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平成22年5月3日 校正すみ

入江久憲君への弔辞

平田 隆一

謹んで、海軍大尉入江久憲君の御霊に申しあげます。

顧みますれば、君は昭和18年9月、海軍兵学校を卒業し、直ちに飛行学生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊されました。その後、飛行機乗りとしての技術修得に努め、翌19年7月、偵察専修学生の教程を修了し、海上護衛部隊に赴任、南支那海方面の基地を転戦し、輸送船団の護衛、敵潜水艦掃蕩作戦に、日夜、奮闘したものであります。

然れども、戦勢われに利あらず、ついに20年8月15日、終戦となりました。

復員後、廃墟と化した祖国日体の復興のため、福岡の西日本鉄道株式会社に入社されました。

当時の焼土のなかで、今日の経済復興ぶりを誰が予測しえたでありましょうか。そんななか、君は黙々と自己の当面の仕事を着実にこなしてゆかれました。そのひたむきで、たゆまざる努力が、今日の繁栄の基礎となったものと思います。

西日本鉄道株式会社退職のあと、君は日ごろから趣味とされました近代史研究や囲碁の勉強に精進され、ことに囲碁の実力は抜群の強さがありました。福岡地区海軍合同クラス会の囲碁会では、七段格としてトップの地位にあり、後輩の指導に当っておられました。そして、ほんの1カ月前までは、元気に碁を打っておられた君の姿をみておりますだけに、その余りにも早い急逝に、ただただ驚きと悲しみにうたれております。

君には、まだまだ長生きをしてもらいたかったと思いますが、無理だったのでしょうか。われわれの驚き、騒ぎをよそにみて「生者必滅 会者定離」これも天なり命なりと、はるか上天のかなたから、やさしく微笑みかける君の声が聞えてくるような気がしてなりません。

いまは、たゞ、心から君のご冥福をお祈りするのみです。どうか、やすらかにお眠り下さい。

平成6年7月30日

海軍兵学校72期福岡地区代表

平田 隆一

(なにわ会ニュース72号10頁 平成7年3月掲載

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