TOPへ 

86号

関西なにわ会 報告

樋口  幹

 平成十三年十一月十四日 恒例の関西なにわ会を古城のほとり彦根キヤツスルホテルで実施した。天気予報は十日前から開催日の雷雨を予想し、やきもきしながら当日を迎えたが、幸い絶好の行楽日和に恵まれ錦秋を満喫した。

一三三〇 同伴のご婦人四名を加え総勢二〇名でホテルを出発、大手門、天秤櫓(やぐら)、湖上に浮かぶ竹生島や伊吹山、石田三成の居城佐和山城址(し)を一望に収める天守閣、更には玄宮園、不断桜が見頃の金亀公園を経て、菊薫る護国神社に集合し英霊に参拝した。このお社は戊辰戦争後の地方出身戦死者を祭神とした素朴な旧招魂社で、クラスでは航空隊で戦死した彦根中出身の北村一三君と虎姫中出身の長谷川宏之君とが祭られている。一六三〇、関西代表久米川、関東代表名村の近況報告の後、山陰代表濱田の乾杯で撃ち方を始めた。会は最初から石井の司会者無用のハッスル振りにあうられて年季の入った相沢の軍歌、佐藤の愛きょうたっぷりのジェスチャ入リ演歌、椎野得意の講談と一挙に盛リ上がり村瀬の初歩日本舞蹄の手はどき、濱田の器用な(石井評)歌、上野、石井の演歌と続き盛会の中で終宴となり、一八三〇解散した。なお当日の会合を企画した中西が突然入院して肝臓を手術したとの知らせがあり、石井、大村、名村、樋口が残留して、翌日午後能登川病院に見舞った。

 当日も幸い好天で午前中お伊勢さんの親にあたる多賀神社に参拝した後、織田信長の安土城址(し)を訪れた。ところが二十年前の九十九折りのゆるやかな登山道がいつの間にか急な石段に改造されており、弥山登山さながらの急坂で、歳には勝てずに全員ダウン。登頂をあきらめ、新築金びかの天守閣を見学して終わった。

 病院の中西は術後十日にして元気溌刺、間もなく退院の予定で皆様によろしくとの伝言があった。

参加者

相澤善三郎、石井  晃、宇野 俊夫、春日  仁、春日夫人、久米川英世、小西 愛明、澤本 良夫、中西夫人、名村 英俊、濱田 秋朗、濱田夫人、樋口  幹村瀬 信義、諸橋 久信、(機)椎野  廣、上野 三郎、(主)佐藤 健三、佐藤夫人

 

 (幹事 中西、宇野、樋口(幹))