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89号

パインなにわ会によせて

藏元 正浩

四月十二日パインなにわ会が開催された。横須賀の桜の満開の時期は過ぎてはいたが、当日は昼過ぎから雨に見舞われてしまった。出席者のうち、最初から連続出席していた中山が都合悪く参加できなったとの連絡があり、また、今回初めて参加したという人もいたようで、十七名の出席となった。例年のように応接間で供せられた御茶で咽喉を潤し、雑談しながら開宴を待つ。

定刻頃になり、全員が揃ったところで、二階の大広間に移動し、左近允の挨拶で開宴、旭の音頭で乾杯、打ち方始め、手際の良いメイドのお酌やお互いのさしつさされつで、たちまち座は盛り上がっていった。乾杯の準備にビールを注ごうとすると、俺は美女の方がよいという声を聞いてこちらもそうしようと昔レスでエスに注がれるような気持ちで注いでもらう。

静岡県在住の旭から生の「さくらえび」の差し入れがあつた。「さくらえび」と言えば高価なものとの意識しかなかったが、料理人に上手に調理され美味しく頂いた。

座が盛り上がったところで、後藤俊夫の名調子「最上川舟唄」、相沢善三郎の「ラボール小唄」、「水師営の会見」、山田良彦の「別府音頭」、市瀬文人の「月が鏡であったなら」、「忘れないでね」、旭輝雄の「昭和維新のの歌」等硬軟合わせて歌われ、大いに盛り上がって行った。皆さんたいした芸人ぞろいである。

先日、木更津で亡くなつた長村正次郎の葬儀に参列した左近允から、長村夫人の「結婚して五十五年になりますが、′私は大変幸せでした。」という話が披露され、皆さんしんみりするとともに、誰かが「彼は神戸の出身で他人に怒った顔を見せたことがない温順な人だった」等々いろいろ話があつた。お互いよわい齢八十にもなるのだから健康には充分気をつけて、また来年も元気で集まるようにしようと話し合った。帰る頃はドシヤブリの雨となっていたが、今の時代、旧海軍時代のようなレスに行ったような気分にさせてもらうことはなかなか無いものである。さらに、クラスの者同士遠慮なく振舞えるところはなかなか無い。幹事役の左近允尚敏・中村元一の両氏に感謝しながらパインを後にした。

 参加者

旭 輝雄、足立喜次、相澤善三郎、市瀬文人、岩松重裕、上野三郎、後藤俊夫、後藤 寛、左近允尚敏、新庄 浩、中村元一、名村英俊、松下太郎、山田良彦、上田 敦、藏元正浩、野崎貞雄、