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加藤寿治先生に会うの記

        中村・元一

 去る二月下旬、横須賀において級友加藤寿治(としはる)君に会った。実に二十一年ぶりのことであるじ昨年近隣に住む押本直正君から、加藤寿治君が、やはり近くにある神奈川県立大津高校(旧、横須賀高女)の先生をしている由聞いていたので一度会いたいものと念じていたが、二十周年級会にもその婆を見出し得ず、がっかりした次第であった。

 二月下旬の夜、学校で教えて貰った東逸見の自宅を訪れた。元来横須賀の逸見あたりは山が多く、従って高台の人家が多いのであるが「加藤宅もその例に漏れない。

突然しかも夜分の訪問故、彼も驚いたらしいが、互に実に懐かしい、どちらも四十面を掲げでいるはずだが、約二十年前の江田島時代がクッキリと虹のように眼前に浮かぶ。

 彼とは二号時代、澤本倫生君等と三部で一緒だった。背が高いのでいつも家業整列では彼は先頭であった。柔道もよく彼とやった。昔と比較してその長身は変らないが横幅もうんと広くなり、堂々たる体躯、貫緑である。

 東北帝大理学部植物学科を卒業、以来教職にある由。現在生物を担当、本年度からは物理も講義する予定.とのこと。

 身体に似ぬしとやかさ?は昔のままで女子生徒間でもやさしいよい先生との評判らしい。二十年振りのこととて話も尽きぬままにビール等をご馳走になり、本日酔い機嫌で辞去した。今迄、級会の滴知が母堂と令弟宅に来て実際に知ったときは事済んだ後というわけで残念であったが、次回からは是非出席したいと張りきっていた。

 なお、学校では教務関係の仕事も受持も、更に運動の方ではソフトボールの監督等、大活躍のようである。

因みに、本年四月から、小生の長女が大津高校に入学することになり、加藤先生の薫陶も受けるわけで、いよいよ縁が深いと思う。

(バイパスニュース2号11頁 昭和39年9月掲載)

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