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平成22年5月5日 校正すみ

102空彩雲会と加藤孝二君

          飯野 伴七

 3年前の平成11年9月9日 102空彩雲会(70期市川妙水会長)と第一御楯隊(72期故大村謙次隊長)50名が靖国神社昇殿合同慰霊祭を行い、次いで48名がバス一台で湯ヶ原一泊、翌10日箱根神社参拝後小田原の鈴広蒲鉾(かまぼこ)博物館に立ち寄り帰京した。(飯野は御楯会で参加)

 加藤君は飛行学生で偵察を学び、卒業後偵察第3航空隊、偵察第707航空隊を経て、20年4月偵察102航空隊の飛行隊の飛行士として着任した。 若手士官の中心となり、長身、颯爽、軽妙な話し振りに、時にギャグを交え、周りに笑みが絶えず。市川隊長の信頼厚く、部下からも敬愛の念をもって迎えられた由である。業績的には当時の戦局から花々しい事は余り聞かないが、20年6月、新鋭機彩雲5機を台湾まで空輸するよう命ぜられ、その隊長として立派に役目を果たした。

 彩雲の高々度性能は良く、8,9千米の高空で、米グラマンと遭遇した時、スロットルを一杯に上げ、グーンと引き離して何事も無く帰隊した話を聞いた事があり、老練の隊員にはその体験がある由を伺った。

 彩雲会の古参会員から加藤君に関する話を聞こうとし、また、偵察飛行士としての活躍、戦果に結びつくような話を聞こうとしたが、一般概説より特徴のある話は聞けなかった。終戦から随分日時を経た今日、他隊の模様を調べる困難はやむを得ないだろう。

 今回の会合には加藤君の所へも勿論案内は届いていたが、当時療養中で、私も電話したが参加出来ず、昨年まで参加していた由、残念だった。

 会の企画運営は、102空分隊士73期岩永 宏が当り、大変進捗性ある司会で、加藤君の不参加にも触れ、病気の早期回復を祈り、大変残念がっていた。

 同じ海軍航空でも偵察、操縦、水上機その他細かく分かれるが、今回偵察の航空隊員に接して、その見識の高さ、細心の中に雄大な志向があるのに感じいった。それは脚の長さで、一回の飛行で1000哩も飛び、グラマンと遭遇すればグーンと引き離し、帰隊する豪快さが現れるのだろうと思った。

翌10日には箱根神社参拝後、小田原鈴広蒲鉾工場、博物館見学、食品工場の清潔、管理には驚きいった。昼食後再度バスにて帰京した。

(なにわ会ニュース86号55頁 平成14年3月掲載)

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