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87号

第九回戦闘機会報告

市瀬 文人 

冒頭に、三座水上機乗りが戦闘機会の記事を書くとは? の疑問にお答えする。実は三年前、大津で戦闘機会が開催された折、戦時中大津にいた貴様から、当時の話が聞きたい、とお声がかかり、断る理由も無いまま、その名も勇ましい戦闘機の搭乗員会におずおずと出席したのがきっかけ。その雰囲(ふんい)気が気に入って連続四度目の参加ともなれば、彼に記事を任せよう、との意見に、反対する者只一人。悪口を書くぞとの文句も蟷螂(とうろう)の斧、やむなくペンを握ったという次第である。

今年度の戦闘機会は去る五月二十一日、二日の両日にわたり、岐阜県長良川温泉で開催された。幹事は、幼少の頃から、長良川でよく泳いだという地元出身の村瀬兄。参加人員は例年より少なく十三名、常連数名が都合悪く参加出来なかったのが惜しまれた。

参加予定者全員が集合したところで、浴衣に着替え、ホテルが見下ろす数多の舟がつながれた川原に出て、鵜飼(うがい)についてもろもろの話を聞く。記録によれば、鵜飼が始まってから今年が丁度千三百年目に当るとか。その他、ほとんどを珍しく聞く。天気は晴朗、気温は快適、舟は新造の貸切、川の水量も最適と万事に恵まれ、皆うきうき気分で用意された舟に乗組み、二列に向かい合った席で、まずは乾杯。幹事の特別の配慮で、彼の舞踊の後輩であり、当地のナンバーワン芸妓でもある女性の献身的なサービスにより、たちまち宴たけなわになる。舟がもやいを解いて、川の上流に向う途中、川下の水平線に正に沈もうとする真っ赤な夕日に、皆箸を置いて見とれる。期せずして、「赤い夕日が波間に沈むUUU」の大合唱が起こり、歌声は川面に広がった。続くは「お手々つないでUUU」の童謡。久し振りに大自然の美に打たれた老骨仲間が七十年以上も前の童心に帰った感あり。我ながら微笑ましくも、おかしく感じた情景の一齣(こま)である。近くの舟の目には、なんと異様な集団と映ったに違いない。

上流対岸に他の舟と並んで仮泊し、暗くなるのを待つ間も酒宴は相変わらず続く。やがて、真の闇となって、舟は一隻ずつ川の中央に向う。

と、上流からカガリ火をたいた鵜舟が接近して並行し、いよいよ目的の鵜飼の実演を目近に見る。一朝一夕に出来る技ではない。芸術的とも言えそうである。緊張して見た一幕が終り、舟端に登舷礼さながら一列に並んだ鵜に、心からの拍手をした後、舟は帰途についた。

 おもしろうて やがて悲しき鵜舟かな

 芭蕉の句が不意に思い出されたが、つかの間の感傷を舟に残して上陸。ホテルの二次会場へ向う。宴会疲れを知らない面々、席を盛り上げるのに人欠かない戦闘機会は、再び元気な、愉快な宴会に突入。最後に締めくくったのは、かのお姐(ねえ)さんの舞踊に続く村瀬幹事の舞踊。永年の磨きがかかった格調高いその芸に、毎度のことながら改めて感嘆させられた。

翌二十二日の朝、さほど遠くない金華山にケーブルカーと徒歩で登る。頂上の、斎藤道三、織田信長ゆかりの岐阜城からは、四周全方位が遠くまで望見されて、晴れ晴れとした気分に浸ることが出来た。

山を下ってから小型バスで三甲美術館へ向う。人里よりやや離れた田舎相応の美術館と軽く考えていた予想は見事に裏切られて、ビックリ仰天する。陳列の絵画、彫刻、陶芸品等、皆最高級の芸術作品ばかり、作者も内外一流芸術家でその名を世界に知られている人も少なくなかった。初めに持った独断を恥じ、心洗われる気持ちで見学を終えた。

最後に岐阜公園へ。すがすがしい緑の風がおいしく、思わず深呼吸をする。ここで、昼食を兼ねたお別れの会となる。今回の会に、最初から最後まで多大の尽力をし、会員の皆に大きな楽しみと満足を与えてくれた村瀬幹事に、皆から謝意が述べられ、また、来年の再会を約して乾杯した。別れ際に、村瀬兄の奥さんからイチゴのお土産を頂いた。ご自身丹精して作られたもので、その甘ずっぱい濃厚な味は未だに忘れられない。

永く続いていること自体がご立派な戦闘機会は、ご遺族や配偶者の参加が期待される異色の会である。機種別(航空の場合)等によるこのような会は、貴重な存在である。

会員の諸兄にお願いする。健康に留意して会の永続に尽くされんことを。

参加者  

相沢、石井、市瀬夫妻、岡本、品川夫人、新庄、

 中西夫妻 松山、村瀬、森園、山田一夫(三郎兄)