれるようであるが二男(小五、一)、一女(小三)の三人の子供さんは、多喜子夫人にとっては何とも可愛いお孫さんである。お部屋に飾られている大きな巻君の遺影は、私が防衛庁に在職中に、訪れてくれた当時の面影そのもの、実に躍動感に満ちた顔であった。彼は海軍を通じて得た不屈の精神と徹底した責任感をもって、私欲を離れて市政に没頭した末の過労死であったと聞き及んでいるが、往年の面目躍如たる面影であった。

 お墓(禅源寺)では、多喜子夫人のご弟妹、巻君の母方実家の方々等約10名の方がお待ち頂き、ご一緒にお参りされた。私は驚くやら感激やら、皆様にはご多用の中、大変ご迷惑をかける結果になったなと、痛く恐縮した次第であった。

 近頃、寄ると障ると耳にするのは、「俺はここが具合悪い」「俺はこうだ」というクラスメイトの声。古稀を迎えた我々としては至極当然の話題かもしれないと思う。今後は残された余生を、いかに健康を管理して全うするかということが命題かも知れない。ともあれ、巻君は少し早逝に過ぎた。しかし、私は寿命の長短がそのまま幸、不幸とは言えないとしみじみ思った。巻君のように、ご夫人を始め最愛の家族に日々慰霊されて、さらには親族を挙げてその遺徳を偲ばれる幸せな環境は、何ものにも勝る幸せであると思った。本当に幸せな巻君である。ご家族、ご親族の一層のご健勝とご多幸を念じ、故人の冥福を心からお祈りしながら巻家を辞した。

天候にも恵まれたが、極めて短時間の内に、順調にこのお参りができたのは、かつて自衛隊の幹部として勤務され、退職後は、巻君に対し、市中にあって秘書的な支援をされていた畝田謹次郎氏の、綿密なご計画と運行のご好意の賜物であり、ここに衷心より謝意を表し報告を終る。(平成5年6月21日)

(なにわ会ニュース69号44頁 平成5年9月掲載)

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